偽りの巫女と放蕩貴族の相談
風車のからからと回る、牧歌的な景色。
私が巫女装束で歩いていたら、ただでさえ神殿の信者が多い場所だ。大騒ぎになって、アスターの言う食べ歩きはできないだろうということで、町長さんに服をアネモネの辺りで着ている若草色のワンピースを調達してもらい、それを着せてもらうことにした。
ときおりアスター目当ての女性に声をかけられるから、てっきり私は攻撃的な言動でも取られるのかと緊張したけれど、そんなことはなかった。
「あら、アスターさん。まだ出発なさらないんですか?」
「そうそう。巫女様がまだ療養中でねえ。この間の試練が大変だったのよ」
「まあ……巫女様にどうぞお大事にとお伝えくださいませ」
そう言ってぺこりと頭を下げる、神殿の信者さんが多いこと多いこと。
思えば、今まで「巫女様、どうか浄化の旅を成功に!」と懇願されることは多かったけれど、巫女姫の体調の心配とかお見舞いの言葉をもらったのははじめてなような気がする。
どうも私がアスターと一緒に歩いていても、巫女姫がお忍びで出かけているとは露にも思わず、町長さんの家のメイドが世界浄化の旅のメンバーの買い出しの荷物持ちを手伝っているように見えているらしい。「頑張ってくださいね」と応援する声はかけられても、アスターと歩いていて「なによ、この女!」みたいな扱いを受けないので、思わず拍子抜けしてしまった。
私が意外なものを見る目で、声をかけてくる人声をかけてくる人を見送るので、アスターはからからと笑う。
「なに? どこぞの令嬢みたいに『なによこの泥棒猫!』とでも声をかけられると思った?」
「そこまでは思ってませんけど……私、あんなにお見舞いの声をかけられたことなんてありませんから」
「貴族様みたいな利権が絡んでいるところだったらいざ知らず、従順な信者だったら、結構そんなもんよ? 巫女姫様の世界浄化の旅の成功を信じて疑ってないけど、巫女姫様本人の体の心配はするって」
「ええ……」
「ほら、あそこ。アネモネの子たちに教えてもらった店」
アスターがそう言って指を差した店は、一見するとお土産屋さんの中に埋もれている店だった。寺社の近くの観光地だったら、その寺社の名前の入ったお菓子やら湯飲みやらキーホルダーやらを売っているけれど、それはアネモネも同じ。
アネモネの花と風車の模様の焼き印が付けられたパンにチーズがこんもりと挟んである。チーズはクリームチーズみたいで、白くってトロンとしているのが、パンの切り込みの間にこれでもかと入っているのは、一見するとジャンクフードみたいだけれど。
アスターが「チーズサンドをふたつ」と店員さんに言って、お金を支払うと、店員さんはそれを差し出してくれた。
私はそれを恐る恐る食べると、思わず目を見開いた。
パンは小麦の香ばしい味がしっかりするし、その香ばしさをクリームチーズの塩気とクリーミーさが包んでいる。はっきり言って、今まで食べたチーズサンドのことを忘れてしまいそうなくらいにおいしい。
「おいしいです……」
「そっ、よかったよかった」
そう言いながら、アスターも軽くチーズサンドを食べる。私が夢中で食べていたら、あっという間になくなってしまったので、私は思わず手をじっと見る。……リナリアだったら、こんなにガツガツ食べなかったんじゃと気付き、思わず恥ずかしくなって身を縮めていたら、アスターは目を細めて涼やかに笑う。
「すごい食べっぷりだねえ、リナリアちゃんも」
「あ、のう……はしたなくって、すみません」
「いいのいいの。これくらい元気に食べてくれるほうが可愛いってもんよ。女の子はよく食べるのが一番」
アスターはそう言いながら、自分の手持ちのチーズサンドを食べ終えて、ぺろっと指先を舐めてからこちらをじっと見てくる。
「元気出た? この間から大変続きだったでしょ。巨人と戦ったり、ゴーレムと戦ったり、挙句の果てに盗賊に誘拐されたり」
「あ……」
