夏休み!
蒸し暑い教室に暑苦しく語る女の姿があった。
「だーかーら! 合宿しよーよ!」
「合宿って……どこでやんだよ? 俺らは部活じゃないんだから部費なんて出ないし、実費だと相当かかるぞ? 匠だって新しいベース買うって言ってるし、だいいちいきなりすぎるだろ!?」
マナミが額に汗をたらし、目を輝かせて僕らに言ってきた。それを奏間は『現実』の二文字で玉砕する。
「えー! でもやりたいもん!」
「やりたいでできたら世の中にお金はいりません!」
「えー! でもぉ――」
「ええい! 暑苦しい!」
そんな奏間に喰らいつく(絡みつく?)マナミだったが、しばらくして諦めたのか静かになった。
僕はそんな姿のマナミが少し不憫で助け舟を出す事にした。
「僕の事なら気にしないでいいよ。ベースもいつか新しいのにしなきゃってだけだし、今のでも充分使えるしね」
「でも匠くん、ずっと欲しいって言ってなかったですか?」
藤堂留美は痛いこといってくるな……
「留美ちゃん。 今は僕のベースよりみんなで練習の方が大切だよ? でしょ? マナミ?」
マナミは気まずそうに顔を伏せていたが、僕の言った意図を汲んでくれたのか満面の笑みで「そうだそうだ!」といった。
「けど、みんな金はあるのかよ?」
「……」
奏間のその一言で僕らはまた現実と向き合う事になる……
「あの……」
その沈黙を簡単に破ったのは高坂だった。
「わたしの知り合い、というかおばあちゃんの知り合いに夏休み限定で海の家で働いてくれる人探してる人がいて、その人に頼めばなんとかなる……かも」
高坂は困ったように笑いながらそう言った。
「栞ちゃんマジ?」
「あれー? ソウちゃんあんまのりきじゃなかったよね?よね?」
「んなこたねぇよ!」
「まぁまぁ二人とも。 それよりほんとに大丈夫?迷惑じゃない?」
「うん。 大丈夫だと思う。 ただ、その人少し変わってるらしいから、どんな人なのか不安ではあるけど……」
それはある意味だいじょばないのではないかと思いつつ、僕は夏休みの一つの思い出に胸を焦がしていた。
「よし! じゃあ、決まりね! 僕もバイト休み取ってくるからみんなも各々よろしく!」
そうして、僕らは高坂のおかげで八月の中旬に海の家で合宿をする事になった。その店の主人は音楽が好きならしく、家のガレージを好きに使っていいと言っているようで、僕達は本格的にバンドの練習が出来る事になった。
電車で二駅、そして乗り換えのバスに乗って数分と、もの凄くご近所での合宿になったが、僕達はあおれでも満足だった。みんなの笑い顔や笑い声はとても素直な気持ちにさせる爽やかなメロディーのように、僕を急かしだす。
終業式が終わって夏休みに入った。僕は休みに入ってからというものの、アルバイト三昧の日々を過ごしていた。夏の暑さに厨房の暑さが混じり、額にはいつもより三割り増しに汗が滲む。繁忙期はまだ先というのにずいづんとお客が入ってくる。横目でお客が涼しげな笑顔を羨んで僕は肩を落とした。
「高橋匠くんいますか?」
なにやら名前を呼ばれた気がした。レジの方に顔を向けると店長と高校生くらいの男女が立っていた。
「あれ? どうしたのマナミに奏間。 ……いらっしゃい」
「あー! タク今イヤって顔したぁ! 見ました店長さん!? いまイヤって――」
「あーはいはい! ようこそいらっしゃいくださいました!! お席へ丁寧にご案内いたします!!」
こんな忙しい時にマナミの相手はしていられない! 僕は早々に二人を席に案内した。
「へー。 似合ってるじゃん」
奏間は僕の制服を見てそう言った。黒いスラックスに白いワイシャツ。そして黒いベストがこの店の制服だ。
「うんうん。かっこいいぞタク! 前髪も上げて髪まで結んで別人みたい! 執事さんみたいね! 学校でもそうしてればモテルノニ」
