盗賊と義賊・3
洞窟の奥から、肌が凍てつくような気配がする。でも風はただ爽やかなだけで、温度は心地よく、本当だったら肌を凍てつくような温度ではない。
その気配目がけて、私とヘメロカリスは歩いていた。【ウィロウ】の人たちはひとまず起こして、洞窟を離れてもらった。もし怒って勘違いをしたアルたちに殴られないように、万が一にでも穢れに取り込まれないように、不安要素はひとつでも取り除かないといけない。
ヘメロカリスは私の言動で訝しがってまた私になにかしないといいなと思ったけれど、さっき押し倒してきた人とは思えないほど、ヘメロカリスは普通に接してくれたことにほっとした。……これなら、彼が穢れに取り込まれるなんていう最悪な結末は避けられそうだ。
細い路地を「こっちだ」とヘメロカリスが先導する中、私は光の玉を浮かべて元来た道を帰れるようにした。もしクレマチスが来てくれたら、私が通ってきた道を辿って見つけてくれるだろうし、彼らが私を人質に取った理由についての話し合いの場を持てるかもしれない。
足音が妙に大きく響くのは、洞窟のせいだろう。耳の奥がぐわんぐわんとする中、私は嫌な気配のほうへと気を張っていた。
だんだんと肌からぽつぽつと鳥肌が立ってきて、穢れの気配が強くなっていくことに気付く。
私の鳥肌の立ち方に、ヘメロカリスは少し眉を潜めて口を開く。
「お姫様、ここで?」
「はい……この奥に穢れがいるはずなんですが」
「でも、ここは」
ヘメロカリスが言い澱んでいるのに、私がとまどっていたら、やがて奥が見えてきて、彼が言葉を濁す意味がわかる。
広がっていたのは、地底湖だ。そしてその湖から明らかに悪意のある気配が漂ってきている。……まさかと思うけれど。
「この水は、まさか町へと流れているんですか?」
「ああ……ここはこの辺り一帯の水瓶だ。もっとも、アネモネは風の祭壇周辺から水を引いているから、使ってないはずだが」
「そんな……」
ちょっと待って。穢れは、元々象徴の力を使い過ぎて溜まった澱みだと聞いていた。シンポリズムは言葉が全てを司る世界。使う力の反動でできたものが、どんどん穢れのせいで象徴の力を無効化して、それが原因で農村や漁村に被害が出ていると聞いていた。
水に穢れが溶け込んで、そんなものを生活用水として使って取り込んでしまったらどうなるのかなんて、考えたこともなかったし、できれば考えたくなんてなかった。
こんなもの、いったいどうすればいいの……!!
悲鳴を上げそうになったけれど、方法はあるはずだ。
水が穢れに取り込まれた場合、固定化してしまえば穢れを浄化できないのかな。そう子供じみた発想は出てくるけれど、それは却下する。この水瓶全体を固定化してしまったら、ヘメロカリスの町が断水してしまう。食べ物だったらまだ分けてもらう、買うという発想が出てくるけれど、水なんてなくなってしまったら、最短三日で死体の山が積み上がる。余計に強盗や盗賊、義賊に暴れる大義名分を与えてしまうだけだ。そもそもアネモネもそれが原因で困っていたのに、それをよしとなんてできない。
そもそも、この大きさをそのまんま私ひとりだけの力で浄化できるのあというのも、それは不可能だ。……前に人魚の穢れを浄化できたのだって、あれは彼女がまだ正気を持っていたからというのと、彼女ひとりだけしか穢れに取り込まれていなかったからできたことだ。地底湖の広さは、ざっと見ても水底も見えない位だし、町数個ほどの水瓶になっているほどの大きさだ。こんな大きさの穢れを全部祓ったら……私が倒れるのは三日じゃ済まない。その間、世界浄化の旅は止まってしまう。
だからと言って、盗賊団が全て穢れに取り込まれて、全員を殺して終わらせるなんてものも、後味が悪過ぎる。それを止めるために来たっていうのに。
八方塞がり過ぎて、これじゃどうすればいいのか……。私が唇を噛んでいたら、ヘメロカリスはこちらをじっと見てくることに気付いた。
「なんでしょうか?」
「お姫様は、どうしてこの穢れを見て、諦めることをしない?」
「ええ……?」
「こんなもの、誰がどう見立ても、使えるもんじゃない。だから俺たちの町は長いこと断水状態だ。水を全て堰き止めて、雨水を溜めてどうにかやりくりをしている」
ちょっと待って。盗賊活動をしていたのもつまりは。
食べ物よりもなによりも、水のためか……!
