『 第二話 盲目の天使 』
二車両目の宿泊車、そこにいたのは十二歳にも満たないであろう幼い女子であった。
「その足音は……、ポーシャさんですね! でも、もう一人の方は……」
「勇者様よ、ネムちゃん」
ポーシャは不安を悟られないように、出来るだけ陽気な声で言った。
「ゆっ、勇者様!? えっと、えっと……あの、ネムって言います」
白髪でゆったりとしたワンピースを着た少女が、ルーシーの方を向いて言った。
(おい……、姉さん、まだ子供じゃないか!)
ルーシーは小声で言いつつ、ポーシャの腕をひじでつつく。
「あっ、すみません……。やっぱり、子供はだめですよね……」
どうやらネムには聞こえていたらしい。
「この子、すごい地獄耳だから、手話でもしない限りどんな小さな声でも聴きとるわよ?」
「姉さん……遅ぇよ……」
微妙な間が流れる。取り継いだのはポーシャだった。
「まぁ、子供ではあるんだけどね。勇者があなたなら、きっとこの子が最適だから。ううん、この子以外は紹介できないわ」
「勇者が俺ならって……誰かが関係するわけ?」
「する。“大変強く”影響するわ。そしてあなたのパートナーとしては、彼女が最適なはずなのよ」
ポーシャは迷いなく言い切る。ルーシーは目の前の少女に目を向けた。おとなしくて可愛らしい雰囲気を纏っている。どうにも血なまぐさい戦場に立てるタチには見えない。
「えっと……あの、勇者様。私、何にもできなそうに見えるかも知れませんが、料理、洗濯、掃除等の家事なら何でもできますよ! あっ、えっと……棒とかも、頑張って振れるようにしますから、だから……」
「嫁にするなら最高だろうけどな……、戦友とするにはなぁ」
「えっ!? 勇者様のお嫁さんにですか!?」
「違う、仮にするならって仮定の話だ」
ルーシーが慌てて否定する。ネムはしゅんとしながら、すみません、と一言言って小さくなってしまった。微笑ましい会話でポーシャの緊張が少しだけ解け、顔に笑みが戻った。
「姉さん、笑ってる場合じゃないでしょ……。この子とどうやって旅しろと」
クスクス笑いをなんとか収め、ポーシャが話す。
「家事全般、いないと困るでしょ? 旅って長いのよ。戦闘はあなた一人で解決出来そうだし、その他を全てカバーできるこの子、とっても優秀だと思うけど」
ポーシャは子供に言い聞かせるように言う、もちろん、ルーシーの抗議も間髪入れずに始まった。
「いや、さっき自分であんなに危険だって言ったじゃないか! それにこんな小さな子を連れて行けって、姉さん正気なの?」
「さっきから姉さんに戻ってる、ポーシャって呼んでって言ったでしょ?」
(どうでもいいだろ、そこは……)
ルーシーは心の中で鋭いツッコミを入れる。何と返そうか迷っていると、ポーシャが先に言葉を紡いだ。
「冗談は抜きにしてもね。この子、ホントにすごい力があるのよ」
「……すごい力?」
信じられるわけがない。どう見ても普通の少女だ。一点を除いては。その一点とは顔に、正確には目を覆うように巻かれた包帯だった。目隠しをしている。だが、様子や話し方におかしな点は見られない。火傷で失明して、目の周辺が酷いから隠している、きっとそんな所だろう。こんな少女に……
「ネムちゃん、包帯はそのままでいいから、少しだけ目を開けてみてくれる?」
「えっ……。目をですか……? でも」
「大丈夫。私達は二人とも、一般人よりは耐性があるから。ほんの少しでいいから、ね?」
ネムはしばらくオロオロしていたが、やがて覚悟を決めたようだった。
「えっと、勇者様。普段は決して目を開けたりしません。足手まといになるような事は致しません! それだけは……」
「分かったよ。大丈夫だから。だから、目を開けてみて?」
ルーシーが最後の一押しをする。そもそも、家事しかできないのであれば、最初から連れて行く気は無いのだから。
「では……いきますっ!!」
