憂鬱な月曜日
時刻は七時を過ぎている。僕は一昨日の出来事を整理する。その結果、今でもベッドから起き上がれずにいる。
朝の憂鬱な気分はきっと今日が月曜日だという事だけが原因ではないだろう。
土曜日のこと、まったく整理がつかず高坂に合わす顔がないと思っていた。
『次会うときにはきっと、おりんちゃんになってるから』
彼女はそう言った。僕に背を向けて。話す唇がかすかに震えていたのは見ていなくても明らかだった。
「なんでそんなにおりんちゃんであろうとするんだろ? 高坂は高坂じゃんか……」
僕は枕に顔を埋め深く目を閉じる。
「タクちゃーん! おりんちゃん来たわよー! 早く学校いきなさーい」
階段の下から母さんの声がした。僕はその言葉に心臓がはじけるような感覚で体を起こした。
「え? うん。りょーかい!」
僕は急いで歯を磨き、少し熱っている顔を冷たい水で洗った。
朝食も取らずに玄関を開けると、そこには高坂栞が少しふくれっつらで立っていた。
「遅いんですけどー。 『早起き』は習慣じゃなかったんですか?」
「ああ、いや……起きてはいたんだよ起きては……てか、来るなら来るって言ってよね」
「どの口が言うか!」
高坂は僕の頬を抓るとその手を僕の首元に添えた。
「ほら、ネクタイまがってるよ」
「あ、ありがと」
僕は女の子にネクタイを直されたのは初めてで、恥ずかしさと嬉しさで顔から火が出そうだった。
僕は少し考える。僕は高坂に何を言うべきか。今までのようにみんなと楽しくやっていけるだろうかと。
今まで人とあまり関わらなかった事が今となっては恨めしい。こんなとき奏間だったらなんていうかな? マナミだったら……。でもこれは僕の言葉で言わなくちゃいけないんだ。梅さんが言っていたように『答え』をみつけるために。
言いたい事はたくさんある。ただ言葉がうまく出てこないんだ……。
「匠くん……」
「高坂さん! ぼく――」
僕の首元が一気にしまる。
「おはよ!」
そう言うと高坂は無邪気に笑いながら走り出す。その顔は幼い頃に僕を散々ふりまわしたあの顔だ。
僕は少しきついネクタイを解き彼女を追う。
「こらぁ! まちやがれぇ!」
「きゃー! 怒った怒ったぁ!」
それは僕達の幼かったあの日を思い出させるような光景だった。
いつでも先にキミがいて、僕は後を追うばかり。それが僕の見ている世界だ。『でも、いつか』そう思ってしまうのは悪くないよね。そう自分にいい聞かせ僕は前を向く。
木の葉の隙間に風が吹く。彼女の『決意』を隠すように髪が揺れていた。
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学校に着くとマナミがいやらしい目つきと手つきで高坂に寄ってきた。
「うっへっへ。今日こそこの紙にサインしてもらうぞぉ」
マナミは有志の出し物の参加用紙をヒラヒラさせながらじわじわと寄る。
「うん。わかった! 私も仲間に入れてもらうね!」
高坂は無邪気に笑い、さも当たり前のようにこう告げる。
マナミはその言葉に呆然といった感じに口をポカンと開けていた。もちろん僕も例外ではない。
「よ、よっしゃぁ! ちょー嬉しい! ……けど、なんでいきなりやってくれる気になったの? それにわたし達その……素人だよ? いいの?」
「やっぱりマナミちゃんも知ってたんだね。うん! 私そんな事気にしてないよ! それに私だって素人だよ? でもやっぱ、知ってる人もいるみたいだったから、あんまり目立ちたくなくてバンドお断りしてたの。ごめんね。でもやっぱり音楽好きなの! だからお願い! 私も一緒にやらせてもらえないかな?」
嬉しさよりも戸惑い。この場合いい意味の戸惑いだが、そんな僕達を高坂は見つめ小首を傾けお願いしてくる。
最初に口を開いたのはマナミだった。
「そっかぁ! もっと自信もてばいいのに! シオちゃん可愛いし歌うまいし、目立ちたくないなんていまさらだよ!」
マナミも無邪気に笑って高坂に飛びついた。
そんな笑顔な二人はまるで穢れのない世界にいるアダムとイブみたいだ。
「でもよかった。高坂がバンド入ってくれて」
僕は素直に高坂に告げる。
「あら、どっかのだれかさんが休日に部屋に押しかけて来るから気が変わったのかもよ?」
高坂は小悪魔みたいな妖美な笑みを僕に向けた。
「部屋までは行ってないだろ!?」
「むむむ!? どう言う事じゃ!? タク!!」
何はともかくこうして僕達はバンドを組む事が出来たわけだ。
ギターの奏間とマナミ。ドラムの藤堂。ベースの僕。そしてボーカルに高坂栞。
僕はやっと何かを成すことが出来るのかもしれない。高校生のただの『思い出』なのかもしれないけど、僕にとってはかけがえの無い友人との思い出は死ぬまできっと忘れないだろう。
このバンドがきっかけに僕の人生は動き出した。それが正しかったのか間違っていたのかなんて分からない。きっとそれは高坂も一緒だ。
だってこの時の僕には彼女の言った『おりんちゃんになる』と言うこと。梅さんが言った『彼女を見てやれ』の意味が分かっていなかったのだから……
でも、この時の僕はまだ知らない。きっと目を輝かせ、虹色よりも深い未来の栄光を夢見てまっすぐ二人をみていたに違いない。
「よーし。歌姫もバンドに加入したことですし『最優秀賞』いただきにいきますかい」
僕のその一言に二人は「おー!」と拳を高々にあげる。
僕は何も怖くなかった。今までの心狭い疎外感も劣等感も全てなくして此処に立っていた。それはきっと僕の中で『高坂栞』の存在が大切な何かに変わった瞬間だと思った。
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それから何日か経った。もう蝉の声が鳴り始め、照り返すアスファルトの熱気が僕らを襲う。男子は厚い制服を脱ぎ、女子は爽やかな白地のワイシャツを着る季節になった。
「ちょっと! また音外してるよタク!」
「今のはマナミが早すぎだよ! もっとドラムの音聴けよな!」
「いや、二人とも外れてるから……」
「藤堂はどう思う!?」
僕らは学校で放課後、一つの教室を借りて本格的にバンドの練習が始まった。いつも足を引っ張るのは僕とマナミ。そのほかみんなはかなり上手い。
奏間がギター上手いのは知っていたが、まさか藤堂がこんなに上手いとは想像もしていなかった。藤堂には驚かされる事ばかりなような気がした。
もう目の前にきている期末テストが終われば夏休みが来る。
青い春。青春はきっと知らず知らずにすぐ傍にあったんだ。僕が世界の見方を変えた時、止まった針は動き出す。
僕達の物語は始まった。