「神殿にこのことは話したのですか?」
「カサブランカにも向かったし、直接神殿に神官長に直談判もしたさ。でも無駄だった。巫女姫の旅の成功を祈れと、その一点張りでな……埒が明かないから、ようやく巫女姫の一行がアネモネに来るとわかったから、こうして待ち構えていた次第さ」
どうして神殿の内部情報を知っているんだと思ったら……カサブランカで信者さんの噂話を聞いて、神殿にまで直接出向いているんだったら、そりゃ知っている訳だ。
「お姫様には悪いが、ここをどうにかできないのなら、やはり人質に戻ってもらう。神殿を脅迫してでも……浄化部隊を送ってもらう」
……ちょっと待って。こんな量を穢れ、いくらなんでも浄化部隊でも無理だ。その間に、いったいどれだけの人が穢れに取り込まれるのかがわからない。
私がヘメロカリスの言葉に怯みそうになった、そのときだった。
耳の奥がぐわんぐわんとなっていた感覚が、急に抜け落ちた。それどころか、地底湖のかすかな水音も、流れる空気の音も、途切れた。
私に手を伸ばしたヘメロカリスの動きも、ぴたりと止まってしまったことに、思わず大きく目を見開いた。
「……まだまだ、ですね」
その声を聞いて、思わず私は喉を鳴らす。
ずっと連絡を絶っていた、私をシンポリズムに連れてきた張本人の声だった。
振り返った先には、今の私と全く同じ姿の少女がいる。白い巫女装束、パステルピンクの長い髪、水色の大きな印象的な瞳……。
私には明らかに足りない覚悟の定まった姿の、リナリアがそこにいたのだ。
「……リナリア。あなた。どうして」
今までどこに行っていたの。どうして私に全部任せていなくなったの。あなたはひとりでなにをやっているの。
溢れてくる疑問も文句もいくらでもあったけれど、私は腰が抜けそうなほどに、彼女の醸し出しているオーラに、安心感を覚えていたのだ。
代わりに出てきたのは、弱音だった。さんざん皆の前でも、アルの前でだって抑え込んできていた、情けない言葉だった。
「私……この人を助けたいけれど、この町をどうやって助ければいいのかがわからないんです。この湖ひとつを、私ひとりだけの力で浄化しつくせない……でも、この人たちはこのままだと穢れに取り込まれる。また、穢れに取り込まれた人を殺さないといけなくなる……私には、それができないです」
リナリアは私の言葉を、ひとつも遮ることも、否定することもなく、じっと耳を傾けていた。
凛としたたたずまい、闇に立ち向かう姿。私はリナリアほど、張り裂けそうな胸の痛みをこらえて戦えるほど、強くなんてない。
リナリアはふっと笑う。
「あなたは、やっぱり私と違います」
「え……?」
「あなたは、このままでいいんです。観測者。その痛みを、決して忘れないでください」
前にも聞いたことのある言葉。前にも教えてくれなかった言葉の意味。
「教えてください。私とリナリアの違いって、なんですか? まだ象徴の力をコントロールしきれてないから? まだ全員を助ける算段ができていないから? ひとりで、なんでもできないこと?」
リナリアは答えなかった。ただ時の止まった空間で、地底湖を見下ろしていた。
「……これがあったら、また何度もアネモネが襲撃されますね。断水の続いている町も、いつまで持つかはわかりません」
そう独り言のように呟くと、彼女は手をかざした。
呪文の詠唱だってしていない。それでも途端に見える景色が切り替わったのだ。これは……。
彼女が象徴の力【幻想の具現化】で、地底湖を塗り替えはじめたのだ。いくらなんでも無茶苦茶だ。彼女の想像した世界に現実を浸食させて……穢れを押し出そうとするなんて。
