嘆きのシルフィード・1
こうして、昼間は部屋で休み、夜は高山を登っていくという生活がはじまった。風が強いし、油断していたらすぐに巡礼者に捕まってしまうけれど、昼間に行動するのを放棄したおかげで、思っているよりも順調に目的の風の祭壇まで進めているようだ。
合言葉を使わずに済んでいるのも、正直ほっとしている。皆から脅かされていたけれど、今のところは狂信者みたいな人に襲われることもないから。
ただ、やっぱりというべきか夜に襲撃をかけてくる穢れは、今までよりも強いような気はする。穢れは夜のほうが力が強いらしい。大地の祭壇のときは妖精や巨人のせいで穢れに遭遇しなかったから、余計にそう思うみたい。
出てくる穢れは、鳥の姿をしているものが多く、短剣を投げつけないと対処ができないし、空から攻撃してくるのが厄介だ。時には蝶の穢れも現れて、鱗粉を振りまいてくるけれど、そこはスターチスの詠唱のおかげで毒や痺れからはすぐに回復してもらっている。
こうして歩いていると、目的地まですぐに着くんじゃないかと思っていたけれど。
休憩して、皆で食事を取っている中で、クレマチスが難しい顔をしながら、聖書を読んでいることに気が付いた。光を呼び出して、それを光源にしている。
「どうかしましたか? あと三日歩けば風の祭壇に辿り着くと伺いましたが」
「ああ、リナリア様。すみません……ちょっと今の様子が聖書に書かれている状態と似ているなと思って、その記述を探していたんです」
「聖書に書かれているって……どれのことでしょうか?」
ゲーム上だったら、恋愛イベントやそれぞれのキャラとのコミュニケーションが中心で、世界観説明的な部分は資料集に書かれていること以外はほとんど語られていない。聖書の記述も、ここに来るまでほとんど触れてこなかったことだ。
私は不思議がって、クレマチスの隣に座ると、クレマチスがおずおずと聖書を広げてくれた。
「大分前の巫女姫の世界浄化の旅のことです」
「ああ……今までの巫女姫の世界浄化の旅も、聖書に記述が残っているんですね」
「有名な話や教訓めいた話は、一般の信者さんにも配布されていますね。全ての世界浄化の旅の記述は、神殿にしか残っていないはずですが、神官長以外でしたら、国王以外には閲覧制限がかかっていますから」
「なるほど……それで、いったいなにが気になったんですか?」
「ああ、話が逸れてしまいましたね。ある巫女姫が騎士と一緒に夜間行軍をしている中で、ある巡礼者に出会うんです。彼の名前は、クロッカス。彼が巫女姫に自分の罪を告白する話なんです」
「罪の告白ですか……」
ん? 私は思わず首を捻った。
聖書の記述や、クロッカスと呼ばれる巡礼者がなにかをやらかしたのかは、ゲーム内でも書かれてなかったと思うけど、この辺りに出てくる、風の祭壇の前で戦うボスのことについてはちょっとだけ覚えがある。
シルフィードっていう、風の妖精と戦わないといけなくなるはずなんだ。
妖精が人間嫌いだっていうのは、大地の祭壇でもさんざん思い知ったし、それが原因で巨人と遣り合わなくちゃいけなくなってさんざんな目にあったけれど、それは風の祭壇でだって同じ話だ。
どうにも。人間は妖精を怒らせすぎなんだよねえ。
私が思わず首を振りつつ、クレマチスに話の続きを聞く。
「クロッカスは元々は巡礼の町の出身者で、普通の信仰心厚い村人だったんです。彼には婚約者がいましたが、彼の前に風の妖精が現れました。クロッカスは風の妖精とたびたび交流するようになりましたが、彼は婚約者のいる身でしたので、風の妖精を相手にしていませんでした。でもある日、神官に神託を下されました。『婚約者の運命の相手はお前ではない』と」
「巫女姫以外にも、預言はされるんですか?」
「ぼくも神託は受けたことないのですが……神官の中には神託を受ける方もおられたようですね。クロッカスは怒って神殿から出てきましたが、そのときに風の妖精に婚約指輪を持っていかれてしまったんです。これがなければ結婚はできませんから、風の妖精を追いかけましたが、風の妖精は飛べますので、普通の村人であるクロッカスでは捕まえられません。困り果てて神殿の神官に助言を請いました。彼はそのとき、クロッカスに妖精を捕まえるベールを授けました。これで空を飛んでいる妖精を捕まえられると。ですが、空を飛んでいる妖精を地に落とすということは妖精を殺すことと同時です。クロッカスはベールをかけた途端、妖精は死んでしまいました。『愛している』という言葉を残して」
「それは……」
「結果、クロッカスは巡礼者となり、村を離れたんです。それを巫女姫に妖精を殺した罪として語ったんですよ」
それでクレマチスは話を締めくくった。それにカルミアが口を挟んできた。
「これだけだと、現状に近いとは思えないんだが? その妖精もただ惚れた男の婚姻の邪魔をしただけだろう」
「いえ。この近くなんです。巫女姫が風の妖精と戦ったとされている場所は」
「……つまりは、ここにいる妖精っていうのは」
「聖書で言うところの、クロッカスに裏切られた風の妖精ですね。嘆きの妖精シルフィードと呼ばれています」
「あの……妖精は死んだのでは?」
「ええ。死にました。ですが、妖精の中には一度死ぬことで性質を反転させて復活する妖精もいます。今のシルフィードは、人間を愛する心が反転し、人間を憎む妖精として復活したのだとされていますね」
