高橋家
時間が刻々と過ぎていき、二人が帰り支度を済ませている間に僕はテーブルの上を片付ける。
ポテチの食べカスや水滴などの処理をしている間に二人の準備は済んだようだ。
「あー、いつもごめんね!」
マナミが慌ててゴミの入った袋を奪い取る。
「いいさ。いつもの事だからね」
「もー! そんな事言わないでよ!」
「きゃはは」と笑いながら僕の背中を叩いてくる。痛くはなかったが大袈裟に咳き込んで叩くのを止めさせた。
「タク、お母さんはまだ帰ってこないの? いつも遅いね」
玄関に着くと奏間が誰もいない居間を少し覗き込んで心配そうに呟いた。
「母さん仕事でいつも遅いんだ。アニキも同様だね」
「ほんとタクのお家の人頑張り屋さんだよね! 尊敬しちゃう!」
マナミが笑顔でそう言う。マナミにはきっと他意はないのだろうが。
「うち、貧乏だから……」
つい僕がぼやいてしまうと、マナミから笑顔が消えた。
僕はしまったと思いすぐに言葉を続ける。
「ほら、あれですよ? 貧乏ヒマなしってやつ? 暇だと色々先の事考えてお先真っ暗が見えちゃうし、忙しければ何も考えてる暇などありはしないって! あれ? 言葉の意味あってるかなぁ?」
「ううん。たぶん違うと思う」
奏間が笑いながら答える。それにつられてかマナミも少しだけ笑顔に戻った。
高橋家は貧乏である。
父は生活費も学費も出す事はせず、離婚してからもう数年が経つが一度も連絡が無い。
自分から連絡すればいいと思うかもしれないが、僕と兄は父から言われた最後の言葉を今も忘れず、そして憎み続けている。
小学生と中学生だった僕らは父と離れる前日父の職場の近くの公園に行った。残り僅かな一緒に居られる時間を大切にしたいからである。
父は会社勤めのいわゆる『サラリーマン』とか『正社員』ではなく、昔からの知り合いに小さな『ビデオレンタル屋』を任されていた。
『ビデオ』など今の時代死後であるが、僕がまだ小さかった頃にはまだ『DVD』なんて目新しい物だったし、ましてや『ブルーレイ』など存在してはいなかった。
その『ビデオ』をレンタルする店なんだから時代が経つに伴い、自然と各店舗消えていった。
父の店も経営は傾き、小さい頃の記憶といえど、父と母が僕の頭上で口論をしているのは今でも鮮明に思い出せる。
そして離婚が決まり店もたたみ、暇になった父と公園に来たときに言われた言葉が今でも本当に腹立たしく、許す事などできはしない。
「おとーさん! 公園一緒に来るのひさびさだね!」
父と久々に一緒に公園に来たのが余程嬉しかったのか小さい『僕』が父の手を引いて所々デコボコの砂利道を歩く。兄は少しつまらなそうに少し後ろからついてくる。
「そうだね」
父もどこと無く憂鬱そうに、たまに携帯の画面を開き時間ばかり気にしていた。
そんな態度の父をどう少年の匠くんは思ったであろう。拗ねた? 怒った? 哀しくなった?
どれも違った。
『不安』
になったんだ。
小さかった僕はやっぱり父も母も好きだった。母は大好きだったが父は好きだった。それでも嫌いなわけではないのだからやはり離婚はもの凄く哀しかった。
そんな父がもうこのまま自分を見てはくれないという『不安』が僕の心を締め付けたんだと思う。
何回か携帯を取り出し時間を確認する父の姿をみて、僕は何気なくこう言った。
「ねー! おとーさん! 携帯の番号変わったら必ず教えてね!」
なるべく笑顔で、だけどどことなく確認するように、恐る恐る聞いたのを覚えている。
その時の父の顔だけは今も思い出せない。
「えっ、なんで?」
父は当たり前のように実の息子に残酷で乾いた言葉をぶつけた。
その後は「お金に困ったらすぐ俺に頼るだろ?」とか「もし、宝くじが当たったら――」とか意味の分からない事を言っていたと思う。
僕はそっと父の手を離し、一歩後ろに下がった。今まで暖かいと思っていた、繋いでいた左手は嘘みたいにひんやりと冷たくなっていた。泣く事も怒る事も出来ずにいると右手に暖かい感覚がした。
「いくぞ」
静かに兄が僕の手を引き、父の反対方向に歩き出す。
その後の事はあまり覚えていない。後ろから父が追いかけてきたのか来ないのか。自分たちは家のある方向に歩いているのか。そんな事はもう僕ら兄弟にはどうでもよくて、夕暮れの空に見られながら黙々と道を歩いた。
時折震える兄の手にしっかりと握られ、行き先も分からず僕らは歩き続けた。




