大地の巨人・1
大地の祭壇への地域に足を踏み入れてから、ずっと肌をじりじりと焼くプレッシャーを感じていた。威圧感を増して、縄張りに入ってきた人間を殺そうとする、巨人族のものだ。
でも今はそれがないということは、巨人族が移動しているからに他ならない。
昨日移動するときは、慎重に索敵で偵察を行ってから通っていたにも関わらず、今は無作為に落ちた枝を踏んづけても、茂みを掻き分けても、巨人族の気配は存在しない。
「今はまだ日が落ちてないが、妖精のほうは大丈夫なのか?」
カルミアは剣で茂みを切り裂きながら、道を進みつつ聞く。
最短距離の道は、この一帯はほとんど人が来ないせいなのか巨人族の縄張りのせいなのか、獣道と呼ばれるような道すら存在しない。
クレマチスはガサガサと道を踏み固めながら「おそらくは、妖精のほうの襲撃はないと思います」と答える。
「人間が妖精を襲うとなったら、夜行性の起きて迎撃した可能性がありますが、妖精が地面に落ちていた以上、この場は危険だと判断して、大地の祭壇の周りの森からは離れた可能性が高いです。それに巨人族の暴れているのに巻き込まれる可能性もありますから」
「巨人族か……」
私の知っている巨人ってものよりも、この辺りの巨人は小さいらしいけれど、それでも戦うのを皆が嫌がるんだから、手ごわいんだろうなと思う。
そもそも、力でゴリ押ししてくるような敵は、今までいなかった。そんなものが現れたらどうなるんだろうと、ぞっとする。
アスターはげんなりとした顔で、クレマチスに問いかける。
「で、最悪祭壇を壊された場合、あそこの試練はできないんでしょ? その場合って、世界浄化の旅をどうすんの?」
「そればかりは、さすがにぼくも……祭壇が潰れたせいで浄化の旅が続けられなかったという前例は、今までないです」
「今までの大地の祭壇の試練、どうしてたんだか」
そう言うアスターに、私も考え込む。
ゲーム中にだって、祭壇が襲撃されるなんてハプニングは起こらなかった。リナリアだって何回もやり直していたはずだ。わざわざ巨人族を刺激して、祭壇を襲撃させる理由がわからない……。
旅の中断そのものが、目的?
一瞬そう思ったけれど、それはないと却下した。
リナリアは妖精たちに言っていた。「誰かがやらなければならないことなのです」と。
細かいことはわからないけれど、リナリアの目的は旅の中断じゃない。それだったら、わざわざ私に代役を立てなくても、神託そのものを無視して世界浄化の旅自体を止めてしまえば手っ取り早い。
そこまで考えを進めて、一瞬ヒヤリとしたものが背筋を通っていった。
メイアンの一件のように、私を鍛えるために祭壇ひとつを巻き込んだってこと、ないよねと。
あのときは私へのチュートリアルのために、都ひとつを巻き込んで、穢れと対峙することになった。戦い自体はアルがやってくれたけれど……。
今回、祭壇が壊された場合、旅自体が続けられなくなる。それを逆手に取って、試練を仕掛けてきたなんて、そんなことないでしょうね?
……ないとは、言い切れなかった。私は未だに、リナリアみたいな象徴の力の使い方をマスターできていないから。未だに劣化コピーしかできないけれど、それは彼女の力の一部でしかない。
私の象徴の力の使い方を会得できてないからって、そんなことだとしたら……。
そこまで考えていて、「リナリア様?」とアルに声をかけられ、はっとなる。
「な、なんでしょうか?」
「巨人族との戦いのことで、思い悩んでおられましたか?」
「……ええ。巨人族は見たことがありませんから。戦わない訳には、いかないんですよねと」
「彼らは人間を憎んでいますから」
「……ごめんなさい、彼らのことを思えば、そうなってしまうのは仕方ありませんでしたね」
巨人族からしてみれば、人間が勝手に自分たちの住処に祭壇をつくったのだから、我慢ならなかったはずだ。
戦いは避けられないにしても、中断させることはできないのかな。ついついそう思ってしまう。
私はちらっとアルに聞いてみる。
「……私たちで、倒せるものなんでしょうか?」
「わかりません」
そうアルがきっぱりと言い切るのに、私は思わず振り返る。長い髪が木の枝に引っかかったのを振りほどきながら。
「アルでも、倒せないんでしょうか?」
「……俺もこの森の巨人族と対峙するのは、これがはじめてですが、巨人族と戦ったことは神殿騎士の遠征であります。腕力だけでは、とてもじゃないですが、あれには歯が立ちません。象徴の力で詠唱がなくても魔法が使える者であったらなんとかなるでしょうが、詠唱なしで力が使えるものでない限りは、厳しい戦いになるかと思います」
シンプルに力が強くって、力任せな解決は無理。
象徴の力をそもそも使えないって、それどうやって対処すればいいんだろう。
私がますます渋い顔になっていく中、黙って話を聞いていたカルミアが「ふん」と口を挟んできた。
「巫女が俺にしたことをすればいいのではないか?」
「カルミアにしたっていうのは……幻聴、でしょうか?」
「貴様の力で退かないんだったら、どうしようもないだろう」
……カルミアはそもそも世界浄化の旅自体に否定的だから、旅が中断するかもしれないということそのものには、あまり慌ててないみたい。どちらかというと、巨人族の対処法のほうばかり気にしているみたいだ。
スターチスとクレマチスは、呪文をペンダントにある程度は溜め込んではいても、移動しながら使える呪文の選別をはじめているし、アスターはぶっつけ本番で対処する気みたいで、なにもしてはいないみたい。……まあ、彼の場合は応用が利くからそれでいいのかもしれないけれど。
問題は。巨人族がどうやったら引いてくれるのかってことだ。カルミアの場合は、あの人はあくまで自分の国のために行動していたのだから、フルール王国の困っている人たちの悲鳴を聞かせれば引いてくれると踏んだけれど、巨人族はそもそもどんなものを聞かせたら引いてくれるのかを考えないと、私の象徴の力だって上手く機能しない。
恐怖? そうは言っても、巨人族は自分たちの住処を人間に踏み荒らされて怒っているから祭壇を襲撃しに来たんだ。これは火に油を注ぐのとおんなじ。
同情? 巨人族はそもそも人が嫌いなのに、人間がとても困っているからここを通してなんて言って聞き入れてくれるんだろうか?
