『 第二十四話 落涙 』
アルゴノーツ号は進路を大きく左に切り、セイレーンの本体へ向け、一直線に進んでいた。
「全艦援護に回れ! 撃て、目一杯撃ちやがれ!!」
舳先で身を乗り出し、勇者はありったけの声で呼びかける。
「叫ぶまでもねぇ。あいつらが気付かないわけねぇだろうが」
大砲の球を抱えつつ、ベンジャミンは笑っていた。
仲間の船が一隻沈められたというのに、船団は恐れるどころか包囲を狭めていた。
アルゴノーツ号の進撃と共に、大砲の砲火が軍歌を奏でだす。それは、船長と仲間たちが、長年かけて培ってきた信頼の証。
「 火炎弾術式×圧縮術式 !!」
船を襲い来る鮫を、振り向きざまに迎撃する。赤く光る弾丸は、鮫の腹部を穿ち爆発を起こした。
猛進するアルゴノーツ号に危機を覚えたのか、セイレーンが船に向き直る。巨大な両腕が船を向く。すると、方々で暴れていた触手の全てが、アルゴノーツ号に狙いを変えた。
「撃て撃てえ!! 船長の船に、一本たりとも近づけるなぁ!!」
男達が奮起し、鉛の雨が水柱を撃ち砕く。途中で攻撃を受ける船も少なくなかったが、怯む船は一隻としてなかった。
しかし、完璧に砕ききることは叶わない。無限に再生し、増え続ける水柱が、一本、また一本と船体に近づいていた。
「勇者様! 目を、開きますッ!」
「ああ。やれ!」
触手が一本、船を沈めんと風を切る。だが、封を解かれた禁忌の前には、あまりにも無力だった。
空間が捻じ曲がるのではないかと錯覚するほどの圧。この世の病を抱合しきったような強烈な寒気。魔力の奔流は嵐のように渦巻き、近づく魔の手のことのごとくを粉砕した。
「相変わらず、すげーな、おい……」
眩暈、重圧、悪寒。重なる異常な力に、ルーシーは思わず膝を屈しかける。
しかし。
少女は立っていた。震える膝で、か弱い体で、青白い顔をしながらも、それでも船を護らんと踏ん張っていた。
「 強化術式 」
自分が膝を屈している場合ではない。ケリをつけにいくのは自分なのだ。
―― 今、やっと、自分は勇者なのだ ――
「やってやるさ。チクショウ」
勇者は立ち上がり、少女に背を預けた。
「ったく。すげえなぁ、オイ。嬢ちゃん、ここに居る俺達までビビっちまいそうだぜ」
奮起していたのは、皆同じであった。
国を守る勇者は、一人では無かった。
セイレーン本体に迫る。
左手が静かに伸びてくる。
「バーカ、こんな所で足止め食っていられるか!」
「「「 強化術式×強化術式×強化術式 」」」
ルーシーが跳躍する。船の舳先が下に傾いた。
「消し飛べ!」
空中で放たれた蹴りは、突風に似たエネルギーを持ち、迫る左腕を弾き飛ばす。
ルーシーは甲板に着地する。まだ、振り上げられた右腕が残っていた。
「ネム、思いっきりやれ!!!」
「……ッ。はい!」
少女は両の拳に力を込める。甲板が歪み、金属音の悲鳴を上げた。
「 強化術式 解除 」
「「「 遮断術式×遮断術式×遮断術式 」」」
アルゴノーツ号を、光の三重幕が包み込む。それでも、ネムの放つ力は強大だった。船員が巻き込まれて死ぬことがないように、今にも吹き飛びそうな意識を保ち、術式を起動し続けた。
アルゴノーツ号に影を落とす右腕が、次第に歪になってゆく。
炸裂した。
セイレーンが絶叫し、顔を歪める。
それでもまだ、ネムは、光を捉えぬ目で怪物を捉え続けていた。
セイレーンの顔が徐々に歪んでゆく。中央が窪み、僅かに広がって、深まって行く。
核となる者。セイレーン“テルクシペイア”が姿を現した。
突如、異変が起きる。
テルクシペイアが両手を空に掲げ、歌を奏でた。
清らかで高く、美しく澄んで、どこまでも“禍々しい歌”を。
「うっ……、く、え……ぁぁ」
「ネム? おい、ネム、どうした!?」
倒れたネムに駆け寄り、抱き起こす。少女は胸に手を当て、苦しそうに喘いでいた。
「だ……め、です。あの、歌を、聞いた……ら」
「歌……?」
風に乗った彼女の歌声が、勇者の耳にも届き始めた。
頭痛、吐き気、息苦しさ。強烈な悪意が彼をも包む。
「畜生……、最後の最後で!」
船室へ続く扉が開いた。おぼつかない足取りで姿を現したのは、二人だった。
「止めろ! まだ、中にいた方が……」
「へっ、馬鹿野郎。中じゃ、こもっちまうだろうがよ、小童が」
「へ? 何を……言って?」
ベンジャミンは力を振り絞り、甲板を駆ける。向かった先は“銅鑼”だった。
「行くぞォ!!」
ベンジャミンが銅鑼を打ち鳴らす。三度。その合図は……。
――― 野郎ども 凱歌を謳え ―――
「 標は空に輝いて 声は遥か果てへと届く 」
ヒメロペーの澄んだ歌声が、姉テルクシペイアの歌声と競うように響く。
「 夢を心の内に秘めて 愛を信じて我らは征かん 」
男達が声を重ねる。端正美麗でありながら勇猛果敢な混声。
それは「勇者に送る歌」。
「行け。“ルーシー”、ケリをつけてこい!」
「ああ。ありがとよ“ベンジャミン”。皆。ネム、少し待ってろ。今、ぶちのめしてくる!」
「「「 強化術式×強化術式 」」」
両膝を曲げ、力一杯に跳躍する。
海面を蹴り、何度でも飛び、ただ一点を目指す。
セイレーンの巨大な顔面や腕が、徐々に再生を始めていた。
「邪魔をするなッ!」
「「「 火炎弾術式×火炎弾術式×火炎弾術式 」」」
再生しかけの魔の手を、ばら撒かれた火炎弾が蒸発させる。
目前に迫った。
「恨むなら、俺を恨みな。サヨナラだ!」
「「「 圧縮術式×圧縮術式×圧縮術式 + 強化術式×硬化術式 !!! 」」」
全エネルギーが拳の一点に集中する。描く軌跡が光を帯びる。
託された思いを背負い、全身全霊を込めて。
勇者の一撃は、セイレーンを跡形も無く吹き飛ばした。
陽光が差した。
勝利の歌が高らかと響いた。
滅亡の危機は過ぎた。
ただ一粒、彼女の目に、頬に伝う涙の訳は、あまりにも切なかった。
空は青く高く、凱歌は悠々と響き、ここに伝説は成った。




