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『 第十二話 当然の地獄 』

 形容する言葉が出ない。じゃない。きっと、簡単な言葉で形容していい光景じゃない。

 俺は読書なんて好きじゃないから、良く言葉を知らない。人が使う言葉に関しては多分、姉さんよりずっと疎い。だから、言葉に出来なかった。してはいけないって思った。俺を取り巻くものを、言葉に出来ないように、目の前の光景(ソレ)も同じ類に感じた。


「勇者様、手を、……怖いです」

「あっ、あぁ。悪い」


 気づかなかった。目が見えなくたって分かるだろうな。ここが酷い場所だってことぐらい。

 畑は痩せて、実っている野菜はひどく小さい。土の色ですら、生気を失くしてしまったみたいだ。

 ずっと奥に、倒れている人がいる。助け起こすものはいない。皆が皆、目をぎらつかせる監視役に怯えていた。倒れていた男が、棘付きの鞭で叩かれ、沈痛な悲鳴を上げる。周りの農民は委縮し、目の前の地面にだけ意識を向かわせる。

 左手が強く握りしめられた。ネムが震えている。その手の熱が、俺を少しだけ「今」に引き寄せた。

 目の前の光景を見ていると、ずっと昔に見たもの思い出す。苦痛だけが人を支配し、笑い合えるはずの仲間たちで見捨て合う。

 男はぐったりし始めていた。血が体中から流れ、その痩身を赤く染め上げている。


「なぁ、ネム。走ればさ……」


 ネムの右手が、一層強く左手を握りしめる。苦しそうに、二度、首が横に揺れた。

 今ここで出れば、革命者達の計画を台無しにしかねない。上が反乱とみなせば、この村を丸ごと処分もあり得る。だから、決して動いてはならない。船長から、何度も釘を刺されていた。

分かっている。

だから、余計に、余計にッ!!


「勇者様……?」


 ネムが怯えたように、俺の顔を見ていた。

 どんな顔をしていた? 俺は、俺は、俺は。


 違う、そもそも、ネムには見えない。俺の顔を見ることは出来ない。それでも、見えなくたって分かるくらい。


 多分、俺は、怒っているんだ。




 静かで、なのに、こんなにも重たくて。

 太陽が照り付けているはずなのに、寒気を感じる位、この村からは、命を感じない。

 隣にいるはずの勇者様が、ずっと遠くにいるみたいに心細い。何も見えないのに、はっきりと「苦しい」って涙する顔が(きこ)える。

 町があんなに栄えていたのに、どうしてこんなに違うんだろう。

 勇者様は「表と裏」だって言っていたけれど、表の為に、こんなに酷い裏が必要なら、表なんて……、あの栄光は「必要」なの?

 誰かの涙の上で、あんなに笑顔になれるなら、それは……、私も?


 やっぱり、おかしいよ。


「勇者様、手を、……怖いです」

「あっ、あぁ。悪い」


 手に触れても、まだ遠くにいるみたいで、怖い。


 離れないで。

 行かないで。

 一人にしないで。


 悲鳴が聞こえた。


「助けてくれっ! 死にたくない!!」


 はっきりと、鮮明に、聞こえた。

痛いって、もう嫌だって、生きたいって。

 何も見えなくて、見たことが無くて、それなのに、無形の恐怖が、苦しんでいる人を一飲みにしていく様が、私を縛り付けて離してくれない。


 助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。


 私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、


 違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う!!!


「なぁ、ネム。走ればさ……」


 走れば……? 逃げられる? 助かる? 生きてもいい? 

じゃない、助けに行かなきゃ!


 違う!


 落ち着いて、私。今、私が、「ネム」がするべきことは……?


 落ち着いて、私。今、助けに行ったら、失う物の方が大きいの。動いちゃいけない、関わっちゃいけない、船長さんに、あれだけ言われたでしょ! 私ッ!


 勇者様。ダメです。今は。今は……今は。



 勇者様……。手が痛いくらいに握りしめられて、きっと、腹立たしいのですね?

 煮え切らない私も、助けにいけない立場も、強さも、弱さも、みんなみんな悔しくて、だから、貴方は燃えているのですね?


 でも、でも、でも! 

私達がすべきことは、私達が成すべきことは、今、私がすべきことは。


「勇者様……!?」


 声が震えて、揺れて、消えて、これじゃ伝わらない?

 胸が苦しくて、息が苦しくて、怖くて、辛くて、これは伝わらない?


 今すべきことは、耐える事。花を咲かせ、実を成す為に、じっと機会を待つこと。

 だから、今は、まだ。


 勇者様、貴方の目に私はいますか?

私の覚悟は……貴方に伝わりますか?