……そこまで考えて、ふと気付いた。
フルール王国側が、巨人族の迷惑を考えずに祭壇をつくったのが、そもそも妖精や巨人族に攻撃される由縁だ。ジェムズ帝国だったら、巨人族と人間の関係はどうなっているんだろう?
私は手前で剣で辺りを薙ぎながら進んでいるカルミアに声をかけてみた。
「あのう……こちらの巨人族と人間の関係が劣悪だというのはわかりましたが。ジェムズ帝国では、巨人族と人間の関係はどうなっているんでしょうか?」
私の質問の意図が見いだせないみたいで、カルミアはいつもの渋い顔でこちらに応じた。
「聞いてどうする?」
「はい。カルミアに行ったことを巨人族に行うにしても、彼らの心が揺れて引いてくれるものでなければ、意味がありませんから。もし悪いんでしたら、現在の関係性の理由を、いいんでしたら今の関係性を教えてくだされば、ヒントにならないかなと思いました」
「……あまり巫女の参考にはならないと思うが」
カルミアはいつもの鋭い眼光のままこちらを流し見ると、淡々と教えてくれた。
「不可侵領域という奴だ」
「つまりは……互いに関わらないということですか?」
「互いの存在は認知しているが、互いに好き好んで関わらないとしている。人里に好き好んでやってくる巨人族はいないし、巨人族の住まう地区に向かう人間もほとんどいない。もちろん、人里に稀に巨人族が現れたために、討伐部隊を編制することはあるが、それは異常気象の年に辺境の地で稀にあることだ。常ではない」
それって、私の世界でいうところの、熊の住処に人間が好き好んで向かわないし、熊も食事のために人里に向かわないっていうのと同じじゃない。それって、あんまり参考にならないよなあ……。
と、そこまで考えて気が付いた。
私の世界と似ているなら、同じような事例もあったんじゃないかと。
「それでは、巨人族の子供が稀に人里に来た例っていうものは、存在していますか?」
「それは……人に巨人族の子供が保護された例があるのかないのかという話か?」
「はい」
カルミアは少しだけ眉を寄せると、記憶を探るようにして答えてくれた。
それだったら……なんとかなるかもしれない。
熊と巨人族を一緒に結び付けていいのかは悩むけれど、他に対処法が思いつかない以上はそれしかない。
アルは「対処、できそうなんですか?」と尋ねるのに、私は頷いた。
「……やってみせます」
リナリアほど上手くはできなくっても、やってみるしかない。
旅が続けられないのは、本末転倒なんだから。
……これがリナリアの試練とかどうとかは、あとで考えよう。今考えていたら、やらないといけないことが鈍るんだから。
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草木を掻き分けていったら、クレマチスが「あれを」と囁くように言って、指さした。
その先には、たしかに夜に襲撃してきた妖精たちがバタバタと落ちていた。死んでいるのかと恐々と近付いてみたけれど、白目を剥いてしまっているけれど、生きてはいるみたいだ。
これらを見ながら、スターチスは「あまりない例ですが」とひと言添えながら、辺りをうかがう。
「稀に妖精が嗜好品として人間の秘密を吸うことがありますが、それが合わないと腹を下したり気絶したりすることがあります。本当に滅多にない例なので、この目で見たのははじめてなんですが……」
「つまりは、誰かここに来たってことか? なんだ、その人騒がせなのは」
アスターががりっと髪を引っ掻いたけれど、すぐに目を細めて、私の背中に手を回して地面に押し付ける。草木のちくちくとする感覚を覚えていたところで、全員がそれにならったのを見る。
頭上で、ヒュンという音が響き、地鳴りが続く。それと同時に肌が粟立つことに気付く。
こちらを見下ろす存在を見て、私は息を飲んだ。
造形こそ、人に似ているものの、肌の樹皮みたいに硬そうな質感といい、落ちくぼんだ目といい、明らかに人とは異なる存在。なによりも。
「……大きい」
背丈は、高めのバレーボール選手ほどで、2mあるかないかだけれど、その太さ。人間を若い梢と例えるなら、彼らは丸太ほどの太さがある。
頭身は五頭身ほどで、腰に樹皮を巻き付けている存在が、グルグルと喉を鳴らしながら明らかにこちらに対して敵意を向けていた。
先程の風を切る音は、巨人族が腕を振り回した音。たったそれだけで、私たちが隠れることができるほどの太い樹がへしゃげて音を立てて折れてしまった。
それがたった一頭だけだったらいい。こちらに気付いたのか、祭壇の近くにまでやってきていた巨人族が、一頭二頭三頭と……こちらのほうに落ちくぼんだ目で睨み付けてきたのだ。
遠目で見た祭壇は、今のところ破壊された形跡はないけれど、私たちは、これをどうにかしないといけないらしい。
一瞬たじろぎそうになったけれど、私はぐっと歯を食いしばった。
戦闘が、はじまった。