反転……。それに私は思わず喉を鳴らしてしまった。
これって、まるで『円環のリナリア』の好感度システムと同じじゃないのか。好感度一位とはエンディングが迎えられる……でも、好感度二位は絶対に闇落ちして、ラスボスになって立ちはだかるのと一緒。
この辺りって、ゲームだと軽くしか触れられていないから、闇の祭壇のときと同じようなシステムが他にも起こっているなんて思いもしなかった。
私が思わず眉を寄せている横で、アスターがマイペースにクレマチスに口を出す。
「でもさあ、その妖精ちゃんは気の毒だけどさ、クロッカスは結局は女をどっちも捨ててるから、一応罰は当たってる訳で。それで許すってのはできなかったの? あとクロッカスが自分可哀想って告白した巫女姫ちゃんが、その問題の妖精ちゃんと戦っているっていうのが訳わからないんだけど」
「聖書には詳しく書かれてはいないんですが、聖書学者の中でも諸説がありますね。ひとつは、自分がとんでもない穢れを生み出してしまったという罪の告白だったというものです。これは神殿の信仰が強い方の意見ですね。もうひとつは、スターチスさんみたいな象徴の力の学者さんの意見ですが」
私はそれに思わずスターチスの顔を見ると、どうにもスターチスはこの話は知っている話らしく、涼し気な顔でクレマチスの続きを待っている。
クレマチスは聖書を閉じて、どこか遠くを見た。
もうすぐ日が昇るから、そろそろ部屋を展開して休まないといけない。
「町を守るために穢れを祓っていた騎士が、共に穢れを祓っていた妖精が間違って穢れに取り込まれてしまった。それをどうにかしたくても、妖精を憎からず思っていた騎士では穢れになってしまった妖精に手を下すことができなかったから、助けを求めたのではないかというものです。聖書からいくらなんでも離れすぎていないかと、神殿側からは相手にされていない意見ですが、残されている文は妖精が性質を変えてしまったということと、それを巫女姫が倒したということ、妖精と知り合いだったというクロッカスという青年の部分だけなんです。行間は想像で埋めるしかありません」
クレマチスの言葉はそこで終わってしまった。
あとは私たちは部屋を展開して休む。途中で今日の見張りであるカルミアに、アルと同じように合言葉を教えておく。カルミアは相変わらず渋い顔をしたものの、「アルにも教えた」と言ったら黙ってくれたので、それで了承してくれたということにしておく。
私は部屋に戻って、ベッドに転がりながらクレマチスから聞いたクロッカスとシルフィードの話を繰り返し考えていた。
どうして、こんな『円環のリナリア』の好感度システムみたいなことが起こっているんだろう? まるでこれじゃあ、町ひとつの穢れを祓うために、人間じゃないからと妖精であるシルフィードがいいように利用されたように感じるし。
……これだと、どうしてリナリアが何度やり直しても、好感度二位が闇落ちするのかの説明にならない?
闇の祭壇に世界浄化の旅のメンバーが辿り着く。そこで穢れを祓うってこと以外、私も聞いてないし、ゲーム上でも記されていない。でも、今までだってゲーム上では演出で処理されていた事柄にだって、全部説明はついていたんだ。
もし闇の祭壇に着いたら、誰かひとりが世界中の穢れに取り込まれないといけないとしたら? それを全員で殺さないといけないとしたら?
……ぞっとした。
ゲーム上で闇落ちして殺されるメンバーは、本当に闇落ちしている分だけ容赦なく襲い掛かってくるし、その途中途中でリナリア自身にも貞操の危機が迫ってくる。でも最終的には殺される……。それは、リナリアたちに本気で自分を殺してもらうためだとしたら?
闇の祭壇に皆を連れて行くというのは、誰かひとりに世界のために死んでくれって言うのと、一緒じゃないの?
……でも、それなら。どうしてリナリアは私に自分の立場を引き渡していなくなったんだろう。
もし本当にどうしようもなくなったんだったら、リナリアでも私でも、同じのはずなのに。ううん。ただのゲームプレイヤーの私に自分の立場を引き渡しながらも、リナリアはずっとなにかをやっている。
結局は、このまま旅を続ける以外に答えは出ないのかな……。
私はそう思いながら、ごろんとベッドに転がっていたとき。
ドアの向こうから叩きつけるような風が吹いているのに、思わず耳を澄ませる。
風の祭壇の近くのせいか、この辺り一帯は高山に近い環境だし、風が強くって昼間は全然歩けないときだってある。夜に進もうとスターチスが提案したのは、狂信者対策だけでなく、風が落ち着く時間帯というのもあるのかもしれない。
でも……さっきから風がドアを破らんとばかりに力強いことが引っかかる。たしかにこの辺り一帯は風が強いけれど、こんなに強かったっけ? まるで台風一過みたいな風の強さに、私は思わず首を捻っているところで。
わずかに剣戟が混じって聞こえることに気付く。
ちょっと……戦闘がはじまってるの?
今起きているのはカルミアだけれど……たしかにカルミアは大剣を振るって戦えるだろうけれど、空を飛んでいる相手には不得手のはずだ。私は思わずドアに耳をくっ付けた。
「誰がそこにいますか!?」
ドア越しに声を上げると、すぐに返ってきた。
「ブラックサレナ……でよろしいですか?」
「それ合言葉になってないです」
アルの言葉に思わず口を緩めつつ、気を取り直してドアノブに手を伸ばした。残念ながら、今日は徹夜らしい。