「あーもう! おまえら内心そんな事思ってないだろ!? で? 注文は?」
席に案内して僕は急かすように注文をとる。ふざけ半分でも『似合う』と言われたのが嬉しくて照れくさかった。早く自分の持ち場に戻りたい一心だった。
「いつバイト終わる? ちょっとお茶しよーよ!」
「一応五時には終わるけど……それまで待ってるの? けっこう長いよ?」」
「気にしなくていいよ。俺らはタクの懸命に労働してる姿を涼しいとこから見てるから」
奏間がいやらしい爽やかな笑顔で僕を見ている。僕も笑顔で答える。
「うん。帰れ。」
注文をとって僕は急いで料理を作り始めた。背中に刺さる視線は間違いなく二人からのもので、僕はそわそわした気分で仕事を続けるのだった。だからオープンキッチンは苦手だ……。
ピーク時が終わり、食器を洗おうとしてるとき、店長がやってきた。
「高橋くんお疲れ様。 今日はもう上がっていいよ。ずいぶんお友達を待たせてるみたいだしね」
「あっいえ! 気にしないでください。 まだ洗い物ありますから」
そう言うと店長は笑って席のほうに指を向けた。マナミと奏間はだらしなく気力此処に尽きたといった感じに倒れていた……。
「はぁ……ほんとすいません……繁忙期もお休みいただいてるのにこんなときまで……」
深い溜息一つついて僕は店長に謝った。
「いやいや! 気にしないでいいよ! 確かに戦力のキミが居ないのは心苦しいけど、いつも真面目に頑張ってくれているからね! いい思い出たくさん作ってきなさい。 それになに、その分先輩たちが頑張ってくれるだろ! なぁ先輩!」
そういって店長は背の高い男の人の肩を叩いた。
「おう! 気にすんな! 若い奴は遊ぶのも仕事だ! 今のうちに楽しんでおけよ」
あまりバイトの時間がかぶらないから名前までは思い出せなかったが、確か『四十万』先輩だ。鋭い目つきに金髪、そして背の高さで思わず恐縮してしまいそうになるが、とてもやさしいお兄さんだ。この店の『兄貴』といっていいだろう。初めの頃は僕も怖い人という印象しかなかったが、今では『おひげが似合うワイルドなお兄さん』と認識している。
「ありがとうございます! それじゃあ、今日は上がらせていただきます。お疲れ様です!」
僕は二人に頭を下げてタイムカードを切りにいった。
「おまたせー……ってガチ寝かよ!?」
「ふわぁ……よく寝た……あれ? もう終わったの?」
「二人がかわいそうだから上がって良いって言われたんだよ。 あんな大胆に寝てられたら店も迷惑だからな」
「これはこれは失礼しやした」
奏間も起こして僕達は店を出る事にした。レジで店長と四十万先輩が手を振って見送ってくれた。
「あの人イケメンだったね! 店長さんも男前だし、あの店いい粒揃いだね~。常連になっちゃおうかな!」
「粒って……いや遠慮します。オムライスとコーヒー一杯であんなに居座られたらたまったもんじゃない」
「え~。パスタも頼んだよ? それもちょー大盛りで!」
「あれ頼んだのマナミだったの!? あれオードブルサイズだよ? 太るよ~?」
「だっておいしかったんだもんっ」
歩きながら満足げにおなかを擦るマナミはとても可愛らしかった……。その横で大きな伸びをしながら奏間は眠たげに聞く。
「タクってあんなにキビキビ動けたんだな。 俺、笑っちゃいそうだったよ。いや、めっちゃ感心したけどね」
「いや笑うなよ……まぁ、最近仕事も楽しいというか、いろんな事に興味が湧いてきたんだ。ただ過ぎていく時間でも実は少しの変化があったり。ああ、時間って有限なんだなってしみじみ感じたり……」
自分で言っていて思わず笑ってしまう。なにが言いたいかなんて自分でもさっぱり分からなかったからだ。でも奏間は納得したように笑ってみせた。
「よかったじゃん。匠もやっと自分をみつけたんだよ」
