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明日、目が覚めたら・・・  作者: ふじい やたく
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 相対性理論と無限の闇


 八月七日。バンドのメンバーで隣町のデパートに買い物に行く事になった。

 八月十日からは十七日までの一週間、海の家で仕事をしながらの合宿も決まっている。

 僕は部屋のカレンダーで予定を確認し、バイトの準備をしていた。今日も相変わらずのバイト日和で、外はカンカン照りの真っ青な空だった。

 兄貴は暑苦しそうにネクタイを締め、しわの無い真っ白なワイシャツで身を包み仕事へ向かった。かあさんは今日は仕事が休みなので家でぐうたらとしている。きっと昼からお酒を飲むつもりだろう。心なしか嬉しそうにしていた。


 僕は朝食を手短に済ましてバイト先へ向かった。案の定、外へ一度出ると、毛髪から顔の皮膚まで焼けるんじゃないかと思わせるほどの暑さが襲った。早く店のクーラーにあたりたいの一心で足を進めるが、その速度が上がるたびに、僕の体温も上がっていった。

 

 僕が店に着く頃には着てきたシャツは汗で湿っていた。クーラーの風に吹かれ一息つくと、厨房から声がした。


 「おーい匠くん! 悪いけど少し早いが出勤してくれ~」


 店長が申し訳なさそうに僕に言う。ホールを見渡すと、もうほとんどの席が埋まっていた。


 「大繁盛ですね店長……了解しました!」


 僕は湿ったシャツを脱ぎ、制服に着替えて厨房へ向かう。涼しかったホールよさらば……僕は死地に向かいます……

 

 ピークはすぐに収まった。しかし、ろくに休憩も回せないほどの忙しさだったから、けっして楽ではなかった。気がつけば時刻は三時を回っていた。今更休憩したところで終わりまですぐなので、僕は働く事にした。


 「いや~助かったよ! 急に欠勤が出てしまってね……」


 店長はグラスにアイスコーヒーを入れるとそれを僕にくれた。


 「ありがとうございます。 いや~……キツかったですね!」


 僕らは笑いながらお互いに称えあっていると、四十万先輩が顔を出した。


 「もー! 先輩おそいっすよぉ~」


 「なんだなんだ!? 俺遅刻してないぞ? むしろ三十分早いんだけど!?」


 無論、先輩は遅刻などしていない。でも、店長と二人で乗り切った『修羅場』は僕にとっての『武勇伝』に近い感覚を持たせた。少し自慢したかったのだ。

 最近では先輩や店長、店の従業員の人とも上手く話せている気がしている。もともと学校では上手く話しを合わせても、上手く『話す』事が苦手だった僕には、この職場での交流も自分の中にある時計の針を一歩ずつ、確実に進めているのだと思った。

 楽な仕事ではないけれど、僕がこんなに楽しく続けられているのはきっと、先輩たちは『大人』で『子供』の僕を支えて導いてくれていると感じた。

 

 僕は夜まで働く店長に休憩を勧めてホールに出ていた。なるべくホールには出たくないのだが、状況が状況なのだから仕方が無い。


 「すいません。お会計をお願いします」


 レジから声が聞こえた。急いでレジに向かうとそこには高坂が立っていた。白いワンピースに大きなカバン、夏に似合うような爽やかな香りが漂う雰囲気のファッションだった。


 「あ、しお……高坂さん! いたなら声かけてくれればいいのに…… いつから?」


 「うん。お昼くらいから……でも忙しそうだったし、なんか悪いかなって思って……」


 僕はいろいろと話したい事があったけど、なんだか小恥ずかしく口ごもってしまった。


 「うん! マナミが言ってた通りだ! よく似合ってるよ! その制服!」


 僕は「からかうなよ」と目も見れずにそう言った。

 高坂は笑顔で僕に手を振ると店を出て行った。僕は何か、何でもいいから高坂に伝えたくて店を飛び出した。


 「栞も……栞もその服似合ってるよ!!」


 栞は『ハっ』と振り返り、さっきよりも笑顔でこう言った。


 「ありがとう! 匠!」


 僕は嬉しかった。ずっと名前を呼びたかった。キミがあの日『特別』と言った意味とはちがうかも知れないけれど、僕はキミの何かになれた気がした。

 

 「たくみく~ん。 オーダー待ちですよ~……」


 店のドアからひょっこり顔を出す四十万先輩に促され、僕は急いで仕事に戻った。

 今日の僕は絶好調だ。





      ・・・・・・・・・・・・・・・



 今日は八月の七日。

 今まで頑張ってきた自分のご褒美ともいえるような日だ。皆とデパートへ買い物に行く。今日は完全にバイトの事や家の家事などは忘れよう。今を精一杯生きてこそ『青春』というものである! まさかね、いやほんとまさか、自分がこんなに『リア充』チックなことになるなんてね!

