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円環のリナリア  作者: 石田空
チュートリアル編
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神殿騎士と巫女姫の一日・後篇

 昼になったら、途端に暇になってしまう。騎士さんは交替で騎士団の詰所に戻っていくのを挨拶して見送っていたら、アルが戻ってきた。前髪が貼りつくほど汗をかきながら鍛錬していたっていうのに、今のアルは涼やかな表情で、汗も洗い流したみたいで石鹸のような匂いしかしない。


「リナリア様、騎士団の管轄は立入禁止と申したはずです」


 チクリと言われて、私は思わず喉の奥で「うっ」と呻く。ばれたらあの騎士さんも怒られるんじゃと、思わず誤魔化す言葉を探す。


「な、なんのことですか。私は礼拝堂で奉仕活動をしていただけで……」

「百合の匂いがしました。あんな場所で百合の匂いがする訳ないでしょうが」

「う……」


 ずっと礼拝堂の掃除をしていたもんだから、飾っていた百合の花の匂いが移ってもおかしくない。そしてそのことは護衛騎士であるアルが知らないわけがないのであって。

 私は「ごめんなさい……」とポツリと言うと、アルは溜息をついた。


「怒っているんじゃありません。ただ、記憶を失っているリナリア様には、少々刺激が強過ぎると思っただけです」

「あ、私を連れてってくださった騎士様を、怒らないでください……」

「カランコエも余計な真似を……」


 ああ、あの騎士さんのお名前、カランコエさんだったのか……。私はまたひとつこの世界のことを覚えつつ、頭を下げる。


「知らないことが多過ぎて、なにから手を付ければいいのかわからなかっただけです……象徴の力だって、思い出さないといけませんし」


 実際、人が使っているのを見ても、どうにも自分が使えるようになれるとは思えないんだ。クレマチスの言い方からして、本当だったら自転車に乗るのと同じ感覚で、一度使ってみたら覚えられるものみたいだけれど。

 でもな……スターチスと奥さんに会うことになったら、多分穢れと出会う。穢れは野生動物に取りついて凶暴な魔物になって襲い掛かってくる以上は、象徴の力を覚えないことにはなんともならないよねとはついつい思ってしまうんだ。

 私が黙り込んだのに、アルはひと言ぽつんと言う。


「なにをそんなに急いでいるのかはわかりかねますが、時間しか解決しないこともあります。どうか、そんなに急ぎませんように」

「……そう、ですか」


 その言葉に、私は自然とキュンとした。

 アルは明らかに私に対してリナリアと同じ扱いをしてはいない。ただ私が記憶喪失って設定だからそれに合わせているだけかもしれないけれど、それでもよそよそしいなとは肌で感じてしまっている。

 でも。優しい人なのは変わらないんだな……。そのことが少しだけ私には嬉しかった。


「ありがとうございます」


 そのひと言にだけは、なんの嘘もついてはいない。


****


 昼下がりには、ときおりお祈りの時間はあるとは言っても、自由時間だった。見習いの子たちは神官に呼ばれて一緒に聖書を読んでいるみたいだけれど、教育係の神官以外は専ら暇を持て余している。

 どうしようと考えた結果、私はアルと一緒に図書館にまたも来て、本を読んでいた。ゲーム中だったら選択肢に入っている本以外は読めなかったけれど、今は手に取った本を好きに読めるのは面白い。

 聖書を私の部屋にあるものよりもずっと噛み砕いた文章で書いてあるものに手を伸ばしてみると、「あれ?」と私は首を捻った。

 前にクレマチスから聞いたとき、世界浄化の旅や巫女の神託は何年かに一度行われるものだと言っていたのに、何故か聖書のどこにも世界浄化の旅のことや巫女の神託のことが触れられていないのだ。これだけ書きやすい題材はないと思うんだけれど。


「ねえ、アル。クレマチスって今は修業中ですか?」

「見習い神官は、現在は昇格試験の勉強時間だったかと思いますが」

「そうですか……だとしたら、クレマチスは自室、でしょうか?」

「恐らくは。他の見習いたちでしたら図書館の自習室を使うと思いますが、彼は使わないでしょうから」


 ひとまず図書館を出て、アルに案内されながら見習いたちの自室のある廊下を歩く。途中で何度も何度も見習い巫女たちに頭を下げられてしまったのに苦笑しつつも、どうにかクレマチスの部屋に辿り着いた。

 巫女の部屋はシンプルながらも広かったのに対して、見習いたちが宛がわれている部屋は巫女の部屋よりも狭く、本当にベッドと机以外は物が置けないくらいの面積しかない。


「あの、すみません。クレマチスいらっしゃいますか?」


 私が声をかけると、ドタドタドタッという大きな音が響くのにキョトンとする。アルを見てみれば、「あちゃー」と言いたげに手で額を抑えていた。それからクレマチスはまっ赤な顔で出てきた。


