『 第二十二話 アトランティス 』
同時刻。船上にて。
「副船長、報告します! 宮殿から大量の人影が流れ出てきています! 恐らく、攻め込んだ者達が一斉に退去を初めたものかと!」
「はぁ!? 何が起きた? もう用は済んだってのか? 信号弾は?」
「いえ……その、何かから逃げ出したものと思われます!」
「逃げ出しただぁ? あの暴走機関車どもがか?」
海軍を押しとめるため、船上で交戦を続けていた老水夫は、突如起きた異変の原因を思案する。だが、暴走した民を逃走へ追い込むほどの異変を、彼は想定できなかった。
「意味が分からねぇ。クソッ、やっぱりついて行きゃ……」
「副船長! 気をつけてください! 砲撃、来ます!」
「畜生がっ!!」
海軍の息の揃った砲撃が船を襲う。致命傷となることはないが、如何に金属の船とはいえ、甲板に砲撃を受ければ、被害は少なからず出た。既に、船員が一人、帰らぬ者となっている。
鉄同士がぶつかり合う鈍い音が響き渡る。ベンジャミンが先ほどまで立っていた位置に鉄球が飛来していた。
「……畜生め」
舌打ちをしながら、海軍の船を睨みつける。だが、その頭の中はすぐに、別件の心配で埋め尽くされた。
―― 何が起きた? ――
その質問に応えたのは、鉄火吹き荒れる戦場となっていた“海”だった。
「な……んだ、おい! クソ、浸水しやがったのか!? この船が!?」
突如、アルゴノーツ号は大波に呑まれたような揺れに襲われる。転覆しかねない程の激震に浸水を疑ったが、船揺れを起こしているのは、海軍側とて同じであった。
「何が起きてる!」
見張りの男は目を剥いて青ざめていた。
「海が……、海面が、海面が急激に上昇しています! 海が街を呑み込みます!!」
「何、馬鹿なこと言っ……、はぁぁ!?」
ベンジャミンが宮殿側へ振り返ると、港近辺の市は既に、海面下へと沈んでいた。溶岩が大地を呑み込んでゆくように、恐ろしい勢いで海面が上昇していく。海すらもが怒り狂った。そう感じていた。
暫し呆然とそれを眺めていた彼の脳裏に、一つの危険信号が奔る。
―― このままいけば、海は街全体を呑み込み、溺死者が大量に出る ――
「酉舵一杯! 海面上昇に合わせて宮殿までの道を進め! 海に呑まれた民を船に引き揚げるぞ!」
交戦中に相手に背を向ける。その行為が持つ危険性は、船員の誰もが熟知していた。だが、彼の号令に異を唱える者は、一人として現れなかった。
「「「 酉舵一杯!! 」」」
皆の声が重なり、一つとなる。アルゴノーツ号は揺れに逆らうように進路を変え、真っ直ぐに宮殿へ舳先を向けた。
重なり合ったがれきの一つが持ち上がり、後方へと倒れる。
ドスン、という静かで重い音。
「無事だな? 二人とも。呆けてる場合じゃないぜ。さっきの化け物をなんとかしないと。この国ごと消されるぞ」
恐る恐る、二人分の人影は立ち上がる。
「さっきの……、姉が国を滅ぼすと?」
「もう姉じゃない。あれは“セイレーン”。恐ろしい魔物なんだよ」
「でも……」
「どうしても人として見たいってのなら、とどめを刺してやることだ。魂の行く先までは、悪魔にだって弄べねぇ。人と同じ場所に還してやる。俺達が出来ることは、それしかない」
突きつけられた現実を胸に抱き、ヒメロペーは葛藤する。
「そもそも……私達がセイレーンを倒すことって、出来るのでしょうか?」
ネムが声を震わせて尋ねる。勇者はすぐには答えなかった。
「兎に角、外に出よう。状況を確認しなけりゃ、何も始まらないからな」
ルーシーを先頭に、三人はがれきを掻き分け、宮殿の外へ出る。そこで待ち受けていたのは、あまりにも理解しがたい驚異の光景だった。
「海が、街を呑んで……」
ルーシーが唾を飲む。振り返ると、宮殿最上部の屋根の上に、人身台の異形の姿があった。
女性の上半身
巨大な魚のような下半身
白く艶やかな翼
髪は滑らかな金色を帯び
紅く輝く瞳は、朱に染まった唇は、三人を捉えて笑っていた
「“セイレーン”、これがあの野郎の力だってのかよ……」
「国ごと海に沈めるなんて、そんな馬鹿なことが!」
風が呻り、水面から幾本もの水柱が立ち昇る。高く、長く、鋭く伸びたそれは、鞭のようにしなりながら、宮殿の方へと向かってくる。
「……っくそ! あれ、俺らを狙っていやがるのか!」
「「「 強化術式 」」」
両脇に二人を抱え、ルーシーは大きく跳躍する。間一髪。彼が立っていた地は、暴れ狂う水流に抉り取られていた。
「ふざけやがって……」
一先ず建物の陰に身を隠す。だが、水流は宮殿を容赦なく撃ち抜き、各所に崩壊を招いていった。水平面が、既に足元近くまで上がってきていた。街は完全に水没し、その上を船が進んでくる。
万事休す。
そう思われた時、遠方から、聞きなれたしゃがれ声が響いた。
「「「 全門、撃ち方用意! 撃てえぇ!!! 」」」
数発の鉄球が飛来し、水柱ごと宮殿の壁を破壊する。そのうち一発は、セイレーンにも迫った。セイレーンは、空を泳ぐようにして大砲を避ける。一瞬だけ、顔をしかめた。勇者はそれをじっと睨んでいた。
「海戦へ持ち込むか」
小さく呟く。
「二人とも、もう一飛び、耐えられるか?」
「ええ。恐らく」
「……きっと、大丈夫だと……思います。はい」
ネムが思い切り気分が悪そうに答える。だが、選択肢が無いことに変わりは無かった。
「「「 強化術式×強化術式 」」」
力強く地面を蹴り、迫りくる海面へと跳躍する。地面が抉れる程の反動を受け、ルーシーの体は砲弾の如く飛び出した。
海面へ落ちる。
海面に触れる瞬間、面を蹴り、再び跳躍する。
繰り返すこと六度、最後の着地点は甲板だった。
「おせーじゃねぇか、爺さん。待ちくたびれちまったぜ」
あまりの衝撃でぐったりとしている二人を降ろし、飄々と言い放つ。
「いいザマじゃねえか、小童。死に損なったな。何よりだ」
憎悪の化身、自由の象徴、いざ決戦の時。




