風の祭壇の試練・3
重力から解放された怪鳥は、こちらにつむじ風を引き起こして攻撃の邪魔をしてくる。
これじゃあいくら短剣を具現化してぶん投げても当たらないし、カルミアの炎も風で相殺されてしまって、せいぜい火の粉が飛び交うだけ。頼みの綱のアルの剣圧もまた、怪鳥が避けてしまうのでなかなか当てられないでいる。
幸いというべきか、いくら試練の獣といっても、怪鳥も鳥。鳥目のせいか、大味なくちばしや鉤爪の攻撃は祭壇の石畳を抉るだけで、私たちにも致命傷は与えられないということ。
アスターの詠唱が完成するまでは私たちで持ちこたえないといけないのに、こちらが攻撃されない代わりに、こちらも攻撃が当てられないという歯がゆい状態がひらすら続いていた。
「重力場では弱点を潰せない中、どうしたら鉤爪をやれるのか……」
せめてもの抵抗で閃光をぶつけているクレマチスは、眉を寄せて、空を奇声を上げて鳴いている怪鳥を見上げる。
氷は奇声の振動で割られてしまう。炎は届かない。弱点の鉤爪に攻撃が届かない……。つくづくないない尽くしなのに嫌気が差す。
アルは眉間に皺を寄せ、カルミアは機嫌悪そうに大剣に炎を纏わせている。
アスターの詠唱はあとちょっとで終わるみたいだけれど、まだ終わらない。スターチスがアスターの周りの障壁の補強をしているから、怪鳥の鉤爪でも詠唱を中断はできないはずだけれど。
「足元にしか弱点がないが、足元に当てられないんじゃ意味がない。足場をつくるとは言っていたが……」
だんだんカルミアの言葉尻に苛立ちが滲み出した中、再び怪鳥がこちらのほうに奇声を上げながら突撃してきた。
くちばしは鋭く、こんなものでつつかれたら肉が抉られる。
アルが「ちっ」と舌打ちをしながら、大剣で受け止める。やっぱり、怪鳥は目が効かないせいかそのままアルに襲い掛かったものの、すぐに空へと滑空していってしまった。アルが怪鳥を受け止めている間に、鉤爪を抉ろうとしたカルミアの大剣から逃れるようにして。
もう、今まではガンガン攻撃してきても、こちらだって攻撃が当たったのに、今回はダメージがどうのこうのというよりも、攻撃が当たらないストレスのほうがどんどんと溜まっていく。まるでこちらのメンタルを削ろうとしていくような怪鳥の動きが、本当に腹が立つ。
でも。ようやくアスターの詠唱が終わった。
髪をぶわりと巻き上げながら、アスターは手を怪鳥のほうへと向ける。
「天の怒りは地の柱、地のいにしえは天の光──鳴り響け、雷雲!!」
これって……ゴーレムも使っていた詠唱!?
そっか、アスターも試練で象徴の力を強化していくごとに、使える詠唱が増えたんだ。
星空は急になりを潜めたかと思うと、迅雷が怪鳥に突き刺さった。そうだ、雷は高いもの目掛けて落ちるんだから、雷雲は怪鳥を狙うんだ。
更にアスターは屈み込んで石畳に手を当てると、ペンダントを弄って呪文を解放する。
「地震波!! ……ほーら、お前ら行けー」
アスターが放った呪文ごと、石畳はぐらつき、それが怪鳥のほうへと盛り上がる。
怪鳥は針金のような強い羽毛のおかげで、致命傷は追っていないものの、カルミアの炎でも焦げなかったのが、プスプスと焦げ臭いにおいを放ちながらも、なお抵抗して羽ばたかせているものの。
怪鳥の真下まで盛り上がった足場のおかげで、ようやく鉤爪を狙える。
アルは足場を大きく踏み、跳躍する。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ブンッと風を切る音が響く。
あれだけ鋭かった鉤爪に、ようやくアルの刃が通った。
「グギャアァァァァァァァァァァ!!」
怪鳥の嘶きと共に、ようやくこれは地面へと落ちた。羽を羽ばたかせる力すら、なくなったようだ。横たわった姿に着地したアルがこちらに顔を向ける。
「リナリア様、とどめを」
「……はい」
アルが差し出してくれた大剣を、怪鳥に向ける。
「……ごめんなさい」
針金のようだった羽毛に、刃がぶっすりと突き刺さった。
****
風の祭壇が無茶苦茶になってしまったのを、せめてもと平らにしている間に、ようやく頭上から厳かな声が響いてきた。
『巫女と旅の者たち……よくここまで来た』
光がポワポワと私たちの中に流れ、象徴の力が強くなるのを感じる。そろそろ、皆がそれぞれひとりで火の祭壇の前に置き去りにしても、対処できる程度には力が強化されたはずだ。
いつもの儀式だけれど、どうしてもこの頭上の声には問い正したいことがある……答えてくれるかどうかはともかく、ひと言言わないと気が済まない。
私の頭の中はさておき、声はいつもの業務連絡のように言葉を垂れ流す。
『風の祭壇の獣の審判は下された。道は開かれた……次は光の祭壇へと進むがいい。皆にはそれぞれ力を受け渡』
「あの、質問よろしいでしょうか?」
私が口火を切るより先に、冷静な声色で頭上の声に問いかけたのは、スターチスだった。皆が驚いたような顔で彼を見る。カルミアだけは、渋い顔をしたまま、ちらりと横目で見るだけだったけれど。
声は、『答えらえる範囲なら』と返してくる。
軽っ。もしかして、疑問って聞いたら答えてもらえるものだったの?