意外だ、と思ったのは、アスターもまた、私個人を尊重してくれたことだ。
私に巫女姫の役割じゃなくって、私個人の心配をしてくれたのに、思わず目を瞬かせてから、彼にペコリと頭を下げる。
「……申し訳ありません。心配、かけましたね。何度も倒れましたもの」
「そこは『ありがとう』じゃないの?」
「はい……ありがとうございます」
私がそっと息を吐き出したら、アスターは笑みを深める。
「で、アルと話をした訳?」
思わずそこで私は目を見開く。……昨日のことは、誰にも見られてはいなかったと思う。私が固まっているのに、アスターはにやにやと口元を歪めた。
「ちゃーんと話をした訳ね」
「あ、あの……私とアルは別になにも……」
「あれえ? アルはリナリアちゃんに気があるとばかり思ってたけど」
そう言い出したことに、私は思わず噴き出した。
いや、いやいやいや。アルが好きな人は私じゃないから。思わずゲホゲホと背中を丸めて咳き込んでいたら、アスターがぎょっとしたように私の背中を撫でてきた。
「ゲホ……違いますよ、アルは、そんなんじゃありません……」
「えー? リナリアちゃんのほうはどうなの?」
そう聞かれて、思わずギクリとする。
昨日の今日、私の気持ちは蓋するって決めたところで、なにを言い出すんだこの人も。そもそも、アスターはどうして私とアルのことをそこまで気にするのかがわからないんだけれど。
今までのゲーム内シナリオのことを思い返してみても、アスターが人の恋愛についてちょっかいをかけてくるというような言動をしてきたことは、誰のルートでもなかった、と思う。
アスターの闇落ちルートだって、家の問題のこんがらがった感情の捌け口を奪われてしまった末の暴発だったはずだ。でも今のところ、彼の家の問題も私はまだ耳にしていない以上、セーフだった、はずなんだけれど。
私が考え込んでいる中、アスターは「答えたくない?」と重ねて聞いてくるのにはっとなって、私はどうにか誤魔化す言葉を探す。……アスターを誤魔化せるような言動ができるかはさておいて。
「……私は今は、使命のほうが重要で、他のことを考えている暇はありませんから」
どうにか絞り出した言葉を投げ返してみると、アスターは「ふうむ」と顎を撫ではじめた。
こ、この反応はなに!? 思わずダラダラと汗をかきながら彼を凝視していると、アスターは「なら」と返す。
「じゃあリナリアちゃんが誰も好きじゃないと判断して、俺が付け入る隙もあるの?」
なにを言っているんだ、あんたも。
普段の自分だったら間違いなく突っ込んでいるけれど、リナリアはそんなこと言わないと必死でツッコミを喉に無理矢理押し返した。ただ私は小さく首を振る。
「……ずっと私は人に迷惑をかけっぱなしです。ただでさえ私は、使命のことで手一杯ですから、他のことに手を広げる暇がないんです」
それだけをどうにか振り絞って言ってみると、アスターは納得したのかしてないのか「ふうん」と返してきた。
「アルもだけど、リナリアちゃんも頑固だねえ……それならオッケーオッケー。これでこれ以上口を出すのは止めておくけど。ただリナリアちゃんのために忠告」
「はい?」
「君はそのつもりはなくっても、その言動は傷付く男は傷付いちゃうかもよ。手を離したくない相手がいるんだったら、手を離さんようにね」
そう言って軽く私の頭を撫でてきたのに、私はますます眉を寄せてしまった。
……そんなこと言われても。
誰かに手を伸ばすということは、誰かを切り捨てるということと同意だ。
誰も死なないルートをつくるためにここに来たのに、それを私が自分から選ぶってことを、本気でできると思っているの。
目の前で人が死ぬのには、今だって慣れていない。これからも慣れる自信がない。
しかも。まだ私の好きな人が誰も死んでいなくってもこれだ。……好きな人が目の前で死んでしまったら、私はどうすればいいのかわからない。