 駅に十一時に集合してみんなで目的地へ向かう。僕は集合時間の二十分前に着いたのだが、既に皆は到着していた。

 駅の木々の木陰からマナミがふくれっつらで僕に「おそい!」と言った。別に遅刻してないのに……。よほど皆も楽しみだったのだろう。そう思うとつい笑ってしまう。

 みんなそれぞれに涼しげな服をまとい、蝉の声に誘われながら僕らはホームに向かう。『夏はひと夏の恋』なんてよく耳にするが、それも悪くないんじゃないかな? と思わせるような女の子の格好や頭の中を空っぽにさせる太陽の日差しが甘く儚い幻想を魅せる。


 夏休みという事もあって電車は満員御礼だった。目的の駅に着く頃には人並みに溺れて散々な思いをした。藤堂は小柄な上に自分を尊重する力がないからホームで合流したときには半分涙目になっていた。本当に気の毒だ。栞は東京で慣れているのか、ケロっとした表情で凛としていた。僕も藤堂と同様な性質なので人を掻き分けるだけで一日分の体力を使ってしまった気がした。しかし、マナミの一言で元気が出る。


 「早く行こう! いい水着なくなっちゃうよ!?」


 「「……お供します!」」


 僕と奏間はお互いに肩を組むと真剣な眼差しで女子を見る。


 「……」


 少し女子の視線が冷たかったが男子高校生の思考としては間違っていないはずだ! 夏の暑さとこの冷たさで世界は均衡をたもっていると信じたい……。

 


 暑い日差しをさけるように僕らは木陰を選んでデパートへ向かった。歩いているときに奏間が。


 「うなじの汗ってなんかエロいよな……」


 僕の耳元でそっと呟くものだから僕も意識してしまった。うなじから背中にかけて少し汗ばんだ女子の背中に下着が見え隠れしていて僕は顔が真っ赤になった。小心者な自分が実に憎い!


 「ついたー!! クーラークーラー!」


 マナミはふらふらになりながらデパートの自動ドアに吸い込まれていった。


 それから僕達はデパート内で一休みして買い物を始めた。

 当初の予定では食事をしてから水着や楽器店などに寄るつもりだったが、人ごみで酔ったのか全員食欲がなかった。なので最初に水着を選ぶ事にした。僕と奏間は水着など新調しなくて良かったのだが、女の子の水着選びに当たり前のように着いていこうとした。いや、ほら、せっかくだしね!


 「ノーサンキュー!!」


 女子全員に睨まれ僕らは泣く泣く退散するしか選択肢は無かった……


 「今頃、『この水着なんてどう?』『えー! 派手すぎないぃ?』なんて楽しく乳繰り合ってるんだろうなタク?」


 「ですねぇ……奏間さん……うらやまですね……」


 僕と奏間は近くのベンチでアイスを食べながら女子を待っている。

 今更ながら僕達のバンドの女子は美人ぞろいだと思った。マナミは幼馴染の僕から見ても可愛らしい顔立ちと性格だし、人懐っこさが何より男子を安心させる。藤堂は人見知りだがそれはお淑やかさともいえるし、顔も童顔で実に女の子らしい。栞に関しては周知のとおり美人でスタイルがよく、都会の風に吹かれて生きてきたからか、僕達とは少しちがう人種のように思える凛凛しさを持っている。

 奏間だって例外ではない。オシャレに誰より気をつかい、そんな自分を誇れるように努力も惜しまない人だ。彼がモテる理由はきっと彼が一番知っている。でもそれはけして嫌味など皆無で、至極当然に思える。


 たいして僕はどうだろう。いつも誰かの視線や思惑に怯え、大切な友人の言葉も信じられなくて、捨てられるのが怖いからといつも自分から全て捨ててきた僕は……。嘘ばかりが僕を包んでいるんじゃないだろうか……。


 「溶けてる」


 僕が変に自分の世界に入り浸っているとき、奏間が僕のアイスに一かじりした。その姿は可愛らしく、紳士的にみえて僕は僕のヒロインは奏間でいいんじゃないかと錯覚させるほどだった。きっと夏の魔物のせいにちがいないと信じたい……。


