大地の巨人・2
巨人族の一頭が、こちらのほうに腕を振るってきた。力任せでも、明確に殺意を感じる。
アルが私をかばって大剣でその腕を振るう。でも。アルの腕が見るからにガクガクと震えている。……力が、巨人族のほうが強過ぎるんだ。
ペンダントを弄りながら、クレマチスが全員に向かって「目をつぶってください!!」と声を上げるのと同時に、ペンダントに溜め込んでいた詠唱が流れる。
「閃光!!」
強い光が破裂し、巨人はたじろぐ。ペンダントに閃光の聖書詠唱を溜め込んでいたのだろうけれど、それでも巨人たちを止めるほどの力はない……そりゃそうだ。本来、聖書詠唱は穢れにダメージを与えるもので、そもそも穢れに関係ない巨人にはせいぜい目くらましくらいの力にしかならない。
それでも、その間に姿勢を保てなくなった巨人の腕を、アルの大剣が薙ぐ。巨人族の体はぐらついて尻餅をつくけれど、腕自体にはせいぜい線ができた程度で、血が滲むこともない。それにアルは顔を歪める。
「あれの力は、本当に……」
「アルの怪力をもってしてもこれでは、私たちだとダメージは与えられそうもありませんね」
「リナリア様、象徴の力は?」
「……やれます。ただ、時間が欲しいんです」
いったいこの状態でどれだけ時間が稼げるかはわからない。でも、カルミアからヒントをもらえた以上は、それを活用する以外、巨人族を大地の祭壇から追い払うことはできないだろう。
時間はどれだけかかるだろう。私の記憶をどうにか探って幻想で周りを浸食する以上、前のときのアスターくらいはかかると思う。
「前の、アスターのときくらい、時間が欲しいんです。稼げますか?」
「半刻……か。できそうか?」
アルの言葉に、ペンダントを弄っているスターチスが、全員に障壁をかける。
「僕たちですと、おそらくアルストロメリアくんほども巨人族と対峙することはできませんが、足止めと目くらましならば、かろうじて」
そう言いながら、スターチスは続けて詠唱を解放する。
「円障壁!!」
本当に薄い膜が張られたものの、それは巨人族のシンプルな暴力の前だと、簡単に幹のような太い腕で割られてしまう。続けて何度も何度も円障壁を張ってもなお、力任せに打ち破られて、辺りには象徴の力の破片が撒き散らされて、すぐに消えてしまう。
それでも、一瞬生まれた隙を突いて、カルミアが大剣を振るう。って、彼の象徴の力だと火が、森が燃える……! と思ったのは一瞬。彼が大剣から放ったのは炎の真逆。氷だった。それが巨人族の足元を凍らせる。これも、円障壁程度の足止めにしかならず、力を加えた巨人が足を持ち上げようとしたら、すぐに割れてしまったけれど。
「神、とやらにもらったせいだろうな。炎以外が使えるようになったのは」
そうぽつりとつぶやくカルミアの言葉に納得した。
彼の象徴の力は【熱の伝導】なんだから、炎以外に氷が使えるようになることだってある。ゲーム上だったら、ほとんど炎だけ使ってもらっていたけれど、こっちだったらそうじゃないんだから。
足止めだけでいい、戦わなくってもいいと判断してからは、スターチス、カルミアに続いて、アスターも軽く詠唱を終えると、それを巨人族の足元に向ける。
「氷の矢」
氷で凍てつき、巨人族の足が止まる。
「で、リナリアちゃんはその間に、できるんだな? あの人魚の穢れを祓ったみたいに」
アスターが軽くウィンクするのに、私は頷く。
本当は皆に頼って後ろに隠れているのはよくないって思うけれど、あのときみたいに時間はかかるから。
アルが軽く私の背中を叩き「任せる」と小さく囁いてから、円障壁や氷の足止めも、閃光の目くらましも突破してきた巨人族を薙ぎ払いに前へと躍り出ていった。
私は神経を研ぎ澄ませる前に、ちらりと大地の祭壇のほうに視線を移す。
……まだ壊されてはいない。まだ、間に合うはずだ。
そう安心し、今は全員に全てを任せて、私は目を閉じた。
思考がクリアになる。
頭の中に、匂いが嗅ぎ取れそうなほどに、はっきりとクリアに浮かび上がる、リナリアの花々。
私はそこに、カルミアから聞いた話に、私が現実で見たニュースを織り交ぜる。
幻想だ。今までは私が見たことのあるものを、そのまま再現することしかできなかったけれど、これは違う。
リナリアは私の記憶にしかないはずの、私の知っている現実世界の情景を再現してみせた。
それをそっくりそのままできるかは、わからないけれど……。
この場を離れてもらうには、充分だ。
言葉が口の中から溢れる。前に穢れを祓ったときと一緒だ。神託……なのかどうかはわからないけれど。
「紡げ幻想、叶えよ創造、全ては瞳の浮かべる世界……幻想創造」
言葉が喉から漏れたのと同時に、体力がシューシューと抜けていくのを感じる。
私が思わず膝を突いたのと同時に、巨人族に変化が起こった。
「うー……うー……うーうー……」
途端に、大地の祭壇とは真逆の位置……私たちを通り過ぎて、そのまま明後日の方向へと、走り去っていったのだ。
皆はそれを、唖然として見ていた。
「いったい、なにをやった? 俺たちからはなにも見えないが」
地鳴りが遠ざかり、プレッシャーも解放された。私は力が抜けて座り込んでいる中、どうにか息を整えてから、眉間に皺を寄せているカルミアに言う。
「いえ、あなたから聞いた話を、どうにか私の想像で補って、彼らに聞かせただけです。映像を具現化するのは私には難しいですが、音や声だったら、どうにか再現できますから……」
