観測者と巫女姫の袂
光の祭壇への道へと足を踏み入れると、今までと雰囲気が違うのがわかる。
巡礼者たちが多いし、観光地みたいになっていたはずなのに。巫女姫たちが試練のために向かうと宣言したせいなのか、すっかりと人がいなくなっていたけれど、そうじゃなくって。
今までは多かれ少なかれ、穢れをまとったはずの獣がいたのに、その獣がいないような……いや、そもそも穢れの獣に襲われなかったのは大地の祭壇でもそうだったはずなんだけど、あそこは人間嫌いの妖精や巨人に襲われたから、同じはずだ。
なんでこんなに敵の気配がないの。これから試練のはず……なのに。私が訳がわからないままに辺りに目を光らせる。
ネモフィラまでの道もそうだったけれど、今までの祭壇までの道と違って石畳でしっかり舗装されているから、はっきり言って歩きやすい。足に引っかかる感じも、出っ張っていてこけてしまう危険もない。まあ石畳の隙間に足を突っ込んでしまったらころんでしまいそうだけど。
私がこの辺りを不安げに見ていたら、クレマチスが教えてくれた。
「この辺りは、巡礼地ですから、獣は定期的に神殿騎士によって討伐されています」
「ですが、今は試練中のはず、ですよね?」
そんな神殿騎士が倒してしまっている場所で試練を行っても意味がないだろうに。私が本気でわからないという顔をしていたら、アルも言う。
「そもそもこの辺りは穢れはあまり出ないはずです。石畳のひとつひとつに神殿の選別された石が使われていますし、神官の昇格試練のひとつとして、この辺り一帯の穢れの浄化が行われているからです。ですから、穢れが獣を取り込む暇がないんです。そもそも獣自体も獣除けのせいでほとんど入りませんし」
「徹底されているんですね……」
「なによりも光の祭壇自体が、世界浄化の旅の中でももっとも重要な位置を占めているために、あそこに穢れを入れてはいけないからです」
「え? 試練自体は時の祭壇を抜けてからでなければ、闇の祭壇に辿り着きませんよね?」
ゲーム中だったらそんなこといちいち考えたことはなかったけれど、考えてみればみるほどわからないなあという顔になる。それにアルは頷く。
「あの声の者が何者なのかはわかりかねますが、少なくとも時の祭壇というものも、光の祭壇の試練を終えないと現れないはずなんです。そもそも、俺も任務で各地の祭壇に向かったことはありますが、時の祭壇なんて見たことがありません」
「そうだったんですか?」
私は驚いてアルとクレマチスを交互に見ると、ふたりとも頷く。
なるほど……光の祭壇までしか巡礼地がないのは、そもそも巡礼者たちでは行けない場所だし、神殿関係者も世界浄化の旅が進まなかったら辿り着けない場所だからだったんだ。あれか、ゲームで言うところの二週目以上のプレイ特典みたいな感じだったのか、時の祭壇って。……うーん、例えがちょっと間違っているような気がするな。
その辺りでスターチスは口を開く。
「神殿関係者のおふたりも知らないとなったら……学者界隈でも、時の祭壇のことはずっと謎だったんです。誰も知らないし見たことないのに、聖書周りや世界浄化の旅の記述には必ず書かれている場所でしたので。それこそ、闇の祭壇と同列で謎でした」
「学者の方々も不思議がっていた場所だったんですね。だとしたら、光の祭壇までは、歩いていったらすぐに到着できるんでしょうか?」
でもなあ……。私は自分で言っておきながらも、なんかおかしいなあと考えていた。
いくら私のプレイ記録が役に立たなくなってきたからって、戦闘の記録が全然役立たずだったことなんてない。光の祭壇の前でも普通に戦闘はあったし、レベリングはしたはずなのに、どうしてここで敵らしきものがないんだ。
この辺りで戦ったのは、ゲーム内では天使だと説明された。でもシンポリズムの宗教はキリスト教ではなかったはずだし、神殿の教義ではあれはどういう立ち位置になるのかがわからない。
私はなんとはなしに空を気にしながらも、歩いていく。
空はラベンダー色。道は真っ白。石畳の向こうには若草色の草木が生え揃っている。今まで以上に幻想的な光景が広がっている中、アルがぼそりと言う。
「いえ、もしなにもなければ、昇格試練にはなりませんが、ただ」
そう言いながら、アルは流れるような動きで背中の大剣を引き抜くと、空にかざした。キィーンという音が響く。私は空を見て、気付く。
白いつるりと光る肌は文字通り陶器。纏っているのは幾何学模様の施された白いドレス。白い羽は薄い陶器を重ね合わせたようで、羽ばたくたびにカチャカチャと音を立てる。……陶器でできた天使が、手に装飾剣を持ってアルに襲い掛かってきたのだ。
空からの奇襲に、カルミアもアスターも剣を抜き、アスターもペンダントに溜め込んだ詠唱を解放する。
「リナリア様、お気をつけください。これらは、全部大地の祭壇の試練のときと一緒です!」
「と、申しますと?」
「古代兵器です。巡礼者たちは襲わないように、巡礼の際には古代兵器が来ないようにする配布物が渡されていますが、試練を受ける者には、当然配られませんから」
