嘆きのシルフィード・2
私は手早く身だしなみを整えると、急いで部屋を出る。部屋の外では風が吹き荒れている。風の祭壇に向かうためにずっとこの辺りを歩いているけれど、こんなに分厚い風を受けるのは初めてだ。それに。
風は明らかに意思を持っているかのように、こちらを吹き飛ばそうとしてくる。
既に出ているスターチスが障壁を張っているけれど、どこまで持つのかがわからない。私は慌てて光の玉を出すと、風の吹き荒れている方向へと飛ばした。
「いったい、今なにがどうなっているんですか!?」
「おはようございます、すみません。リナリアさん。明け方にクレマチスくんが教えてくれた話が、まさかもうここで来るなんて思ってもいませんでした」
「思ってもみませんでしたって……シルフィードですか!?」
声を大きく荒げなかったら、風の吹き荒れる音で声が散らされてしまう。私の大声に、スターチスはくすりと笑う。
「前にクレマチスくんがくれた耳栓を付ければ、それで意思疎通は可能ですよ」
「あ……すみません。忘れていました」
私は慌てて前にもらった耳栓を付けると、たしかにクレマチスの象徴の力のおかげでそれぞれの声がクリアに聞こえる。それにほっとしながら、私は辺りを見た。
シルフィードは白いバレリーナのような格好をしていた。よくテレビでも見られているクラシックチュチュみたいな中のレオタードが足を持ち上げるたびに見えるものではなくて、ワンピースのように足首まで丈のあるロマンティックチュチュと呼ばれるタイプのものだ。
金色の瞳で、外敵である私たちに風を巻き起こしている。
風がひど過ぎて前に進むこともできないため、障壁の後ろから、アルは剣圧を飛ばしているけれど、致命傷には程遠いみたいだ。
カルミアは何度も炎を巻き起こそうとしているものの、こちらは風でかき消されているせいで、シルフィードまで届かない。アスターはどうにか呪文詠唱をしているみたいだけれど、こちらも風でかき消されてしまっている。
唯一善戦しているのは、意外なことにクレマチスの聖書詠唱だった。
大地の祭壇のときには閃光は目くらまし以外の役には立たなかったのに、シルフィードには効いているみたいで、ジリジリとシルフィードを削っているみたいだ。
クレマチスは汗を掻きながら、ペンダントを弄っている。
「……やはり、魔法学者の文献に目を通していて正解でした。シルフィードは妖精の中でも数少ない、穢れに取り込まれた妖精です。これなら、聖書の詠唱が効きます」
聖書の詠唱の一部を閉じ込めた部分をペンダントから放出して詠唱をカットしながら、何度も何度もクレマチスは閃光を使っていたけれど。これじゃ巨人のときと同じく長時間は使えない。
私がせめてできることは。私は「アル!」と声をかけると、彼は黙って大剣を掲げる。それに私は触れて、クレマチスが唱えた呪文の一部を具現化し、彼の大剣に付与する。それにアルは頷いた。
アルの剣圧に光の属性が付加されたことで、またジリジリとシルフィードは削れてきたけれど。でも致命傷にはやっぱり及ばない。
どうしよう……私は彼女をじっと見る。
つるりとした造形は美しく、シンポリズムに住んでいる人たちは皆美形だけれど、それとは質が異なっているのは、彼女が妖精だからだろうか。
彼女は何度も何度も閃光を浴びせられ、剣圧を受けて、少しだけ冷たい顔をしたあと、口を開いた。
──ああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ
その声には、意味なんかない。ただ耳をつんざくような声は、耳栓をしてもその耳栓ごと耳に抉り込んでこようとするような破壊力がある。人魚のときのまやかしの歌と、彼女の破壊音、どっちがマシなんだろう。
耳を必死で塞ぐけれど、鼓膜がぶるぶる震えているせいか、立っているのがやっとだ。隣でスターチスは油断なく辺りを見回しながらも、障壁を何重にも展開して衝撃波のような声をせき止めようとしているものの、彼の障壁もなかなか衝撃波を相殺できるだけの威力が込められないでいる。
「妖精は人を惑わせようとします……人魚と近いですし、どちらも人間を嫌いぬいていますが、違うのは、人魚は水底にさえ引きずられなかったら、力が半減するということ。妖精は大地や風の中で済むものですから、ここは彼女の領域です」
「つまりは……あの風を止めないことには、こちらがただ蹂躙されるってことですか?」
「音は鼓膜の、風は大気の振動です。ですが、シルフィードの風を蹂躙できる、でしょうか」
そうなんだ。
火の祭壇の場合は、カルミアとか火の獣とか、炎が熱かったけれど、水でどうにか相殺できた。水の場合は、水底にさえ引きずり込まれなかったらなんとかなったし、引きずり込まれてもアスターのおかげでなんとかなった。
大地の祭壇は、ただただ純粋に力が強すぎて困り果てた。
風の場合は……本当にどうすればいいんだろう。
巨人の場合は、巨人の子供がさらわれる集団催眠を見せることで引かせたけれど、シルフィードの場合はなにを見せたら引いてくれるんだ。
ちらりとアスターを見る。アスターは再び障壁を展開しているものの、表情が険しい。きっと私と同じく、このままじゃ大地の祭壇に向かうときの二の舞になってしまうと思っているんだ。
