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『 第二十話 治める者 』

「一体何故こんなことに!?」


 ヒメロペーはほとんど悲鳴にも近い声を上げながら、遥か遠くに見える宮殿への一本道で風を切っていた。彼女の周りには数名の船員。急遽付けられることになった船長の護衛達である。

 遡ること数分。陽動作戦に成功した彼女らの船は、海軍の組んだ密な包囲網をいとも容易く突破、大きく引き離し、港へと接岸することに成功していた。だが、港についてみると、暴徒と化した民衆が宮殿へと流れ込み、一本道は踏み荒らされた出店の残骸と砂ぼこりの激しく舞う地獄絵図となっていた。平和的な解決、無血の革命、世代交代を画策していた心優しき長ヒメロペーにとって、この光景は受け入れ難いものであった。当初の予定では、船長は宮殿へと急ぎ、残った船員が民を運んできた味方の船と共同で海軍を足止めするという手はずになっていた。

 だが、予定外の事態の危険性を考慮し、ヒメロペーには数人の護衛が付けられることとなる。この結果、アルゴノーツ号には人手が足りず、ベンジャミンは船に残り指揮を執ることとなった。

この状況下で、恩師に等しい存在と別行動をとることは、ヒメロペーにとって、精神的にも辛い決断であった。


「先に行って! あなた達だけでも、止めて! お願い!」

「落ち着いてください、船長! 私達では暴徒化した連中を鎮めることは出来ません。出来るとすれば、それは船長、あなただけなんです。私達はなにが起きようと、船長だけはお守りします。ですから落ち着いてください!」

「……すみません。取り乱しました。急ぎましょう!」

「はい!」


 粉砕された屋台のテントを踏み越え、砕けた果物で塗れたレンガを蹴り、可能な限り素早く宮殿へと駆け付ける。

 既に民衆は内部に攻め入り、打ち壊しや略奪の音、男女入り混じった怒声や悲鳴が、純白の壁面から漏れ出していた。


「まずは王族の身柄を」


 動揺、焦燥、恐怖、心配、様々な感情をなんとか押し殺し、出来る限り冷静に振る舞う。皆を束ねる長として。ヒメロペーは早鐘を打ち続ける心臓と対峙していた。

 船長を中心とし、六人の護衛が周囲を囲む。宮殿の内部は、入口からすでに荒れ果てていた。貴族に恨みを持つ者、富を得んとする者、思惑はちぐはぐにせよ、行動の形は変わらなかった。


「止めなさい! 落ち着いて! こんなことをしても意味はありません! 暴力で解決することなどなにもないのです!」


 張り上げる声に耳を貸す者は誰一人としていない。


「いたぞ! こっちだ、こっちに貴族がいるぞ! 殺せ、ぶっ殺して身ぐるみはがしてやれ!!」


 貴族を発見した若い男が声を上げると、周囲にいた老若男女がその部屋へと雪崩れ込む。悲鳴、罵声、破砕の音が奏でる三重奏(トリオ)は、そこがいかに厳かな場所であったかを忘れさせるには、あまりにも十分すぎた。


