『 第二十一話 厄災の魔獣 』
梯子は薄暗く湿った空間へと深く長く続いていた。ルーシーは、梯子の「は」の字にすら手をかけることなく、ぽっかりと開いた穴へといの一番に飛び込んでいた。比較的大きく聞こえる彼の着地音は、縦穴は暗くこそあれ、そこまで深いものではない、その証拠になった。
「早くおりてこいよー。先行くぞ」
ヒメロペーが梯子に足をかける頃には、彼の足音は既に、真下に広がる暗黒空間に反響を始めていた。
船長を先頭に護衛が続き、最後にネムが降りる。幸い、全員が降りきるまでに、王座の間に怒り狂った来訪者が現れることは無かった。
「急ぎましょう。ここも彼ら(・・)に見つけられてしまう前に」
差し込む灯りは先ほど開けた入口からのもののみ。進むほどに光を失っていく迷路のような道を先導したのは、音で世界を視ている少女だった。
少女の声が反響し、柔らかに響く。靴音と、彼女の声以外に音の無い不気味な空間が続く。
ほどなくして、先行していた勇者と一行は合流することになった。
「迷路になってんのか……ここ」
「ひいゃぁ!?」
船長が震えたガラスのような高い声を上げる。
「なんだ、可愛らしい声だすんだな?」
「……っもう! 心臓が止まると思いました。声くらい、かけてください」
「声かけたじゃん? だから驚いた、違う?」
「……っそ、そういうことではなくて」
他愛ない言い争いを始める二人へ声がかかる。
「少し静かにお願いします! 何か聞こえた気がして……」
二人は言葉を飲み込み、辺りは再び静寂に包まれる。呼吸音ですら鮮明に聞こえる。そんな空間だった。
「悲鳴です。悲鳴が……、皆さん、ついてきてください!」
ネムが壁面を軽くたたきながら歩き始める。後に続く者は、なるべく音をたてぬように彼女に続いた。
「ここから聞こえます。ここは扉になっていると思うのですが……」
「触った感じ、ただの壁なんだけどね」
いつの間にかネムのすぐそばに控えていたルーシーが、壁を撫でながら呟く。
「扉は別の所……なのでしょうか? この奥が空間になっているだけで」
「じゃ、それでもいいんじゃない? 空間になってるなら」
ニヤリと笑った彼は、右手で拳を作りだす。
「全員、少し離れて~。怪我したくなかったらね」
「また……」
怯え混じりの声で護衛の一人が呟き、そろりそろりと距離を置いた。
「そう! まただよ。 硬化術式!」
壁に拳がのめり込む。石がひび割れる音、砕け散る音。轟音と共に壁が崩れ落ち、風穴が開く。わずかだが、確かに輝くトーチの光が差し込む。壁の奥に在ったのは、石造りの教会だった。
教壇への通路の中心。そこに、血を流し、ぐったりと横たわる女性の姿があった。
「大丈夫ですか!? 意識は、まだ!?」
取り乱したヒメロペーが駆け寄り、彼女を抱きかかえる。辛うじて息はあった。だが。
両耳から血を流し
片目は大きく抉られ
喉は赤黒く変色していた
彼女は。
「テルクシペイア王女。ご無事でなにより、とは、言い難いねぇ。これ」
ゆったりと近づくルーシーの言葉に、強く反応したのはヒメロペーであった。
「いまなんと……?」
「テルクシ……ペイア……。あっ、ああ。そういうことか。ふーん」
「……実の姉が、こんな……」
船長は落涙し、紅く染まったドレスの姉を抱きしめる。悲鳴とも、嗚咽ともつかぬ声が、静かに教会を包み込んだ。
「ルーシー! あなたなら!?」
「無理言うな。俺は医者じゃない。それに、魔法はそんなに万能じゃない。“死人”を蘇らせる魔法なんて、存在しないんだよ」
「死んでなんか! 死んでなんて、だって息をしています!」
「……もう離れた方が良い。血の匂いがまだ“新しい”からよ」
その声は一際低く、誰かを刺すように尖っていた。
“コト”の展開は唐突に始まる。
力なく伸びていたテルクシペイアの細腕がヒメロペーの首元に伸び、力の限りに締め上げ始めた。
「う……そ? ど……して?」
「タチがわりぃな糞野郎!」
ルーシーは素早く駆け寄る。テルクシペイアの手を引き剥がし、遠方へ投げ飛ばした。
ヒメロペーは混乱し、訳が分からないという表情で勇者を見つめる。
「死んでいる。そう言っただろう? 案の定、生きている演技をさせられていたんだよ。どこかの誰かさんにな」
ルーシーが辺りを見回し、一点を睨みつける。
空間が歪み、黒く染まり、やがてその染みは形を伴い、声を発した。
