答えの始まり
目覚ましが鳴る前に目が覚める。それは最近の僕にとっては当たり前の日常になっていた。
顔を洗い、歯を磨いて僕は朝の町にくり出す。
今日は土曜日、いつもならバイトにいくか昼まで寝てるかの二択だが、今日はあいにくどちらもノーサンキューだ。
僕は開店前の『淀』に向かう。準備中の看板を無視して扉を開く。相変わらず鈴の音が気持ちがいい店だ。
梅さんには話を通してある。『土曜におりんちゃんに話したい事あるから、朝早く店を借りるね』僕は図々しいお願いをしたのだが、梅さんは快く承諾してくれた。
階段のきしむ音がした。そしてその後、数秒としないうちに奥の扉が開かれた。
「うーーーんっとっ」
「おはよう。高坂さん」
扉から出てきたのは大きな伸びをした高坂だった。淡い黄色のパジャマに軽く寝癖のついた長髪、おまけに眼鏡をかけていていかにも『オフ』といった感じだった。
「ななな! なんで匠くんがここに!? しかもカウンターで何してるの!?」
「いやー、おかげさまで『早起き』になってしまいましてね。暇だったんで遊び来ちゃいましたよ」
「来るなら来るって前もって教えてくれればいいのに……。最近来てなかったからびっくりしちゃった」
高坂は困ったような顔で微笑んだ。
あの一件。高坂がバンドの話を断ったあたりから高坂は僕らと少し距離を置くようになっていた。それを僕はなんとなく察していたし、毎朝迎えに来ていた高坂が来なくなったことからあえて顔を出さなかった。
「ほら、コーヒー淹れたから高坂さんもどう? 今日は奢るよ?」
「なにそれ」とやっと本当の笑顔になってくれた高坂は笑いながら歩き出す。
「まず、着替えてきたら?」
僕のその一言でやっと自分が寝巻きのままということを思い出したのか、顔を赤らめものすごい勢いで奥の部屋に帰っていった。
梅さんに教えてもらったようにコーヒーを静かに淹れる。開店前の静かな空気と濃い香り。木材のカウンターに時代を感じながら僕は彼女を待った。
数分と待たないうちにまた扉が開いた。そこにはいつもの美少女『高坂 栞』が立っていた。
「だから来るなら来るって言って欲しかったの!」
カウンター越しに少しふくれっつらの彼女が座る。僕は曖昧に笑いながら淹れたてのコーヒーとシュガーポットを前に並べた。
僕は彼女に聞かなければいけないことがある。そのために今日は来たのだ。
「おいしい! 匠くんが淹れてくれたからかな?」
高坂はブラックのまま一口飲むと満面の笑みで僕に言った。
「キミは昔からそうだ」
「え?」
「キミは昔から笑顔がとびきり似合う女の子だった」
「いきなりどうしたの?」
彼女は顔を赤らめコーヒーカップをソーサーに戻す。僕だってきっと赤くなっているに違いない。告白するわけでもないのに、やたら心臓の音がうるさい。
「あーそういえば、匠くんは昔からあまり笑わない子だったもんね」
「えー! そんなこと無いでしょ。キミといる時はかなり笑ってたって! キミはいつもやる事ハチャメチャで、僕は散々ふりまわされた。ほら、近所の犬にちょっかいだした時も――」
「えー! そうだっけぇ?」
しばらく昔話をしているうちに、僕はけっこう昔の記憶をしっかり自分が持っていた事に驚いた。高坂はどこか懐かしむように僕の話を聞いていた。
「歌……続けてたんだね」
僕は新しくコーヒーを二杯分用意して、高坂の隣に座った。
「……」
「昔から『夢』だって言ってたもんね。おりんちゃん」
「見たんだ……」
「うん。聴いたよ。おりんちゃんの歌。すっごくかっこよかった! それに……すごく楽しそうだった」
「……」
「だからさ……あんな笑顔のキミがなんでバンドやりたくないのかなって、そう思って……」
「……」
「なんか『らしく』ないってか……」
「……」
「素人の僕らじゃやっぱダメかな?」
「それはちがうわ!」
ずっと黙っていた高坂はやっと口を開いた。やはりマナミも言ったように高坂はそんな事で断ったりしない人だ。
「じゃあなんで……?」
僕がそう聞こうとした時、高坂は静かに、まるで自分にいい聞かせるようにこう言った
『私には歌う資格なんて無いの』
「え?」
「ごめんなさい。ちょっと急用思い出しちゃった。コーヒー美味しかったわ」
高坂は立ち上がり足早に扉に向かう。
「おりんちゃん!」
僕は思わず大きな声をあげた。その声に高坂は一瞬立ち止まり、振り返らずに僕に言う。
「なんかごめんね……最近『おりんちゃん』っぽくないよね。でも大丈夫……次会う時こそ、また『おりんちゃん』になってるから」
僕はその言葉の意味がその時はどれほど重く、どれだけ悲しい言葉なのか理解もできないでただ立ちすくんだ。
キミが去ったこの部屋は、残酷にも時計の秒針が進む『チクチク』と音だけが鳴り響いた。
・・・・・・・・・・・・・
僕が高坂の後ろ姿を見送った後、しばらくして梅さんはやってきた。
「おう匠。何辛気臭い顔しとんじゃ」
「梅さん……」
静かにカウンターに梅さんは立つと、コーヒーを一杯淹れなおすと深い溜息をついた。
「すまなかったな匠……栞のあの態度。でも、嫌わないでやってくれんか。あの子はあの子なりに前に進もうとしている。それがたとえ『罪悪感』であってもな」
「えっ……何を言ってるの?」
「今の匠が知らないって事は、あの子は何も言っていないのじゃろ? ならワシからは何も言えんよ。悲しいけどな。でもな匠、あの子の事もっとしっかりみてやってくれ。頼む。あの子がなんでこの町に来たのか、なんで今更匠に会ってこんなに喜ぶのか。なんで昔のおりんちゃんであろうとするのか……。しっかり考えてくれ……!」
梅さんは今まで見た事ないくらいに頭を深く下げて僕に願った。
「……なにがなんだかわからないよ! おりんちゃんは『おりんちゃん』でしょ!? 今も昔も変わらない……。 それに罪悪感ってなんなのさ! 意味が分からないよ!」
梅さんは頭を下げたまま、目からいっぱいの涙を流しながら僕に言う。
「ワシには何も言えん。答えを与える事は簡単な事だが、それはお前たちの『答え』にはならない! いいか匠。答えなんてそんじゅうそこらに転がってる。でもな、それを当たり前みたいに拾おうとするな! 自分で考えろ! 必死にあがいて苦しんで、最後に決めたものが答えだ。 今、栞と匠はそれをしないといけないんじゃないのかい? おばあちゃんはそう思うよ」
僕は何も言えなかった。いつも優しくて破天荒なおばあちゃん。その人が僕に、僕達に前をみろ。しっかり前を見ろと言っていた。この出来事。この出会いはきっと彼女にとって、高坂にとって本当に大切で人生がかかっている事のように思えた。
僕は思わず席をたった。そして足早に扉に向かう。
「匠……」
梅さんのか細い声が聞こえた。
僕は振り返らずこう告げる。
「……梅さん。今の話なしね。 僕はやっぱり栞の言葉で全て聞くよ。 どんな結果でどんな想いがあるのか分からないけど、僕は栞とまた歩きたい」
梅さんがどんな表情で聞いていたのかは知らない。
ただ、答えを求め、答えを探し続け、それでも見つからない僕はここに立っていた。
僕に背を向けた彼女のように……。




