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『 第十七話 魔眼 』

 三人が立っていた床がえぐれ、粉々になったレンガが辺りに飛び散る。息をする様子もなく、ただ淡々と、鉄の怪物は次の攻撃へと姿勢を整えた。粉塵で姿が霞み静かに揺れる。トーチで照らされた薄ぼんやりとした広間の一角で、紅の双眸が鋭く輝いた。


「爺さん! そっちが狙われてる!」

「分かっとるわい、畜生め!」


 ベンジャミンは腰に差したピストルを抜き放ち、獅子の頭部へと乱暴に発砲する。鋭い発射音と共に放たれた鉛の弾丸は、鋼鉄の体に弾かれ、虚しい金属音を響かせるだけだった。


「やっぱピストルなんか効かねぇか、くそったれ!」


 大振りに右前腕が振り下ろされる。間一髪で左の空間へと飛び込みそれを回避する。鋭く磨かれた鋼の豪爪に見た僅かな紅色に、老人は背筋を凍らせた。


「何人殺ってきたんだ? あの化物は」


火炎弾術式(ファイアボール)!!」


 向かい側にいた勇者が、怪物の横っ腹に向けて魔法を放つ。だが、この炎弾も怪物の装甲を破るには至らず、表面に軽い火花を散らす程度にとどまった。


「あーもう! あんまり得意じゃないんだよ、魔法は!」

「もっと派手なの出来ねぇのか! 勇者サマだろ!」

「どっちかっていうと荒事の方が得意なんだよ。悪かったね、無理だ!」


 獅子の双眼が勇者たち二人を捕える。


「勇者様……ッ」

「ダイジョーブ。お前はどうにかして守ってやるから心配すんな」


 勇者は少女を背後に背負い立ち、キメラと真っ向から睨み合う。機械の怪物が動くより早く、ルーシーが相手の懐へと飛び込んだ。


「魔法がダメなら、こういうのはどうよ」


 羽織の内側に手を忍ばせ、両手に良く馴染んだナイフを握る。キメラの胸の辺りを左手に握ったナイフで大きくなぞる。勿論、鋼鉄の皮膚を破ることは出来ず、小さな火花がバチバチと散った。


「切るのは無理……ね」


 怪物が身を捩って弾き飛ばそうとするのを器用に避け、左手のナイフを地面に突きつける。


「爺さん、ネムを頼む!」

「おうよ!」


 ルーシーはキメラをからかうように、腹の下をくぐっては前足の前へ、その手を潜り抜けては後ろ脚の元へと縫うように走り回る。ベンジャミンはキメラがどうにか勇者を払いのけようともがいている間に少女の元へと駆け寄り、その小さな体を抱き上げた。少女が上げた小さな驚きの声は、鉄爪が地面を削る破砕音で掻き消された。


「なにやってやがる、おめぇ」


 勇者を振り返ったベンジャミンが唖然としながらも、何とか喉から声を絞り出す。ルーシーはキメラの背中の上を走っていた。


「うっし、こんなモンだろう」


 勇者はキメラの背中から飛び降り、背を向けて走り出した。キメラが追いかけようと前足を動かした瞬間、金属が歪に軋む音が広間に響き渡る。勇者はナイフを地面に突き立てる。直後、鉄の悪魔は激しい土埃を立てながら横転した。


「馬鹿なっ」

「爺さん、急げ! 今のうちだ!」


 勇者は広間の奥へと脱兎の如く走り出す。暫しポカンとしていたが、ベンジャミンもキメラが動けなくなった、という今の状況を認識し、少女を抱えたまま後に続いた。

 広間の奥には何度も見たような重装飾の扉がそびえていた。


「で、どうやって開くんだ? コレ」

「……これじゃねぇのか?」


 ベンジャミンが扉に埋め込まれた巨大な枠を指さす。四×四の十六マスの枠の中に、十五枚の絵の断片が描かれた石板がはまっていた。


「あー、こういうヤツか……。あんま得意じゃないんだよな、俺。ちゃちゃっと解いてくれ。任せた」

「……ったく、そう難しいモンじゃねぇだろ、この位」


 ぼやきながらも渋々と、老人は目の前の石板と向き合う。石板の一枚に手を重ねる。剥がせるものではなく、滑らせて絵を合わせなくてはならない。面倒だなと舌打ちをしたその瞬間、強靱な繊維が千切れ、床や壁を叩きつける音が響き渡った。


