旅の再開
町長さんの家に戻る途中、私とアスターは買い物を済ませることにした。私の体力も回復してきたから、いい加減アネモネを出発して風の祭壇を目指すのだ。
食材や薬草、ワインを買っている中、アスターがちらっとこちらを見てきた。
「リナリアちゃん、大丈夫か?」
「はい? 元々アスターが息抜きに誘ってくれたんじゃないですか。おかげで、軽く空気が抜けたみたいですよ。大丈夫です」
「そっ? それならいいんだけど。うちの連中も、揃いも揃って定期的に空気を抜かんと破裂しそうな奴ばっかだしさあ」
「そうかもしれませんね……本当にありがとうございます」
本当に、アスターは皆の空気を抜いてくれるから、息が詰まらなくって済んでるし、皆が皆自家中毒に陥らなくって済んでいる……私も、助けられている自覚があるしね。
アスターはこちらのほうに「そーう?」と軽く言ってから、ワインや重い食材を抱えてくれ、私は軽い薬草や食材を持って、町長さんの家に帰っていった。
私はスターチスを探してうろうろとしていると、スターチスは食堂で地図を広げて、なにやら書き込んでいるのが見えた。見ている限り、地図は風の祭壇の付近のものらしい。
「スターチス、今帰りました」
「お帰りなさい、リナリアさん。アスターくんと出かけてらっしゃったのでしょう? おや、アスターくんが見当たりませんが」
「あ、あれ? ついさっきまで一緒だったんですけれど……」
思わず食堂の前の廊下に出て、あの赤い髪を探してみると、赤い髪はメイドさんたちと談笑しているのが見えた。……ちょっと格好いいと思ったらすぐこれだもんねえ。
私は首を振って食堂に戻った。
「アスターは今、メイドさんたちと談笑しているようで」
「おやおや。でもリナリアさんも体も気力もずいぶん回復したみたいですし、そろそろ旅に戻っても大丈夫かと思いますが、やり残したことはありますか?」
そう聞かれて、私は考え込む。
アルと話をしたから、もうアルは変に思い詰めたりはしないと思う。アスターとも話をしたし。あの人が私のなにをそこまで心配しているのかまではわからなかったけれど、多分大丈夫なはずだ。
カルミアやクレマチスとは、特に一対一で話さないといけないことはなかったはずだし。スターチスとも特になかったはずだよね。
私は自分の手をグーチョキパーと握ってみる。
ちゃんと力が入っている。象徴の力を使い過ぎたときには、小指ひとつ動かすほどの力すら入らなかったけれど、もう大丈夫のはずだ。私は頷く。
「はい、大丈夫です」
「わかりました。町長には僕のほうから出立のことを伝えてきましょう」
「ただ……」
私がひとつだけ気がかりなことをスターチスに口にしてみた。落ち着いているスターチスは、急かすこともなく黙って私の話を聞く体勢に入ってくれる。
「次から、人が敵になるというのだけが、気がかりです」
「そうですね。リナリアさんはここに来ていきなり誘拐されたから、不安になるのもわかります」
ああ、そう取っちゃうのか。私は黙ってスターチスの話に耳を傾けつつ、失敗したなあと思う。
私は単純に、あんまり人に死んで欲しくないだけだ。アルは相変わらず「私が人を殺す必要はない」って言ってくれているけれど、そうじゃなくって。
元々私がここにいるのだって、誰かが死んで欲しくないからだ。ゲーム上だから名前がないからいいとか、そういう話じゃない。……綺麗ごとかもしれないけれど、名前を知らないからって、誰かが簡単に死んでいい訳じゃない。
現実世界では名前のないキャラなんて平気で「モブ」とか「NPC」とかでひと括りにされてしまうけれど、シンポリズムで生きている人たちを、もう私は舞台装置のように見ることなんてできない。
誰かが死ぬことに慣れてしまったら、きっと私はここに来た目的を見失ってしまうから。
私の気持ちを知ってか知らずか、スターチスは穏やかに笑う。
「僕たちが、リナリアさんを守ります」
そう穏やかに穏やかに言うものだから、私は思わず口に手を当てて笑ってしまった。それにスターチスはきょとんとする。
「……まるで、プロポーズみたいですよ、それ」
「そんなつもりはなかったんですがねえ。アルメリアにはいつも『そういうことを簡単に言っては駄目』とは叱られていますが」
「そりゃ言いますよ。勘違いする人だっていますし、きっと」
「そうですねえ、それは困ります」
よかった。本当によかった。
アルメリアが生きてて本当によかった……!