「あれか。人間が巨人族の子供を見つけたら、すぐに殺すというのを」
人里に熊が紛れ込んでしまったとき、人間は保護し、できるだけ自然に近い状態で解放するというのを聞いていたから、カルミアから聞くまでは、巨人族でも同じような方法を取っているのかと思っていた。
でもそれにカルミアは首を振ったんだ。
「巨人族の子供が人里に現れた場合、すぐに始末をしなければならない」
「ど、どうして……ですか?」
「第一に巨人族に人の食事を与えてしまったら、巨人族は人の食事を欲するようになる。巨人族に与えられるほども人の食物は豊かではない。巨人族が紛れ込む可能性のある農村ならば、余計にだ」
私がそれに思わずひるんだときに、カルミアは涼し気な顔をして言った。
「優しいと甘いは違う。巨人族は巨人族であり、人ではない。人は人であり、巨人族の気持ちに寄り添おうと考えるのはおこがましい。それは支配者の傲慢だ。あれとは食べるものも違えば、住む環境だって違う。互いに互いの生き道を曲げないことが、互いが生きるための道だ」
この人は、間違いなく皇帝の器なんだなと感嘆しながらも、私は頭の中で繰り返し思い描いたのは、現実世界での狩人たちの声だ。
子供を殺す、自分たちの縄張りに近付かないように、必ず殺す。
その声をどうにか作り出して、巨人族にぶつけたのだ。おそらくは、彼らは我先にと縄張りに帰っていったのだろう。私は巨人族の生態には詳しくないけれど、家族単位で動いていてくれてよかった。もし単独行動するのが普通だった場合は、この幻想は通じなかったから、また別の方法を考えなくてはいけなかった。
それにしても。
私は力が抜けてしまってなかなか起き上がれないのに、心配そうにアルが「肩を貸しますか?」と言いに来てくれたのに、私はありがたく肩を借りつつ、よろよろと起き上がる。
こんなに力が抜けてしまっているのに、はっきり言ってすぐに大地の祭壇の試練を受けに行くのは無理だ。
私だけじゃない。私は肩を貸してくれているアルをちらっと見る。腕が細かく震えているのを感じるのだ。巨人族の怪力をずっとさばいていたせいだ。元々力の強い人なのに手が痺れているって相当だ。ペンダントの補助を受けて詠唱自体を短縮していたけれど、ずっと巨人の前で神経を張り巡らせて円障壁を張り続けたスターチスも、目くらましで閃光を使い続けたクレマチスも、疲れてしまっている。
まだ余裕がありそうなのは、カルミアとアスターくらいだ。
「巨人族がいなくなったけど、妖精も昨日の今日で危ない場所にはすぐ戻ってこないでしょ。屍累々になってる中、すぐに試練行っちゃうのは危ないし、ここでキャンプやっとく?」
アスターの軽口にカルミアが眉間に皺を寄せるものの、私も含めて全員ツッコミを入れる気力もないし、口も動かない。
ただかろうじて口の動くアルが「そうだな」としか答えることはできなかった。
****
結局は、皆で干し肉と干しブドウを食べ、お酒を飲んだあとは、泥のように眠ってしまった。
夢を見たら、リナリアに会えるかなと思ったけれど、彼女の夢を見ることもなく、体が重いのに身を任せていた。
象徴の力を使い続けると、体がここまで重いとは思わなかった。ううん。使い続けていたのは私たちだけじゃない。カルミアやアスターだって使い続けていたのに元気なんだから、象徴の力により削られる精神力は種類によっても違うのかもしれない。体を張り続けたアルとはまた別に。
ただ私は、ようやく朝焼けと共に目を覚まして、折れた木の向こうに漏れる日の光を眺めながら、ふと疑問に思った。
リナリアはこんなに体力を使い続けるはずの象徴の力を、呼吸するように使っているのに、彼女は本当に削れていないの?
そもそも、妖精たちは彼女の秘蜜を吸った途端に悶え苦しみ出してしまった。彼女の抱えている秘密って結局なんなの?
彼女はいったい、そこまでしてやりたいことってなんだったんだろう?
大地の祭壇に行っても、もうリナリアはどこかに行ったのかもしれない。さすがに彼女も、祭壇の試練をたったひとりで突破しようとするとは思えない。
さんざん考えたけれど、ひとまず起きる。泥のように眠ったせいなのか、あれだけ疲れて起き上がれないほどだった体が軽い。これだったら、幻想を浸食させるほどの象徴の力さえ使わなかったら、やれるはずだ。
「リナリアちゃん、おーはよ。よく眠れた?」
皆が疲れている中でも元気なアスターは、さっさと私用に干し肉と干しブドウと流し込む用のお酒を用意してくれた。
私はそれに思わず仰け反りながらも、一応頷く。普段寝ずの番のアルは、昨日は身動き取れなかったから、昨日の寝ずの番はアスターだったんだから。
「おはようございます。アスターは昨日は大丈夫でしたか? 妖精や巨人族は」
「昨日の今日だったせいか、ぜーんぜんなにも来なかったわ。こんな楽な寝ずの番だったら、毎晩やりたいけど」
「さすがに毎晩もやってもらうのは……」
「冗談冗談。で、マジで今日はあそこに行ける訳?」
アスターはちょいっと大地の祭壇のほうを見る。
石造りの建物は、巨人に襲撃されかけたけれど、幸い壊されることもなく、今もぽつんと建っている。妖精たちも巨人族も戻ってこない今しか、あそこの試練を受けることはできないだろう。
私は頷く。
「……大丈夫です」
「そっ。よかった。でも他の奴らは大丈夫なのかね?」
そう言いながら、今度は眠っていた皆のほうに視線を移すのに、私は黙り込む。
こんな満身創痍な状態で、試練に向かって大丈夫なの?