まるで一枚のレイヤーの上から、この世界そっくりの景色を映し出して、その上から穢れだけをなかったことにしたレイヤーを被せて、それを一枚のレイヤーに同化させようとしている。
ゲームしているときは、彼女の力の無茶苦茶さなんてそんなものだと思っていたけれど、今だったらわかる。
彼女の力はあまりにも規格外だ。
穢れの気配はあっという間に消えて、あとは清らかな水しか残されていない。
「これで、この辺りは無事ですね」
リナリアは安心したように口元を綻ばせる。
「あの……ひとつだけ教えてください」
「答えられることならば」
彼女はいつだってはぐらかしてしまって、真意を見せてくれない。だから質問は慎重に考えないと。
たくさん出てくる疑問や文句は一旦引っ込めて、ひとつだけ私は投げかけた。
「私があなたの代理を務めているのは、金髪の人が原因ですか?」
「その質問には、答えられません」
リナリアが珍しくぴしゃりと言葉を封鎖した。それで、充分だった。
あれがいったいなんなのかはわからないけれど……リナリアが姿をくらませた原因は、金髪に銀の瞳の麗人が関わっている。
「……わかりました」
「私も、ずいぶんと長居してしまいましたね、そろそろお暇しないと。観測者、あなたはこの先、自分に力が足りないと、何度も嘆くでしょうし、弱音を他の者たちにさらけないとくじけることもあるでしょうが、どうか腐らないでください。あなたがあなたのままでいるだけで、救われる者もいると、どうぞ覚えていてください」
彼女はそう言って、鮮やかに笑ったあと、かき消えてしまった。
途端に、耳に水音が流れてきて、ぐわんぐわんと音が続く。私のほうに手を伸ばしていたヘメロカリスは、手をからぶらせて、地底湖を見て驚いたように声を裏返す。
「これは……水が、綺麗に」
「……浄化完了しました。これで、もう問題はありませんか?」
「本当に、お姫様は……」
そこまで言ったとき、私は思わずヘメロカリスを引っ張って地面に伏せた。こちらのほうに、剣圧が飛んでくる。
こちらのほうに攻撃してきたのは、アルだった。大剣を構え、怒りを露わにしている。……やっぱり、アルは相当怒っていた。その後ろでは、怒り狂って走ってきたアルについてきたアスターにカルミア、息も切れ切れになってしまっているスターチスとクレマチスの姿が見えた。
「リナリア様から離れろ」
「アル、待ってください! もう終わったんです! この人に、危害を加えないで!」
必死にヘメロカリスの前で両手を広げて首を振るけれど、私の肩を叩いて、ヘメロカリスが前に出て、手を挙げた。
「降参だ。こちらも終わった以上、お姫様をこれ以上拘束する気はない。このまま神殿にでも裁判にでも好きにしてくれ」
「あなたは……だってあなたは!」
「……町にも、仲間にも。これ以上厄介ごとに巻き込まれて欲しくないからな。俺の命ひとつで済むなら、安い話だ」
そうひとり呟くのに、私は黙る。
クレマチスはそれにおずおずと出てくると、アルのマントを掴んだ。
「アル様、リナリア様は返していただける以上、彼の話を聞くべきです」
「クレマチス、それは甘い」
「ぼくたちが世界浄化の旅を続けているのは、ただの自己満足であっていい話ではないです」
普段はおどおどしている子がはっきりとした物言いをするのに、アルは眉間に皺を深く刻んでから、ようやく大剣を鞘に納めたのだ。
……今度は、アルをどうにかしないと。私はそう心に決めてから、ヘメロカリスと共に皆の元へと向かったのだ。