私は内心だらだらと汗を掻きながら、彼女の存命に感謝をした。
ただでさえアルのフラグとかアスターのフラグとか、これ放っておいて大丈夫なのかと気に止めているところなのに、これ以上フラグを放置するなんて胃の痛いことは、私には無理だもの。
****
町長さんに滞在期間のお礼を言ってから、ようやく私たちは風の祭壇に向かって出発した。
風車小屋がどんどんと遠ざかる中、向かった先を見て、私は「わあ……」と声を漏らす。
私たちは普段着ている服の上に外套を羽織っていた。風が吹いてきて、やたらと寒いからだ。高山に近い温度みたい。
高山植物らしい素っ気ない花が咲いている道を見れば、遠くにはぽつんぽつんと外套を羽織っている集団が見える。大方あれが巡礼者たちなんだろう。
結構きつい場所だし今までは穢れと私たちしかいなかった場所なのに、本当に観光地みたいに開かれているのが意外だった。普通のゲームだったら序盤は観光地で人が多いけれど終盤になったら過酷過ぎて人がいないっていうのがほとんどなのに、『円環のリナリア』の場合はそこが逆になっているんだよなあ。
でも……ここから先は、人を殺さないといけないかもしれない。
ゲーム上ではレベル上げしか考えていないから、MAP敵と判断して簡単に手が出せてしまうけれど、ここはゲームだけれど命までゲームじゃない。
殺したくない。私の象徴の力だったら、殺そうと思えば殺せてしまうけれど、殺さずに済むことだってあるはずなんだ。
私がぎゅっとひとりで握りこぶしをつくっている中、アルがぽつんと声を漏らす。
「リナリア様、大丈夫ですか?」
「アル……大丈夫です。気を引き締めないといけないと思っただけです。私が倒れたせいで、長い間旅が中断しましたが、もう折り返し地点なんですから」
「ええ、そうですね」
アルが道を仰いだ。ここからだと、まだ風の祭壇は見えてこない。彼の視線はどこか遠くを見ているけれど、それがどこなのかまでは横目からではわからなかった。
この場で、クレマチスが声を上げる。
「リナリア様が倒れている間、ぼくとスターチス様で何度も相談したんですが。昼間はできるだけ休んで、夜に進んだほうがいいということでした。今は早めに休める場所を探しましょう」
「休む場所って……今風の祭壇の街道まで出てきたところだろうが」
アスターのツッコミに、クレマチスはぴくんと肩を跳ねさせる。腕を組んで話を聞いていたカルミアがクレマチスのほうをちらりと見て口を開く。
「巡礼者対策か?」
「はい! 巡礼者に紛れ込んだ世界浄化の旅を阻害する方々もそうなんですが、リナリア様は巡礼者からしてみれば神の次に信仰対象ですから。昼間に目立って街道を歩いていたら、声をかけられ過ぎてまともに進めないからです」
「そこまで声をかけられるものなんでしょうか……?」
今までもそれなりに声をかけられたけれど、目的地に辿り着けなくなるほども声をかけられた覚えなんてない。大袈裟な……と思ったんだけれど、それにはアルが「ああ」と声を上げる。
「今までは神殿関係者が周りにおりましたから、そこまで声をかけるということもなかったかと思います。神殿騎士もおりますから」
「でも、世界浄化の旅の最中に声をかけ続けることは、ありえるんでしょうか?」
「ありえます。神官の目がここでは届きませんから、巫女姫に声をかけてもらって、巫女姫の髪やら涙やらを集めて、それを祀るという輩はおられます。いつも対処しておりましたが」
そ、それはいくらなんでも過激すぎない……!?
バンドやアイドルのファンには過激すぎてライブ出入り禁止になる人もいるというけれど、狂信者というのはそれくらいいるという話らしい。私は思わず腕を抱きしめると、スターチスがまとめに入る。
「まあまあ。狂信者と呼ばれる方々の中には、本当に悪気なく事態を悪化させる方もおられますから、その方々の目を避けたほうが旅は続けやすいだろうという判断ですよ。そこまでひどい人というのも、なかなかいませんから大丈夫です。たしかに巡礼者の中には傭兵を雇って安全に旅を続ける方もおられますが、穢れの力も強まっていますから、そんな危ない橋を渡る人なんて早々おられませんよ」
そうおっとりと言うけれど、私はアルが苦虫を潰したような顔をし、クレマチスが困り笑いをしているのを見逃さなかった。
……神殿関係者が守ってくれていただけで、いたんだ。そんな過激的な信者が。気を付けよう。会ってしまったらどう気を付ければいいのかわからないけれど、少なくとも皆から離れなかったら、そんな人には遭遇しないはずだから。
私はそう肝に銘じて、皆で急いで部屋を展開できる場所を探しはじめた。
大地の祭壇のときはどこもかしこも木々に覆われて展開できなかったけれど、この辺りだったら部屋を展開できる。そのことにほっとしながら、私は部屋を展開する。
番をするアルは部屋に入ろうとする私に「理奈」と声をかけてくる。
「なに?」
「一応俺たちが交替で番をするが、誰かの名を語ってお前を部屋から連れ出そうとする場合もある。そのときのために、合言葉を決めたいが」
……まるでオレオレ詐欺だ。合言葉を決めないとまずいっていうのは。私は「うーん」と声を漏らして、少しだけ思いつく。
「これ、見張りを交替するときに皆に伝えて。『レーベルの名前は?』って聞くから」
「レーベル? なんだそれ?」
「いいから。そのときこう答えて。『ブラックサレナ』って」
「黒百合か? ……構わないが」
アルは心底困惑したように眉を寄せたのに、私は思わず笑った。
この世界でこの合言葉が成立するのは、私たち以外ありえないと思うから、問題ないはず。
ここでゲーム会社のレーベル名なんて、リナリアだって知らない話だ。