私はペンダントを使って閃光を使っているクレマチスに声をかける。
「ねえ、シルフィードのことだけれど、聖書に書かれている以外に、研究論文が出ていたのでしょう? その内容の触りを、教えていただけないですか!?」
それにクレマチスは困ったように眉を下げた。
「騎士が妖精と共に穢れを祓っていたという旨でしょうか?」
「ええ、それを……!」
この部分は、すごく重要だと思うんだ。
だって、今のシルフィードは、ちょうど『円環のリナリア』で闇落ちした好感度二位と同じ状態になっているんだもの。好感度二位は、敵として立ちはだかるけれど、決してリナリアを憎んでいた訳ではなかった。
闇落ちしようがしまいが好きだったのはアルだし、カルミアの場合は皇太子としての使命を捨て去るのは闇落ちしたときしかありえない。アスターの場合は一部のコアファンから「闇落ちこそあいつの本編」と言われている位だ。
なにが言いたいかというと、属性が反転したからって、考え方まで反転した訳じゃない。
シルフィードもまた、クロッカスのことを覚えているんじゃないかと思ったんだ。
……もし、彼女を助けることができたら、それは例えどんな結末になったとしても、好感度二位が闇落ちしたとしても、助ける術があるんじゃないかと、そう思うんだ。
私はじっとクレマチスを見るものの、困ったように金色の髪を揺らすだけだった。
「この辺りの研究ですが、神殿によってなかなか進んでいないです。論文も数点ほど当たりましたが、シルフィードが巫女姫の前に立ち塞がり、必ず倒されるということ以外は記されていないのです」
「なら……戦ったときに、シルフィードと巫女姫が交わした会話はなかったんですか?」
それにクレマチスは一瞬目を見開いたあと、うっすらと口を開く。
「当時の世界浄化の旅の記述は、クロッカスの一件以外はほとんど残っていませんが、気になることが残っています」
「それは?」
「どうして、シルフィードが今もここに残っているんでしょうか? 穢れに取り込まれた彼女を倒すことができなかったんでしょうか?」
質問を質問で返されて、私は思わず目を瞬かせる。アルの光を帯びた剣圧が彼女に当たる。それに彼女は甲高い声で悲鳴を上げながらも、必死で耐えている。
それを見ながら、クレマチスが悔しそうな口調で言う。
「……そのときの世界浄化の旅は、失敗されたとされているんです。戻ってきたのは従者だけで、肝心の巫女姫は戻ってきませんでした」
「え? じゃあ、巫女姫はシルフィードに倒されて……?」
「違います……彼女は、シルフィードに手をかけることができずに、そのまま行方をくらませたと、そうされています……神殿側も、クロッカスとシルフィードの話は聖書に載せましたが、その当時の巫女姫一行のことはほとんど記述を残していないのは、そういうことです。この辺りはスターチス様のほうがご存知かと思います」
それに私は思わずスターチスを見る。スターチスはペンダントを弄って再び障壁の強度を補いながら、答えてくれた。
「この辺りはどちらかというと、巡礼者から見聞きした学者側が残している情報ですね。巫女姫の失踪の原因は、シルフィードとの対話が原因だと。彼女と対話が成立するのかも、未だにわかりませんが」
「そんな……」
巫女姫が失踪って……でも、それだったら世界浄化の旅が成功しないし、いつまでたっても世界の穢れは祓われない。そうなったらこの世界は駄目になっていたはずなのに。
それにカルミアが「やはりか」と鼻息を立てながら、剣を振るう。熱のこもる炎ではなく、凍てつく氷がシルフィードに迫るものの、彼女の風が氷をピキンピキンと割る。
それに「なにが『やはり』なんですか?」と恐々尋ねるクレマチスに、カルミアが続ける。
「穢れは世界浄化の旅を行わねば祓えないということはないという話だ。現に世界はまだ存続しているし、穢れの度が過ぎたのも、この十数年の話だ」
そうだ。カルミアは元々神殿の教義を信じちゃいないし、神殿だって自分たちに都合の悪い話を聖書に書く訳がない。
でもこれは全部私たちの推測であり、シルフィードから真相を聞かないことには、どうすることもできない。前の巫女姫は、いったいどうやって彼女から話を聞き出したんだろう。
私はしばらく考えてから、手に力を込めた。
クロッカスの話は聞きかじりだし、そのことを刺激したら、シルフィードが余計に怒ってしまうかもしれないけれど、彼女と話をするんだったら、ただ闇雲に戦っても駄目だ。
「アル、クレマチス。これ以上彼女を攻撃しないでください」
「リナリア様?」
アルは怪訝な顔でこちらを見て、クレマチスは困惑したままこちらを見る。スターチスだけが、再び障壁を展開して、それを割ろうとする風の力を相殺していた……あんまり同じことをさせたら、巨人族との戦いの二の舞になってしまうから、ここで決めてしまわないと。
神がくれた力のおかげで、私たちの象徴の力はたしかに上がっている。でも、絶対に勝てるくらいに力が増した訳じゃない。自分を過信せずに、信じよう。
私は喉にせり上がってくる言葉に、身を任せた。
戦うんじゃない、話すんだ。そう心に決めて。