 「ああ暇だ! タク! ゲーセン行こうぜ!」


 奏間は耐え切れなくなったのか急に叫びだす。


 「ははは、奏間行ってきなよ。僕はここで待ってるよ」


 奏間は「そう?」と残念そうに席を立った。



 奏間が居なくなってから僕は持参していた本を読んでいた。あと少しで読み終わるその本を足早にページをめくる。


 「何見てるの?」


 栞がいつの間にか買い物を終えて僕の後ろに立っていた。大きなその袋にはきっと合宿で着る新しい水着があるわけで、僕の視線は自然に、ごく自然にそちらに向く。


 「ああ、おかえり。『人間失格』だよ。なんだか見ていて落ち着くんだ」


 「ふふ。匠らしいっ」


 僕の視線に気付かずに栞は笑って答えた。


 「僕って根暗かなぁ……」


 「まあ、明るくはないでしょうね」


 僕は大きな溜息をついた。わかってはいたけど、他人からそう認識されていると聞かされると、すこしだけ傷ついた……ああ、いま幸せ逃げちゃったよ……。


 栞は自販機で飲み物を買うと、僕の真正面に座った。僕は本から少し目をそらし、栞を見つめた。

 細い首筋に流れる一筋の汗はなんとも艶かしく、僕は文字列より、その流れにしばらく見惚れてしまった。


 「なに? 匠?」


 「――な、なんでもない! てか、なにが!?」


 僕は上擦った声をあげ、いかにも怪しい声を出してしまった……嘘が下手と言うか、顔に出るというか……だから学校でも女子にからかわれるのかもしれない……。


 「ねえ、匠。 おりんちゃんのこと……私のことどれくらい覚えてる?」


 栞が突然僕に話し掛けてきた。その目は僕を見ていないで、下を向いていて、そこか儚げだった。


 「……憶えてるよ。 忘れようと思ったときは確かにあったけど……全部憶えてる」


 僕は素直に告げた。僕も下を俯き、何を話したらいいか分からなくなってしまった……。


 「そう。私、どんな子だった?」


 栞は今度は僕の目を見て、真剣な口調で僕を捉えた。しかし、その唇は微かに震え、心なしか哀しい表情だった……。


 「キミはキミだよ。 破天荒で歌が大好き。 明るい太陽で、月は追いつく事すらできないほどにキミは走っていた……そんなとこかな?」


 栞はすこし目を丸めて、信じられないといった顔をしていた。しかし、すぐに笑顔に戻ると


 「ふふ、わけわかんないっ!」


 と笑った。

 僕はその笑顔で完全に気付いてしまったんだ。

 

 『キミが大好きです』


 と……。



 ・・・・・


 マナミ達と合流して、ゲーセンに奏間を迎えに行き、ついでに記念のプリクラを撮った。みんなは慣れているのか、楽しそうにいろんな表情をしていたが、僕は初めてのことだったから、顔が強張り、引きつった笑い方になってしまった。


 「タクちょーうける!! これとか半目だし、これとか仏像かよ!!」


 奏間はプリを見て大爆笑だった。それをみんなが見て一斉に笑った。


 「写真写りがわるいんだよ僕!」


 笑われたけど、けして恥かしい事でも厭な気持ちにもならなかった。みんなの笑い声で溢れたその空間は、僕のかけがえのない『思い出』になった。


 時間が過ぎるのは早く、僕はこの日ほど、相対性理論を恨んだ日はない。ごめんねアインシュタイン!

 帰路につき、みんなと別れた後、僕は栞と並び、道を歩いていた。普段ならなんとなく話す会話も、意識

してしまえば、それはひどく高い壁を登るように難しかった……。


 「今日、楽しかったね」


 「え!? ああ、うん……」


 「……なんかそわそわしてる?」


 「べ、べつにしてないっすよ! そわそわなんて!」


 栞は夕暮れのオレンジ色の空に似合う優しい表情だった。長くきれいな黒髪に切れ長の目、長い睫は瞼を閉じると妖しく僕の心を躍らせる……。その小さな唇でキミは誰に愛の言葉を囁くのだろう……。


 「私ね、この間実家に帰ってたの……」


 一週間栞が居なかったときの事であろうか。栞は唐突に話し出す。


 「おねえちゃんのお墓参りしてたんだ……匠はたぶん知らないよね……おねえちゃん……」


 「え……? うん……」


 僕はおりんちゃんにお姉さんがいたことは初耳だった……。そんな栞にかける言葉が見つからず、僕は黙っていた。


 「『残してきてしまったものをもう一度手に入れるの』……失った時間を取り戻す事……できたかな……?」


 栞は顔を空に向け、虚ろな瞳をしていた。


 「私……幸せになっていいのかな……?」


 僕は立ち止まった。彼女が何を話しているのかが分からなかった……。いつも笑顔のキミ。僕より先を走るキミ。

 じゃあ、今僕の前にいるキミはいったい……


 『誰?』


 栞は僕の少し裂きで歩みを止めた。そしていつものように振り返り


 「かえろっ!」


 と笑った。僕は空が沈むように、明日をも知れぬ不安があるように、ここにいる彼女の存在を信じて帰路についた……。

 


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