ネモフィラの神官さんが、巡礼者たちに出入りを差し止めると言うはずだ。こんな空から飛んでくるような古代兵器、戦闘慣れしている人でもないと対処できない。
でもカルミアがさっさと炎でなぶり、アスターが矢を穿つ。それだけでずいぶんと捌けた。
「歩けば、本来は一日で着くはずなんですが」
「古代兵器を避けながらでしたら、もっと時間がかかるんですね、わかりました」
あの声の人に話を聞き出すためにも、まずは古代兵器を相手にしないといけないって訳だ。
私たちは何度も何度も襲い掛かってくる古代兵器。それを捌きながら歩いていたら、あっと言う間に日が暮れてしまったのだ。
****
夜になり、私たちは部屋を展開して、その中で食事を摂る。普段はひとりの部屋に皆で入って食事を摂る真似はしないんだけれど、「古代兵器に見つからないようにするため」というスターチスの言葉のために、クレマチスの部屋にお邪魔することになった。
カーテンを閉め切って部屋中の本を窓際に積み上げて光が外に漏れないようにしてがら、クレマチスのつくってくれたスープを飲みつつ、デザートに桃を食べる。
食事を摂りつつ、スターチスが言う。
「おそらくですが、古代兵器は目で侵入者を察知しているんだと思います。巡礼者たちに配られている神殿からの配布物も、古代兵器の目を騙すものなんでしょう」
「古代兵器でも、神殿の独占している象徴の力には劣ると?」
カルミアの皮肉に動じることもなく、スターチスは頷く。
「古代兵器も本来は神殿の所有物ですから。一部は禁術となって、祭壇付近以外では実用化されていないだけですよ」
「で、古代兵器が襲ってくる理屈はわかったとしても、どうすんの。あれとずっと戦ってたらたとえ祭壇に着いても試練のときに力が空っぽになってちゃ意味がないでしょ。さすがに大地の祭壇みたいなのはパスよ?」
さすがに半分戦闘不能状態だと、ただでさえ試練内容はひとつずつ上がってきているのに、大地の祭壇以上に厳しい戦いを突破なんてできないと思う。
そのアスターの指摘に「それなんですけど……」とおずおずとクレマチスが言う。
「スターチスさんが解析してくれたおかげで、古代兵器の目が届かない部分が判明したので、遠回りになりますが、地図に書き込みをしました。確認してください」
地図を見てみると、光の祭壇を時計回りに回りながら近付くという、明らかに敷き詰められている石畳を無視する道筋だ。古代兵器が光の祭壇から飛んできていると考えれば、妥当なのかもしれないけど。
アルは地図を見ながら「三日か……」と唸り声を上げる。
私たちがもらってきた食事の量を考えると、本当にギリギリだ。節約したら戦えなくなるから、食べきる気持ちで挑まないといけない。
「光の祭壇に着かなければ意味がありませんから、頑張りましょう」
アルに私はそう言うことしかできなかったのだ。
****
自分の部屋を展開してから、その中でコロンコロンと転がる。
光の祭壇に着けば、ようやく世界浄化の旅のことがわかる。リナリアはどうしていなくなってしまったんだろう? 世界浄化の旅は、闇の祭壇まで到着しなくても達成できる? かつていたはずの巫女姫はいったいどこへ消えてしまったの? 闇落ちする人はつくらなくってもいいの?
疑問は尽きることがないのだけど、その疑問の一部は解消できるはずなんだ。
……あの声の人が、本当に答えてくれる気があるのだったら、だけど。
久しぶりに戦闘をしたせいか、体が眠りを求めている。私はそのまま眠りにいざなわれていく中、匂いがすることに気付いた。
花の甘い匂いで、妙に馴染みのある匂い。嗅いだことのある匂いに記憶を探っていて気が付いた。この花の匂い……リナリアの花だ。私は思わず起き上がる。
「リナリア?」
首を振る。気付いたら私の部屋ではなくなっていた。
でも。いつもだったらリナリアの花が咲き誇っているはずの空間には、花が一輪も咲いていないのだ。
あ、あれ?
「リナリア?」
私はもう一度声をかける。返事はしない。
彼女は秘密主義が過ぎるけれど、皆を助けたいって気持ちは共通だったはずなのに。私にただ押し付けるだけの真似はしないって思ったのに。
私はいつも、リナリアの記憶の部屋に辿り着いて、彼女に接触していたけど。
彼女はもう、この部屋に戻ってくる気がないってことなの?
「どういうことなの……」
リナリアは全部の記憶を持って行って、なにをしたいの。これも、旅がもうすぐ終わるからなの。それとも、まだ彼女はなにかを隠しているというの。
世界浄化の旅のことも。リナリアの目的も。巫女姫の使命も。なにひとつ教えてくれないっていうのに。
私はぎゅっと拳を握る。
……彼女がなにを考えているのかわからないし、知らない。でも。
私だって、長いことリナリアとして旅をしていたら、愛着だって沸く。知り合った人たちだっている。知った想いだってある。
旅をちゃんと終わらせたい。あなたがなにを考えているのか知らないけど。それでも。世界浄化の旅を全うさせたい。
「あなたと袂を分かったって、そう思えばいいの?」
彼女は答えてはくれないけど、そう呟いた。