 太陽が、水平線に沈んだ。海が光を呑み、月だけが白く主張する。遠くで独り、静かに歌う男がいる。三人の影は、淡い光に照らされた甲板の上で、一枚の地図を囲んで在った。


「顔色がすぐれませんね」

「昼間ひでぇもんを見たからな。久しく飯がまずかった。ひどく、まずかった」

「村の人……、私、私は……」


 少女の目を覆う包帯に、静かに染みが出来た。白夜の下、それを確認した者はない。だが、震える肩に、その声に、涙の色を二人は容易に汲み取れていた。


「変えなくてはなりません。この現状を、一刻も早く」

「あぁ、間違いねぇさ」


 少女も声を抑え、首を縦に振った。


「七年前、私が変革を志してから、状況は少しとして好転していません。寧ろ酷くなった。何人も、何人も、余りに多くの命を、救えぬままに時が過ぎていった」

「……あぁ」

「ですが、ですがやっと、希望が見え始めた。最後の一手が見えてきたのです」

「最後の一手?」


 ヒメロペーは語る。

例え、海で戦う全ての民を束ねようとも、それでは十分ではない事。

力で奪い取った権力は、きっと力で奪われてしまうだろう事。

強奪ではなく、確かな形で、貴族たちの権力を停止させる方法が必要である事。


「けどよ、そんな一手なんて他にあるのか? 海賊の平定というだけで、十分な成果だともいえる気がするけど」

「その形では民を裏切った事になります。それでは……」

「じゃ、何だ? 想像もつかないな」


「それは……、『伝説』です。我が国、アルゴーの建国にまつわる伝説です」



 その昔、大洋を旅する冒険家がいた。彼は『アルゴナウタイ』という、金属で出来ているという魔法のような船を持ち、嵐の中さえも恐れず進んだという。遍く海を渡り、莫大な富と、掛値の無い仲間たちを得て、そして『ある土地』についた。草木が青々と茂り、花は競い合って咲き、自然の恵みが至る所に湧くように現れる地。

 船長『イアーソーン』は、その土地を楽園と信じた。そして、その土地に、自分の国を建てた。それこそが『アルゴー』である。

 建国から数十年、アルゴーは巨大な都市国家に成長した。だが、イアーソーンは日に日に笑顔を曇らせていった。

 ある日、家臣の一人が訳を訊いた。彼は答えた。いつの日か、この栄華が崩れ去る日が来るであろう事。己が亡くなった後、悪政を敷く者がきっと現れるという疑念。人々の手によって開墾され、あまりに変容した楽園の姿。いつか崩壊する。そんな恐怖が、真綿で首を絞めるが如く、彼を蝕んでいったという。

 ある日、建国の祖イアーソーンは、ただ一人で再び旅に出た。家臣にはこう言い残したという。

「私は決して帰ることは無い。だが、この船が、この旗が、もう一度この国に帰って来たならば、それを私の変わり身だと信じなさい」と。

 家臣は泣いて引き止めた。だが、彼の決意は揺るがなかった。

 彼は旅に出た。そして、彼の船は今尚、消息を絶っているという。


 アルゴーの王家に言い伝わる絶対の約定。

「アルゴナウタイ、もしくはその旗を持ち帰る者が現れた時、その者を王とせよ」


 逆転の一手とは、これの事だった。



「けどさ、伝説なんだろ、ソレ」

「限りなく事実と捉えられています。少なくとも、わが国は、そう捉えている。現に、何人もの冒険家が、その旗を求める旅で、命を落としています」

「……場所が、わかっているのですか?」

「はい。場所は、殆ど特定されています。数多の冒険者が、皆、同じ場所で命を落とし、帰らぬ者となっている。きっとそこでしょう」


 彼女は静かに、目の前の地図上の一点を指さした。


「嵐の島。そう呼ばれている島です。島の周辺には常に、荒れ狂う海流が渦巻き、嵐が絶えることはありません。恐らく、強力な魔法による結界か何かでしょう。この障壁が、今まで長い間、多くの冒険者を阻んできました」

「んなとこにどうやって辿り着くつもりだ? 無理だったんだろう、今の今まで」


 勇者たちは不安そうな顔で彼女を見つめる。それでも、彼女は落ち着き払い、動揺を見せることはなかった。


「その為に、七年の月日を費やしました。七年の月日を用い、嵐の島に、一番辿り着けそうな海路を選び出した。七年の月日を用い、海に出た同志へ、ひたすらに説きまわり、仲間にしてきた。近海で最大の船団となるほどに」

「それを見つけられれば、私達は、あの人たちを救えるんですか? ……救いたい。出来ますか?」

「えぇ。きっと。その為の七年ですから」


 彼女は暗い海の果てを睨む。その先に、求める宝があると言わんばかりに。


「その旗があれば、確かに政権を取れるのか? 変えられるのか?」

「そのはずです。そう信じます。信じています」

「いつ、その島に?」

「数日中には。元より早いうちに行くつもりでしたが、勇者様たちに、今、巡り合うことが出来ました。きっと、海神の加護が、ついています。今ならば、あの嵐も切り抜けられると思うのです」

「分かったさ。腹を括ることにするよ。いいよな、ネム」

「勿論です! 行きましょう、船長さん。助けなきゃ、一刻も早く、あの人達を」


 船長は厳しい顔を解き、少しだけ微笑んだ。


「ありがとう。では、明後日の早朝には、嵐の島への航海を始めようと思います。明日は、一日がかりで徹底的に長期航海の為の準備をします。お手伝い頂けますね?」

「あぁ、勿論」

「はい! 勿論です!」


 月は白光を更に増し、雲が星を覆う夜、それでも煌々と輝いていた。




希望は此処にある。明日は此処にある。確かに此処にある。

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