「どうして……、どうして!?」

「落ち着いてください、船長。急ぎましょう。とにかく、王族の身柄だけでも」


 あまりに凄惨な光景に、抑えていた焦りが隠せなくなる。落ち着かせようと声をかける男の声にも、どこか怯えに似た色が滲んでいた。


「先を急ぎましょう! こちらです!」


 見取り図を携えた男が先陣を切って進んでいく。右手には愛用の棍棒が固く握りしめられていた。

 王座の間へと続く扉は半開きとなり、とっての部分が滅茶苦茶に破壊されていた。

 意を決し扉を開くと、そこには二人分の人影があった。


「遅かったな。この部屋にいる意味は何もないさ」

「せ、船長さん……その、あまり、見ない方が」


 振り返った二人が無念そうにもらす。


「奥で倒れているのは……うっ」


 二人の後ろで倒れている男を見つめていた男が急に口に手を当てる。血の匂い、肉の

匂い、怒りの匂い、憎しみの匂い。二人の背後に“在った”のは、もはや人間の遺体ではなかった。


「王は死んだ。民を収めるはずの為政者が、民を貶め、民から恨まれる。で、民に殺される。典型のパターンだ。歴史が動く時のな。だがまぁ……」

「それでも、人が人に、こんなことが出来てしまうなんて……。おかしいです」


 いつもは軽々しい男も、いつもは向日葵のような少女も、目の前の光景の異常さを測りかねていた。否、受け入れられずにいた。


「……そ…………な」

「船長、大丈夫ですか、お気を確かに!」


 ヒメロペーは膝から崩れ落ちる。その目は虚空すら捉えず、ただ、絶望を映す鏡となっていた。

 ルーシーが静かに歩み寄る。少女も続く。


 慰めの言葉であり、残された希望の言葉。


「なんだっけかな? 確か、テル王女。テル……なんとかっつう偉そうな貴族だか王族いただろ? そいつはまだ見ていない。まだ逃げ延びて生きているかもしれない。虚無に身を任すのは個人の自由だ。だが今、あんたは仮にも『悪魔と化した人間』どもを束ねなきゃいけない存在だろう。まだやることが残ってるんじゃねえか?」

「私達は探しに行きます。怒っている皆さんの言い分だって分かります。酷いことをされた恨みつらみがあることも。でも、だからって、こんなことがまかり通って言い訳がないんです。憎いから、相手も辛い目にあわせる。それじゃ、憎い人が増えていくばっかりです。だから、だから……」

「憎しみのループを止める。悪循環は何も産まない。船長、どうする?」


 ルーシーは真っ直ぐにヒメロペーだけを見つめる。ネムはなにも言わず、彼女の手を取った。


「憎しみの連鎖は、何も産まない……。憎しみが増えるだけ。私に、出来ること」


 ネムの手を握り返す。瞳には色が戻った。


「見取り図があります。既に見て回って箇所を教えてください」


 護衛の一人が、踏み荒らされた赤いカーペットの上に、城内の見取り図を広げる。


「ほー。詳しいな、これ。内通者でも買ってたか」


 ルーシーは地図を静かに覗き込む。


「チェックがついている所、残念ながら、全部ハズレだ」

「そんな……」


 希望を取り戻しかけたところで放たれた残酷すぎる答えに、ヒメロペーは激しく狼狽える。


「けど、見当がついた」

「えっ?」


 そう言ってルーシーは、見取り図上の空白を指で指す。


「おかしいと思わなかったか? いや、そんな余裕ないか。この部分、二階には部屋があるんだが、一階には何もないんだよ。空中に土台が唐突に現れることは有り得ない。ここには何かがあるってことの裏返しさ」

「隠し部屋……というわけですか」

「そう。でな、うれしいことに、隠し部屋の上にある部屋ってのが、どうも此処らしい」


 ルーシーは王座の間をぐるりと一望する。


「お前らが来る直前までは、ここも阿保みたいに騒がしかった。俺ですら、なにも出来ない位にな。けど、今なら。この部屋に隠し通路があるかもしれないってのなら、この部屋に来た意味があったみたいだな」


 ルーシーはネムを見つめる。少女は視線を感じたのか、ルーシーの方へ向き直る。


「私、ですね? 勇者様」

「ああ。頼めるか?」

「必ず見つけます、必ず!」


 ネムはすっと立ち上がり、部屋の中央へと迷いなく進んでいく。


「じゃ、皆さん、ちょーと静かにしててね? 息の音とかも抑えてくれると嬉しいな」


 ネムは小さな手を握り、その拳で、一定のリズムを床に刻んでいく。


コンコンコンコンコン、コンコンコンコンコン、コンコンコンコンコン……


 五拍のリズムが、静まり返った王座の間をゆったりと満たしていく。


コンコンコンコンコン、コンコンコンコンコン、コンコンコンコンコン、『ゴン!』


 強く拳を打った音と共に、部屋は再び静寂に包まれる。

 それを破ったのは、少女のほんの少し希望に含む声だった。


「隠し通路、ありました!」


 ルーシーの元へ、誇らしげに走り寄る。


「あそこです!」


 少女の幼い指は、集団右方の床の一点を指す。床に散りばめられた『アルゴノーツ号』の旗のエムブレムの一つ、それが入口だと話した。


「ここが入口であってる?」


 ルーシーが靴の踵で一点を打つ。少女は威勢よく「はい」と答えた。


「開け方とか分からないし、力技で」


 言うや否や、ルーシーは大きく振りかぶった右拳をエムブレムに叩き込む。


硬化術式(アームド)


 レンガが砕け散り、粉砕された欠片が飛び散る。砂ぼこりが舞う中、ルーシーの声が場違いなほど陽気に響いた。


「ネム、でかした! ビンゴだ!」


 埃がおさまる。彼はじっと、深く暗い縦穴の底を見据えていた。


「梯子がある。さっさと降りようぜ?」


 勇者は誘うように笑った。




国王の務め、船長の務め、勇者の務め。

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