キミとの距離
高坂栞は笑っていた。
休み時間がくるたび、何人かの生徒に囲まれて楽しそうにしていた。
「なんか昨日とかは少し怖そうな人だなぁって思ってたんだけど、私の勘違いみたいね」
「うん、わかるー! なんか昨日とかずっと顔伏せてたし素っ気ないし……でも、今日は明るい子ってかんじ!」
女生徒に囲まれ高坂は笑って答えた。
「昨日はごめんなさい。実はコンタクト落としちゃって目がボヤボヤしてたの」
ああ、なるほど。だからあんなに不機嫌そうに見えたんだ。おかげで僕は首と腰が逝ったけどな。
午前の授業が終わり昼飯時になる。僕は隣の奏間に声をかけ席を立った。
教室のがやがやした雰囲気で食事をする気にはなれず、かといって毎回学食だと食費が気になる僕は大概は家からパンを持ってきて外で食べる。
教室を出たところでマナミと鉢合わせになった。
「あっ……」
「……めし……行こうか」
マナミは小さく頷き三人横に並んで歩いた。なんだか少し元気がなさそうなのは気のせいだろうか……。
「伊達っち待って!」
後ろから突然女の子の声がしてマナミが振り返った。僕らも後を追うように振り向くと、小柄な女の子が息を切らしてそこに立っていた。
「あー! ごめん留美! すっかり忘れてた」
「もー、さっき一緒に食べようって言ったばっかりじゃない」
頬を膨らませたその少女に僕は見覚えがあった。
「あれ? キミはたしか……」
「あっ、はい、あの……」
何故か僕と目が合うとマナミの後ろに隠れてしまったその少女は昨日、僕にハンカチを貸してくれたあの女の子だった。
「昨日はありがとね。ほんとは自分から探しに行かなきゃいけないのにクラスも名前も分かんなくてさ……」
僕は制服の内ポケットに入れておいた『花柄のハンカチ』をもう一度綺麗に畳んで彼女に手渡した。
「あっ……いえ……」
マナミの後ろから手を恐る恐る伸ばした彼女はいったい何に怯えているのだろうか。
そんな光景を見ながらマナミはジトっとした目で僕を見た。
「タク? あんたこの子になにかしたんじゃないの?」
「いや、してないよ! ね? してないんじゃないかな?」
「なんで最後疑問系なんだよ」
僕が二人に弁明していると
「いえ! なにもされてないです! 私少し人見知りが過ぎちゃってて……それに匠くんはそんな事する人に見えないです!」
今までモジモジしていた彼女ははっきりとした口調で言葉を発した。その言葉に満足し、僕は二人に勝ち誇った目を向けた。
「そう、それなら良かったんだけど……またタクが女の子連れ回したのかと思っちゃった」
またってなんだまたって! そう思ったが僕は今朝の高坂とのやり取りを思い出す。
「せっかくだからみんなで飯にしようぜ」
奏間はお腹がすいたと腹を押さえながら僕とマナミを交互に見る。
「そうね! ごはんごはんー! おなかすいちゃった!」
いつものマナミらしく元気に歩き出す。それに続いて僕らも歩き出した。
マナミ達は弁当を持ってきてないので学食で食べる事にした。
適当に空いている席に着いて、僕は袋からパンを取り出した。
「あー! またパンだけだぁ! しっかり食べないからあんたそんなに細いのよ!」
「そうかな? 体系はけっこう標準だと思うけどな。まぁ、マナミと比べたらほそ――」
「ああん!?」
「なんでもないです」
そんな僕たちのやり取りを『藤堂 留美』は笑って見ていた。
藤堂はマナミと同じクラスで入学式当日にマナミと友達になったらしい。人見知りで高校生活に不安があった彼女にマナミは持ち前の明るさでグイグイと距離を縮めた二人は、今ではもうすっかり気の合う『友人』になったそうだ。
「ほんと昔からマナミは人懐っこいよな」
「そうかなぁ? ふつうじゃない? それにこんな可愛い子ほっとけないじゃない!!」
たしかに藤堂は可愛い。まんまると大きな瞳が印象的でどこか小動物的な愛くるしさがある。まさに癒しの象徴であるかのようだ。