奏間は静かにそういった。
そんな僕らの間からマナミはひょっこり顔を出してきた
「あたしパフェ食べたい!」
「まだ食べんのかよ……」
奏間と僕は少し呆れ気味だったがマナミの無垢な笑顔に誘われ、駅近の喫茶店に入った。僕はもちろんブラックのコーヒーで奏間も同じのを頼んだ。奏間は本当に美味しそうに飲んでいるが、やっぱりぼくにはほろ苦く、大人の味に感じられた。なんだか少し淀が恋しく感じた。
マナミはこの店で一番大きいパフェを頼む。僕が「太るぞ」と言うと。
「みんなで食べるの!」
と言って、僕達に長く細いスプーンを渡した。皆で食べるパフェは甘く優しい味がした。いつも得体の知れない不安が横に付きまとう僕の心もいつの間にか消えているようだった。きっとそれは、おりんちゃんが教えてくれた事なんだと思った。
溶けいくストロベリーのアイスに僕は安らぎすら覚えた。
奏間たちは何か用があったわけでもなく、ただ僕を遊びに誘ってくれていたみたいだ。意味も無く顔を合わせられる友人がいる事がこんなにも嬉しいと感じたことは今までは無かった。いつもは当たり前に同じ時間を過ごす日常が『夏休み』という『一人』を実感させる時期にこの出来事は本当に嬉しかった。
奏間もマナミも僕と同じ気持ちでいたらいいなと切に願う。
それから日が暮れて、月が顔を出す頃まで僕らはバカみたいに盛り上がった。今後のバンドの話。合宿で何をするか。今度高坂たちも連れてショッピングに行こうとか。
今思えば、学校では親しい僕らも休みの日には各々予定があり、皆で遊んだ事が無かった。
「よし! じゃあ今度メンバー全員で隣町のデパートに行こうぜ!」
「さんせー! あたし新しい水着欲しい!」
僕らは合宿のための買い物に行く事になった。
「よし。じゃあみんなに連絡よろしくな! リーダー!」
「え? リーダー!?」
奏間が僕の肩を組み楽しげに言う。
「だってほら、栞ちゃん説得したのもタクだし、スタジオいつも予約とってくれるし、面倒見が一番いいだろ!」
「はいはーい! それもさんせー!!」
「おまえら便利屋かなんかと勘違いしてませんかね?」
二人は「いいからいいから」といった感じで笑っているだけだった。そんなこんなで僕はリーダーという『便利や』に昇格? してしまった。
僕はマナミ達と別れてからすぐに藤堂と高坂にメールを送った。藤堂からは返信がすぐにきて、いつでも日にちは大丈夫なようだった。
高坂の返信を待ちながら僕は自宅で食事の用意をした。どこか浮かれているのか、はたまた自分の料理スキルが上がったのか料理は今まで以上に出来栄えがよく見えた。
かあさんが仕事から帰ると二人で食事を済ませた。かあさんは料理を見てすごく嬉しそうに笑い、缶ビールに手をつけた。
「最近タクちゃん楽しそうね。 お母さん安心しちゃった!」
「そう? いつも通りだよ?」
そして二人で今日は何があったとか、明日は何があるなんかのいつもの会話をした。
そんな時、携帯が鳴った。僕はすぐに高坂からの返信だと分かった。
「ごちそうさま! 部屋行くね!」
僕は急いで食事を済ませ、部屋にいく。かあさんはどこか嬉しそうに「はいはい」と言って新しいビールの蓋を開けた。
部屋に戻り、ベッドに飛び込むとゆっくり携帯の画面を開いた。
『高坂 栞』
画面にそう映っていた。僕はガラにもなくベッドの上を転がった。
僕はバイトの都合で夏休みに入ってから『淀』にはいけていなかった。だから高坂との関わりも久々になる。
『今週いっぱいは用事があるのでいけませんが、来週以降だったらいつでも大丈夫です!』
メールにはそう書いてあった。僕は急いで皆のスケジュールを見直してカレンダーに花丸をつけた。
『メンバーで合宿準備』
八月の僕のカレンダーは花丸だらけになっていった。