「ひひひひゃyぁyyゃyぁあえあふぁhじゃjjか!?!?!!??!!」
けたたましい笑いが響き渡る。背筋を悪寒が奔るような、気味の悪い毒を含んでいた。
「ハハハ、ハハハア、アハハアハハン……アン、アァン!」
「黙れ。今殺してやる」
ルーシーの手から鈍く輝く刃が飛ぶ。
だがそれは、あまりにも不気味な影の前で、勢いを失くし、力なく音を立てた。
「そんなモンで俺様が殺せるワケねーダロ! バァーカ! バカバカヴァーカァ!!」
ルーシーはそれに張り合わず、ただじっと、その存在を見据え続けた。
「どこの、誰だ?」
「検討はついておりましょう? 私め、魔王様の直属の部下にございます」
「名前」
「メフィストフェレスと申します。如何様にでもお呼びください」
先ほどとは打って変わって、明朗な口調で滑らかに話す。それが一層不気味さに拍車をかけていた。
「あの人に何をした?」
「見ての通りにございます。痛めつけテェ、なぶっテェ、心の奥底にあるものを引っ張り出してやっただけダヨォー! にございます」
安定しない口調に追従するように、メフィストフェレスの顔面も落ち着きなく移り変わる。
「あなたが……、あなたが姉をこんな風に!」
「痛めつけたのはボクちんだよ? でもさ、でもさでもさでもさ! 首をぎゅーてされたのは、君が悪いんだからね? 君のせい。君がアレに恨まれてたのが悪いんだよ?」
「えっ? それは……」
困惑するヒメロペーへ、ルーシーが声をかける。
「聞く耳を持つ必要はねえ。どうでもいいことばかり並べたてやがって!」
「どうでもいいか、はあなたが決めることではないのでは? それに、あなたにとって、これはどうでもいいことではないでしょう。お忘れではありませんね、宵星の神子」
メフィストは愉快に顔を歪めながら、その笑いの奥で、ルーシーを見据えて離さなかった。
「黙れ。二度と口をきけないようにしてやるよ。厄獣」
「……は? ああ、ハハハ、ハハハハハ!」
「何がおかしい?」
「誰から話を聞いたのかは訊かないでおいてあげましょう。愉快、愉快すぎますからネェ! 腸捩れて死んじゃいそうなくらいにネェェェエエ!」
「何がおかしいんだって訊いてんだよ!!」
ルーシーの怒号を受けても、メフィストが笑いを収めることはなかった。ひとしきり笑い転げた後、彼の声は、先ほどにもまして落ち着いていた。
「厄獣がそう頻繁に現れることはありませんよ。あなたにその知識を植え込んだお方は、嘘を吹き込んだ、というわけです。まあ、その嘘も私が吹き込んだわけですがね」
「……は?」
「厄獣のことはあなたが最もよくご存じのはずでしょうに。それとも、全て“忘れて”しまわれたのですか?」
「……何を知ってる?」
「全て」
睨み合う二人。空気は閉ざされたように凍り、誰もが足を地面に張り付けたままに固まっていた。
「って! こんなお喋り続けたって、つまらねぇよナァ! 死体祭りしよーゼェ! そらよォ!!」
悪魔が指を打ち鳴らす。六人の従者、その全てが肉塊と化した。
ネムが悲鳴を上げ、ルーシーに駆け寄る。
「アァ、小気味いいなぁ! こういうのを待ってたんだよ! 楽しいよナァ。そうだろう? え? そうだろう? 勇者様ァ!!」
「テメェ、今何をしやがった!?」
「吠えんなヨォ。大したことしてねーじゃん。厄獣はこんなモンじゃないぜ?」
ニタニタと笑う。
「で、もっと絶望してもらおうかナァ。だってこの程度じゃ“ツマラナイ”ダロォ! 世界を壊すなら“厄獣”が要る。けどナァ、国を壊す位なら“魔獣”でこと足りるんだヨォ!」
ヌッタリと、笑った。
メフィストの右手が禍々しく輝く。黒と紫の混じった煌めきは、ゆらりと流れ、横たわる遺体の中に流れ込んだ。
「歌を愛し、妹を憎み、民を物としてしか見ることの叶わなかった為政者。その人生の終わり(フィナーレ)に相応しい惨劇を! 目覚めろ“セイレーン”! 欲にまみれた愚かしい者よ、憎しみのままに、全てを蹂躙するがいい!」
屍が浮かび上がり、黒い靄に包まれてゆく。
「では。私はここまで。アディオス!!」
教会全体が崩壊を始める。レンガが砕け、紫光を伴い宙を暴れる。
「勇者様……」
ネムがルーシーにすがり寄る。船長の目も、恐怖と困惑、そして悲しみで揺れていた。
「寄れ。必ず助けてやる。だから、今は俺を信じろ」
「「「 遮断術式 」」」
轟音が彼らを包み込む。
石室は崩壊した。
悪魔、憎悪、惨劇。