「うん、割と持ち堪えた方だろうな。……はぁ、次はどうしたもんか」

「畜生め……」

「爺さんはパズルに集中してくれ。こっちはこっちでどうにかする」

「信じるぞ」

「了解!」


 機械の獣が三人を補足して走り出す。それを押し返す為、ルーシーも真っ向から駆け出す。ただ、どう押しとめるかに関してノープランだった。


「私……忘れられてませんか!?」

「のあっ、なんでお前も来てんだよ、ネム!」

「私も戦います! 足を引っ張っているばかりでいられませんから」


 ネムがルーシーの前に躍り出る。彼より一回りも二回りも小さい背中には、決意と覚悟がしっかりと読み取れた。


「ベンジャミンさんには、勇者様がやったこととお話してください。そちらの方が、丸く収まると思いますので」


 少女が発する言葉に、いつものような無邪気さは無くなっていた。冷え切って、悟ったような冷たさを帯びた声。震えることも無く、上ずることも無く、ただ淡々と放たれた言葉には、驚くほどに温度が無かった。


「ネム、お前」

「“目”を開きます。下がってください」


 少女の背中から凍てつくような殺気が流れ始める。有無を言わせず相手に膝を折らせるような圧倒的な威圧感。背後にいたルーシーまでもが、「死」そのものを目の当たりにしたような感覚に呑み込まれた。いつもは明るく健気な少女の背に、その時は確かに異形を感じとれた。フー、フーと細く低い息が少女の口から漏れ出す。吐息が漏れるたびに、体感一度、周囲の空気が熱を失っていく。


全身に鳥肌が立つ。

背筋をわるいものが這う。

脳髄を見えない手が揺さぶる。


勇者の身を、眩暈のような感覚が襲い始めた頃、少女が小さく呟いた。


「―――」


 何を唱えたのかを彼が聞き取ることは叶わなかった。か細く、弱く、毒々しく。言葉になるかならないかの狭間を漂うような音の羅列。それが彼の耳に届くや否や“天地が崩れた”。


より正確に言うならば、怪物の上の天井が崩落し、下の床がせり上がって、間に在った存在を文字通り“鉄塊に変えた”のだ。


「マジ……かよ」


 絡繰りの獣が断末魔の咆哮を上げる。ネジが飛び、歯車が外れ、鉄板が滅茶苦茶にねじ切れる音。鉄のキメラが完全に行動を停止するまで、ネムが仕掛けたプレスは一向に弱まることはなかった。いや、一層凄絶さを増してすらいた。


 やがて、怪物の目に灯っていた紅がくすむ。活動を停止したアイアンキメラの前に、少女は息を切らしながらぺたりと座り込んだ。その背中にはもう悪魔の影は無く、ただ小さくか弱い少女のものへと返っていた。


「ネム、平気か?」

「……はい。なんとか」


 勇者は敢えて、深く切り込むことはしなかった。

何故そんなことが出来るのか。

何故そんな力があるのか。

何を秘めているのか。

旅の始まりに、いつか彼女自身が話してくれるだろうと、そんなことを言っていた恩人の顔がぼんやりと浮かんでいた。


「……‼」

「お姫様抱っこは嫌いじゃないだろう? お嬢ちゃんってね」

「勇者様……、恥ずかしい、です……」


 何を今更、と言った表情のあと、ルーシーは豪快に笑う。まるで、何も見ていなかったから心配するな、とでも少女に伝えるように。

 遠方ではまだ、石板パズルと格闘している白髪の老人の姿が見えた。ルーシーが隣へと歩を進める。戦闘の音は止み、足音は確かに聞こえていたはずだが、彼は気づいてもいない様子で、黙々と目の前の問題に取り組んでいた。


「まだ?」

「黙っとけ、もうすぐだ」


 ベンジャミンは組んでいた腕を静かに外し、一枚一枚、迷いなく石板を動かしていく。


「あれを殺ったのか」


 質問というにはあまりに独り言ちた声だった。


「そ、案外呆気なかったよ」

「そうか」


 ルーシーは、あたかも自分がやったかのように答を返す。何が起きたのか、老人は目にしていないだろう。見ていても、少女がやったこととは夢にも思わないだろう。それでももし、老人が何かしらの疑念を向けるなら、口先八丁で躱してやる。そう心に決めて、頭を巡らせていたが、老人はそれ以上の言葉を発することはしなかった。腕の中で少女が少し震えたのを、彼は静かに感じ取っていた。


「これで最後、だ」


 ベンジャミンが皺だらけの太い指で、一枚の石板を下へ引き動かす。その一枚が自分の位置に着くと、無秩序に見えた十五枚のパネルは、秩序だった一枚の絵へと姿を変えた。


「おー、これで完成か! で、なんだこれは?」

「王家の旗にある紋様(マーク)と同じだ」

「なんでそんなもんがここに?」

「それは、この奥に答えがあるんじゃあねぇのか?」


 重装飾の扉へ、老人は静かに体重をかけていく。「ガチン」と金具が音を立てた。


「もしかして外れだったりして」

「馬鹿野郎、今なあ金具が外れた音だ」


 もう一度、老人は、全身に力を込めて扉を押す。


巨大な石扉が、静かに床を擦り始めた。


「さぁ、ご対面の時間だぜ、勇者殿」




秘密、財宝、王家の紋

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