『 第二十五話 ありがとうを伝えて 』
セイレーンの出現から一週間。アルゴーは臨時に成立した統治組織の元で、以前の活気を取り戻すべく、復興を始めていた。
麗らかな日差しの差す気持ちのいい昼下がり。少女は砂浜で一人、潮騒に耳を澄ませていた。打ち寄せる波の音。風が砂を優しく撫でる音。白いカモメが仲間にかける声。様々な響きが一つになって、海を表現していた。
「歌……みたいな。うん。良い所だったなあ」
体育座りをしながら、頭を膝にうずめ、丸まった猫のようになった少女は呟く。
今日は、別れの日だった。
「ネム、そろそろ行くぞ!」
遠方から、ひどくだらしない恰好をした男が声をかける。堅苦しい服は嫌い、そもそも一々服を選ぶのが面倒くさいとは彼の弁。いつも身に着けている服はヨレヨレで、それでも新調しようとはしない。ひどくみすぼらしい男は、これでも勇者だった。
「はい! 今!」
立ち上がった少女は、右手で靴を持ち、波打ち際を裸足で進む。湿った土の感触、足を洗う海水の冷たさ。盲目の彼女にとって、こんな些細な刺激こそが、世界を知るための大切な手がかりだった。そして彼女も、そんな刺激を好んでいた。
「名残惜しいか? 海」
「はい! 海だけじゃないんですけど、この国の人、船の人、船長さん、ベンジャミンさん。みんな、みんな、今日でお別れなんだって思うと寂しくて」
「色々あったもんな……、旅の始まりにしちゃ」
「嬉しかったこと、楽しかったこと、怖かったこと、悲しかったこと、本当にたくさん」
ネムはくるくると円を描くように歩き、名残惜しそうに語る。そんな彼女の頭を優しく撫で、ルーシーは空を見上げた。
「もっとたくさん知りに行こう。この世界が広いこと。っていうか、魔王打倒が一番大事な目標なんだけどさ」
「分かっています」
少女は口に手をあて、ちいさく微笑む。
「だから、のんびりしている暇なんて無い。そうですよね? “勇者様”」
「ああ。行こう!」
二人は港へと歩きだす。踏みしめる砂の音が、海の歌に重なる。二人の間を、そよ風が静かに駆けた。
「遅かったじゃねえか、二人とも。もう船出の準備は済んでるぜ?」
「悪いな。少し名残惜しかったのさ。な?」
「はい! 感傷に浸っちゃいまして……へへへ」
「あんな危ねぇ目にあったってのに、肝の座った奴らだよ、ったく」
港で二人を迎えたのは、現在、アルゴノーツ号の実質的な船長に任命されている老水夫、ベンジャミンだった。
「荷物はあれだけで良かったのか?」
ベンジャミンは船をみやる。彼が言っているのは、ルーシーが積み込みを頼んでいた僅かばかりの木箱のことだった。
「あれだけって言ってくれるなよ。あれでも運よくダメになっていなかったものを掻き集めたんだ。努力の結晶なんだぜ?」
「剣だとかも入ってたな? お前が使ってんのは、一度も見なかったが」
「俺の得物は短いヤツだからな。あれは捨てるに捨てられない形見みたいなモンなのさ」
「まぁ良い。金属は海の風に弱い。コイツはただの例外だ。手入れは怠るなよ。すぐに錆び付いちまう」
「気を付けとくさ。航海の間の暇なときに、カモメでも眺めながら磨くとするよ」
「そりゃあいい。さあ乗れ! そろそろ出るぞ、男どもがウズウズしてやがる」
ベンジャミンに急かされ、二人はアルゴノーツ号に乗り込む。あの日はまだ、船男たちから恐れられていた船だったが、今ではすっかり愛船の一つとなってしまったらしく、甲板の上は随分と賑やかになっていた。
「そういや、腕、もうなんとも無いのか?」
船員たちに指示を下しながら、老水夫は尋ねた。
「ああ。もう平気さ。元々たいした怪我じゃ無かった」
「ふん、よく言うぜ。血だらけでぶらりと垂れてた腕が重傷でなくてなんだってんだ。まあ、それが一週間で治っちまうたあな、若いってのはすげぇもんだ。ったく」
『過重負荷』、凄まじい量のエネルギーを一点に圧縮する補助魔法。かれが得意とする戦法、『渾身の一撃』に付加して放ったあの時、セイレーンは跡形も無く吹き飛んだ。しかし、この補助魔法の性質上、集中を受けた一点にはあまりに甚大な負荷がかかる。スマッシュには、『硬化術式』が含まれているとはいえ、彼の右手は激しく骨折した。
それが、ただ一週間で治っていた。魔法の力ではない。これは、彼自身の体質だった。
「昔から、怪我はすぐ治る体質なのさ」
「うらやましいもんだ。この年じゃあな、風邪にかかるだけで命の危機だ」
老水夫は豪快に笑う。