僕は彼女と少ししか話せていないのにとても好印象をもった。お互い人見知りである事もなんとなく僕にとっては好印象だった。だからか僕は自然と彼女に話せるようになっていた。
「昨日はほんとありがとうね。おかげさまでピンチは切り抜けれたよ」
僕は藤堂に改めて感謝を示した。
「昨日、登校中に匠くんの姿が見えたから勇気をだして声をかけてみようと思ったんです。伊達っちといつも仲良さそうに話してる人だから私も仲良くなりたくて……」
藤堂は少し顔を伏せ気味に丁寧な口調で話し始めた。
「声をかけようと近づいたら匠くん走ってどこかに行っちゃうから、慌てて後を追いかけたんです。そしたら公園で髪洗ってるからびっくりしちゃって……」
「おまえなにしてんの……」
「いや、それには深いわけががあってだな……」
奏間は呆れた顔で僕を見ていた。
「でも結局、話しかけるどころか逃げてしまいました……。だから余計に話しかけずらくなっちゃって。さっきも少し動揺してしまいました。へんな子だなって思いますよね?」
藤堂はさっきよりも深く顔を伏せ恥ずかしそうに静かに口を開いていた。なんともその姿が可愛らしく、僕は慌てて「そんなことはないよ!」と告げた。
ほっと胸をなでおろし、藤堂は今まで見たことの無いような天使の微笑みを見せてくれた。
昼食を済ませると、僕は教室に戻った。
次の授業は体育なので早めに着替えてのんびりとグラウンドに行こうと思っていた矢先、誰かが僕の背中を小突いた。
「ねぇ? どこ行ってたの? 探してたんだけど」
高坂が後ろに立っていた。長い切れ長の目が僕を捕らえる。
「ああ。マナミ達と飯行ってたんだよ」
僕が素っ気なく答えると高坂は少し不満げに文句を言ってきた。
「せっかくまた会えたのに……もう少し嬉しそうな顔したら?」
僕はなるべく笑顔を作り答える。
「ああうれしいうれしい。キミとまた会えて僕は幸せだ」
「なにそれ? 本心じゃないでしょ?」
僕は彼女の言葉に耳を傾けず着替えを手早く済ましてグラウンドを目指す。そのうしろから素早く体操着に着替えた高坂が走りよってきた。
「えい!」
「うわ!」
おもいきり背中に飛びつかれ僕は体勢を崩しかけた。ほぼ毎日マナミにされている事と同じなのだが相手が高坂、『おりんちゃん』だと思うと少し恥ずかしく、顔に赤みが増すのがわかった。僕の背中にあたるふくよかな胸が僕の頭の中を桃色に染めていく。
「ってコラ! 何してるの!?」
僕は必死に頭を振り正気に戻る。
「昨日の女の子にはしてたじゃない! 私はだめであの子はいいの?」
「いやいや! 意味わかんないから! 早く降りなさい!」
「えー! ほんとはうれしいくせに!」
まあたしかに悪い気はしないが……じゃなくて!
僕は無理やり高坂を振り落とすと彼女は「ふふ」っと笑っていた。なにやら楽しそうな顔をしているが、僕は羞恥のあまり頭から湯気が出そうだ。
「キミはどうかしてる。もう子供じゃないんだからそんな行動するなよ。本気にするよ?」
「私は本気よ?」
「だからさぁ――」
僕はまた朝と同じ事を言おうと思った。しかし
「いいじゃない別に知らなくても。私とあなたの歩いてきた時間はちがうもの。知らなくて当然よ。それに私はきっとあの頃と同じ気持ち……。きっとあなたのことが好きだった。だから私は私が残してきてしまったものをもう一度手に入れるためにここにいるの」
わけがわからなかった。ただその時風になびく彼女の前髪からのぞく彼女の顔が少し儚げで、触れてしまえば壊れてしまうようにみえた。あの頃と変わらない? 嘘だ。あの頃のキミはそんな顔をしなかった。
いったいキミはどんな時間を歩いてきたんだ?
僕とはちがうその道をキミはどんな気持ちで誰と過ごしたんだ?
僕は勇気を振り絞り高坂の手を引いた。
「えっ……」
「いくぞ」
僕は何かを見落としている。自分勝手に自分の汚い感情を彼女にぶつけている。
そんな自分がいやでたまらなくて僕は彼女の見ている世界が知りたくなった。