私はハラハラしながスターチスを見ていたら、スターチスは静かな顔で口を開いた。
「率直にお尋ねします。巫女姫を闇の祭壇に連れて行かなければいけない理由はなんですか? 過去の巫女姫の中には、闇の祭壇にまで到達していなくとも世界浄化の旅が達成できているものが存在しています。闇の祭壇に巫女姫と旅の仲間が到達し、儀式を行うことで世界の穢れを祓うと、我々は伺っていましたが。過去の巫女姫の例は説明できません」
その言葉に、私はひやりとした。
……てっきり、私は過去の巫女姫は逃げ出したのだと思っていた。今も行方不明のリナリアも、アネモネの近くにいた以上は、闇の祭壇を目指しているとは思うけれど。
待って。今までのエンディングの中で、一度も闇の祭壇に向かうことが前提条件じゃないなんて話は出てこなかった。いったいどういうこと?
アルはスターチスの顔を驚いた顔で見つめ、クレマチスは暗い顔をしている。アスターだけは飄々とした顔で頭上とスターチスを見比べているけれど。
しばらくの沈黙の後、声は面白そうに笑った。
『本当に今回は愉快なことになっているね。これも彼女の差し金かな? こんなことを直接聞かれたのは今回がはじめてだ』
「今回? 今までもこの疑問は上がったことはないのですか?」
彼女って……私のことじゃなくって、リナリアのこと……だよね。リナリアは、この声の人……神のことを知っているの?
声はスターチスの問いに対して『そうだねえ……』と間延びした声を上げてから、世間話をするように囁いた。
『光の祭壇で待っているよ。そこで試練を突破できたら、答えられる範囲で答えてあげよう。巫女もそれでかまわないね?』
唐突に私に話を振られて、ビクンと肩を跳ねさせる。……彼は、神託のときから、私とリナリアが入れ替わっていることを知っている。
私はしばらく考える……前提条件が全然違うってなに? 誰かひとりが人柱にならなかったら、世界浄化は成さないと思っていたのに。それも答えではないっていうことなの?
ぐるぐると頭の中をかき回しても、私の中から答えは出てこない。
……答えてくれると言っている以上は、ここで聞くしかない。
ゲームでも出てこなかった話なんだから、ここで聞いてしまうのが得策だろう。
「……お願いします。教えてください。世界浄化の旅は、本当に必要なものなんですよね?」
『ああ、答えてあげよう。おいで、残る試練はあとふたつ……闇の祭壇まではもうすぐなのだから』
その言葉と共に、声は消えてしまった。
アルはスターチスのほうに言う。
「どういう意味だ? 今のは。この旅が、無駄だと?」
「落ち着いてください、アルストロメリアくん。ただこの旅に不審な点が多いというだけです」
アルは苛立たしい顔でクレマチスを見ると、逆にクレマチスのほうは顔を真っ青にしていた。そりゃそうだ、神殿のほうでそこの教えを肯定するように育ってきたのだから、前提がひっくり返されそうになっているのに、混乱しない訳がない。
私だってそうだ。ただ、誰も死ななければいいって希望的観測で歩いていたら、そもそも前提が違うんなんて言われたら、じゃあクリア条件はなんなの、としか聞くことができない。
アスターはなんとも言えない顔で「で、お前はどう思う訳よ?」とカルミアのほうに話を振る。相変わらずカルミアはぶっきらぼうに「ふん」と腕を組みながら答える。
「神が信用ならないとは、端からわかっていた。それが一度の質問で簡単に瓦解するとは、大した信仰心だな」
「まあ……神殿の教義に全然染まってなかったらそうなるだろうけどさあ」
アスターはアスターで、信仰心があるなしに関係なく、寝物語として聞いていた世界浄化の旅の根本が否定されたことで、少なからずダメージは受けているみたい。
アルは私のほうを見る。
「リナリア様は?」
「私……ですか」
「あなたは、どうお思いで?」
アルらしくないけど、彼は彼で混乱しているのかもしれない。
私は私で、まだ考えがまとまらないけれど。
そもそも光の祭壇で教えてくれるっていうのがなんでなんだろう。あと残されているのは、光の祭壇、時の祭壇で、ここを突破したらやっと闇の祭壇に到着するんだけど。
……リナリアは、ここで前提条件がひっくり返るってわかっていたんだろうか。それとも、そこまで考えていなかったんだろうか。わかんない。
あれだけ皆を助けたいと言っていた彼女の言葉が、今の私にはわからない。
でも。
もう私はこの世界に長居し過ぎてしまったんだと思う。世界浄化の旅を達成させないことには、まずいことになる場所が多過ぎる。その人たちをどうにかしたいと思ったら、嫌だからと言って役目を放棄する気にはなれなかった。
「……達成条件が違っても、もし闇の祭壇に行かずとも達成できるのならば、それはそれでいいのではありませんか?」
「リナリア様?」
「私たちの旅は、あくまで世界浄化を成すことです。旅を完遂するのは、達成条件ではありません。ですから旅の終着点がどこでもかまわないのです。闇の祭壇を目指すことになるのか、光の祭壇で終わるのかは、神に問いただせばわかることですから」
私はじっとアルを見た。
どうか落ち着いて欲しい。どうか頼らせて欲しい。
あなたを殺さない。ううん、皆を殺さないために、私は来たんだから。
アルの青い瞳はぐわんぐわんと揺れていたけれど、やがてその焦点は定まってきた。
「……あなたがそう望むのなら」
大剣を振り払って背中の鞘に納めると、彼は私の前で膝を突いた。
……うん、それでいい。
全部を明かされるとは思っていないけれど、光の祭壇で謎も解き明かされるはずだ。
ようやく晴れた夜闇で、星明かりがちかちかと瞬いていた。
その光は弱弱しくとも、たしかに私たちの決意を照らしている。