ネムの顔がルーシーらの方を向く。途端に、辺りの空気が戦慄した。殺気がする。悪寒が全身を這い、動悸が突然激しくなる。“殺される”無意識にそう感じた。逃げようとしても、足が動かない。視界が歪み始めた。全身の力が抜け、気が付けば膝をついていた。
「はぁ、はぁ。ポーシャさん、この位で大丈夫でしたか?」
少女は息を切らせながら問いかける。
「えぇ。完璧よ。ルーシーなんか腰が抜けてしまったみたい」
心なしか楽しそうにポーシャは言う。
「姉さん……これは一体?」
「すごいって言ったでしょ? 優しくて、可愛らしくて、家事もできて、おまけにこんな一芸もある。これ以上ない人材だと思うわよ?」
認めるしかない。確かにとんでもない力だった。自分ですらあっさりと膝をつかされた。今やルーシーは、目の前の少女に深い興味を抱いていた。
「一体、どういうカラクリで? ネムも魔法が使えるのか?」
先ほどの異変。相当強力な魔法を使ったに違いない。そう確信していた。だが、
「違います……。理由は、理由は言えないのですが、これが私の力なんです」
少女の声は何故か悲しみを帯びて聞こえた。これ以上聞いてはならない、ルーシーは直感でそう感じた。
「知りたかったら、彼女を旅に連れて行ってあげなさい。いつか、ネムちゃんが心を開いてくれたら、教えてくれるかも知れないわよ?」
「でもさ……」
ルーシーはやはり気にかかった。ポーシャの言う通り、危険すぎる旅になる。下手をすれば命を落とす。そんな危険を孕む旅に、少女を連れ出すのは気が引ける。
「ネム、お前はどうして旅に出たい? どの位危険かは聞いているのか? それを聞かせて欲しい。でないと連れてはいけないよ」
ルーシーはネムに歩み寄った。どうするか。この決断は重い。悩むだろう、そう思っていた。ネムの答えを聞くまでは。
「私、魔王様を助けなきゃいけないから。魔王様は苦しんでいるんです、誰にも知られないままに。私はそれを知っています。だから、だから助けに行かなくちゃ!」
「……」
ルーシーは息を呑んだ。ネムの雰囲気が一変して、勢いを帯びていた。
「ね? 面白い子でしょう?」
ポーシャは悪戯っぽく笑う。さっきまで心配しかしてなかったくせに。きっとこれも、この子の、ネムの力なのかもしれない。
「はぁ……。分かったよ、決めた。一緒に行こう」
「はっ、はい!!」
ネムは顔を輝かせて答える。その姿は、その無邪気さは、年相応の少女の様だった。ルーシーは真っ直ぐにネムを見つめる。
「一つだけ、最後に忠告しとく。俺はクズだ。腐った大人だ。俺を信じるなよ」
「へっ……?」
ネムは素っ頓狂な声を上げ、ぽかんとした表情を浮かべた。横で見ていたポーシャがため息をついた。
「ごめんね……。この子もこういう所があってね。あんまり気にしなくていいわよ」
「姉さん、これは冗談じゃ……」
「いいの、冗談じゃなくても。あなたは過去に囚われ過ぎてるわ。もう、あなたは“人間”なんだからね」
「それはっ」
「見つけたいもの、あるんでしょう? たとえ命を懸けてでも……。なら、その目は前に向けなさい。後ろを見て振り返るのはもういいの」
「うっ、そう……だけど」
「全盲の天使でも気取るつもりなの? 天使は目の前の子で十分よ。あなたの目はまだ光を捉えてる。前を向いて、しっかり見て、受け止めなさい。“人は前進する生き物”なの。いい?」
「……分かったさ。善処しますよ、はぁ……」
「あの……」
会話の中に入り込めない少女が、一人、申し訳なさそうに声を上げた。
「あっ、ごめんね、ネムちゃん! 今、この子を暗いことばっかり言わないように叱ってたのよ、でも安心して? この子、暗いことばっかり言わないって約束したから、ね?」
ポーシャはルーシーに目配せをする。ルーシーは小さくため息をついた。
「あぁ、少しは前向きにやるさ。ネム……で良いよな? 改めて、よろしく」
はいっ、と少女は元気に返事を返す。
盲目の天使が二人、旅が、ここに始まる。