「すみません、本の山を崩してしまって……でもどうなさいましたか、ぼくの部屋に急にやってくるなんて」

「ええっとですね。先程図書館で本を読んでいたんですが、おかしいと思いまして」

「おかしいとは?」


 廊下で立ち話も難だと、部屋に入れてくれたが、その部屋の中身を見て、思わず口を開いた。

 壁に神官服がかかっているのはわかる。多分洗濯したものをかけているんだろう。机には紙束。勉強してたんだろう。これもわかる。でも問題なのは、この部屋に絶妙に積まれている本の山だ。さっき崩れた本はベッドの隅に追いやられているとは言っても、本の山はひとつふたつじゃなくまだまだある。床が抜けるんじゃとひやひやするくらい積まれているのを唖然と見ていたら、クレマチスは「予備です」と言いながら私とアルに丸椅子を持ってきてくれ、自分も勉強机の椅子に座った。


「あのですね、本を読みながら違和感を感じたんです。神官長は私に世界浄化の話を何度もなさっていたでしょう? 聖書のどこにも、巫女の世界浄化に関する記述がなかったんです。ですが、クレマチスは普通に知っていましたよね?」

「ええ? 巫女の世界浄化の話は、聖書でも重要な位置を占める話なんですが」


 私の話を聞いて、すぐにクレマチスは自分の持っている聖書をペラペラとめくって「あれ?」と声を上げる。


「あの、ちゃんとありましたか?」

「……ありません」

「ええ……?」


 昇格試験のために、何度も何度も聖書を読んでいたせいで、クレマチスの聖書はすっかりとめくり癖がついてしまっている。でもクレマチスが広げたページには、その時代の巫女が行った話は書かれてはいても、神託の記述も世界浄化の旅の記述もごっそりと消えている。まるで文章を書いていたことすらなかったことにするように。


「どういうことでしょうか……聖書の記述の改竄なんて、聞いたことがありません」

「……誰かの象徴の力により、改竄されたというのはありえないのか?」


 私たちがふたりでおろおろしているのを見ながら、静かにアルが口を挟む。するとクレマチスは首を振る。


「ありえません。アル様だって知ってらっしゃるでしょう? 神殿には穢れ祓いの結界が張られています。それを越えることなんて……」

「……では、聖書の改竄は神殿の内部の人間か」


 静かにそう言うアルの言葉を聞きながら、ひとりだけそんなことができる人が頭に浮かんだ。

 ……リナリアだ。リナリアは頭に閃いたことはすぐに具現化できる。神託の記述のない聖書だって、彼女だったらすぐに作れるだろう。でも……図書館にあった聖書の改竄だったらまだわかるけれど、クレマチスの普段持ち歩いている聖書を改竄したものと入れ替えるってどういうこと?

 そんなことをするのに意味があるの? ただ自分の力を誇示したかっただけ? そんな馬鹿な。


「このことは、ちょっと神官長に報告しますね。あの、聖書の改竄に気付いたのは、リナリア様とアル様だけでよろしいですか?」

「ええ……」

「どうか、このことはご内密にお願いします。結界が利かないとなったら、大騒ぎになってしまいますから。この場所は、穢れの汚染が進み過ぎた場合の皆さんの避難場所にもなりますから」


 クレマチスは聖書を持って、そのままパタパタと神官長に報告に向かっていったのに、私は息を吐く。

 アルは腕を組んで、今までないくらいに眉間に皺を寄せている。


「あの……アル? 改竄について、どう思われますか?」

「……正直困惑しております」

「ですよね、聖書の改竄なんて、罰当たりですし」

「いえ、本来だったらできないはずなんです。ひとつひとつを改竄だったらできるでしょうが、聖書だけを選定して全部の記述を書き換えるなんてことは」

「……ええ?」


 思わず目を瞬かせる。

 リナリアは自分の記憶を全部花にして保存していた。それだけじゃなくって、私の記憶にある景色を多少アレンジは加わってたとは言っても正確にトレースした世界を再現していた。

 練習すればできるもんだとばかり思っていた。

 アルは腕を組んで、短くひと言だけ言い放つ。


「危険ですので、今まで以上に俺から離れないでください」


 その有無を言わさない威圧に、私はただ首を縦に振ることしかできなかった。


****


 夜にようやく自室に戻り、ようやくひとりになれた。私はくたっとしながらベッドにごろごろと転がり、灯りを落とした天井を見上げる。

 乙女ゲームの世界に来たと思っていたのに、本編がはじまるまで一年あるはずなのに、既にお腹いっぱいになりつつあるのはなんでだろう。

 聖書の改竄とか行方不明のリナリアとか、気になることが多過ぎるけれど。


「……でも、やれることをひとつずつするしかないよね」


 もうちょっとしたら、ウィンターベリーに出発する。そこでひとつ物語を動かせたら、なにかが変わるはずなんだ。

 全然知らない物語をつくるのはちょっとだけ怖いけれど。大丈夫。

 自分をそう鼓舞させながら、私は目を閉じる。

 シンポリズムに来てから、私はずいぶんと寝つきがよくなった気がする。いろんな刺激がいっぱいで、とにかく夜になったらすぐに眠くなってしまうのだ。

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