「嘘つけ。そもそも、お前みたいなのが風邪にかかるなんてのが信じられないな」
「ほう。そいつあ、褒めてるってことで良いんだな?」
「馬鹿は風邪をひかない」
「んだとぉ!?」
「勇者様、ダメです! 最後なんですから、仲良くしないと!」
いがみ合いに発展しかけた二人の会話へ、ネムが割って入る。大の大人が、半分の背丈もない少女に叱られる。そんな光景を、船員が笑う。笑うな、とベンジャミンは叫ぶ。
ただ、緩やかな時間が過ぎてゆく。
「船長さんに、ヒメロペーさんに、最後までお会い出来ませんでしたね……」
ネムがポツリと呟く。
「色々あったからな。心の整理も、仕事の整理も。仕方がねえ」
「そう……ですね」
「まあな。俺からしたら、ただ国を脅かす化物でしかねえんだが、あいつにとっちゃあ、大切な姉だったろうからな。それが、自分を恨んでいたとしても、だ」
ベンジャミンは水平線の遠く向こうを見つめて続ける。
「何が正しくて、何が間違っているのか。自分が打った手は、果たして最善の一手だったのか。いつだって、人は自問自答を繰り返す。だが、答えなんてでやしねえ。割り切れねえのさ。きっと、革命を起こした俺達も、セイレーンを討ったお前も、全てを率いてきたあいつ自身も、そうなんだろうさ」
波に滅茶苦茶にされた大通りは、懸命に復興を目指す町民の姿で溢れていた。ルーシーの視点はぼんやりと揺れる。港、大通り、そして宮殿へ。全てが変わってしまったようで、それでいて、本質はなにも変わっていなかった。
「今は組織構造の改革に大忙しだからな。気丈に振る舞ってる。悩みなんて無いみたいにな。でも多分、心の中では悩んでいるんだろうさ。そして、いつか必ず答えを出す。あいつはそれが出来る強い人間だ。側で見てきたから分かる。なに、心配はいらねえさ」
「そうか……。一言謝っておきたかったんだがな」
「お前の口から、そんな言葉が出るとはなあ。そんなこと、考えない野郎だとおもっていたんだが、ルーシー、俺の見当違いだったみたいだな」
「俺だって、人並みに悔やみはする」
ぽつり呟いた声は、独り言のように弱かった。
「出港の予定日と時間は伝えておいた。もしかしたら、居るんじゃないか?」
ベンジャミンの言葉に、ルーシーは港全体に目を走らせる。しかし、彼女の姿を捉えることは出来なかった。
「俺はここまでだ。こんな年寄りにも、頭を使う仕事が幾つか舞い込んできてるのさ。悪いな」
「……そっか。ありがとうな、ベンジャミン。色々と」
「お世話になりました、ベンジャミンさん! 旅が終わったら、また来ますので!」
「ああ。それまでは精々くたばらないように頑張るさ。土産話、期待してるぜ」
船を降りてゆく老水夫の背は、いつにもまして大きく逞しく、だというのに、いつにもまして早く遠ざかるようであった。
「野郎ども、錨を上げろ!!」
振り返ったベンジャミンが声を張り上げる。船の男は威勢良く返事を返し、遂に、錨が上がった。
「ネム、ちょいとじっとしてろよ」
「へ? ……ひゃあ!?」
ルーシーがネムを抱き上げ、船尾の方へ進む。彼女を降ろし、下を見やると、右手を掲げ二人を見送る老水夫の隣に、大きく手を振る女性の姿があった。
「ヒメロペー! あの……」
声を張り上げるルーシー。言葉を続ける前に、彼女も声を張り上げた。
「ルーシー! ありがとうございました! どうか、ご無事で!」
柔らかく澄んで、優しく高い声。
「馬鹿野郎、小童! 別れの時ってのはなあ、感謝の言葉を述べるもんだろうが!」
ルーシーの思惑を汲んだのか、ベンジャミンもしゃがれ声を轟かす。晴れやかに笑っていた。
「勇者様、船長さんが?」
「ああ。来てくれたんだ。最後にな」
二人は大きく息を吸いこむ。
「船長。ありがとう。お世話になりました!」
「船長さん! さようなら、ありがとうございました!」
船が動き出す。二人が遠ざかってゆく。
二人の姿が見えなくなった後も、ネムの耳には、旅立ちを祝う彼女の歌が、確かに届いていた。
大団円。
暫しの別れ。
旅はまだ、果てしなく続いてゆく。
これにて一章完。
そして、連載終了とさせて頂きます。
まだまだ序盤じゃねーか、という話なのですが……
詳細は活動報告にて述べさせて頂きます。
とかく、ただ一事、私から伝えさせていただきたいのは
「ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました」
ということです。
拙い文章に長らく付き合ってくださり、心より感謝申し上げます。




