妖精の誘惑・3
全員眠ってくれていると信じているけれど、もしこの状態で起きたら、きっと大惨事だ。
私はそう思いながら、妖精が必死でアルを避けているのを、短刀を構えて凝視していた。
アルの大剣が起こした剣圧は、たしかに透明な羽を狙っている。それに「ぴぎゃっ」と必死で避けているものの、まだ妖精は「食事」を諦めてはくれないみたいだ。
……人間が滅多に来ない場所で、恰好の嗜好品がこちらからやってきたんだから、諦めたくないんだろうけれど、こちらだって必死だ。皆が起きる前に妖精を追い払わないと、次から次へと秘密が暴露されてしまう。
暴露大会は、わたしの分だけでこりごりだ。
妖精は、必死で避けながらも、すっと鱗粉を振り撒きながら訴える。
─大事な秘密、約束
ふたりは約束が繋いでいる─
「……っ」
アルの手元がぶれた。剣圧は妖精の羽ではなく、梢を切り裂いた。バラバラッと裂かれた木が落ちてくる。
この秘蜜は……いったいどっちの?
私との約束? 私のことをリナリアじゃないとばらさない、見張るという約束。
それとも……いなくなったリナリアとの約束? アルはリナリアとなにか約束をしていたはずだけれど、肝心な部分は夢を通しても全部は聞き取ることができなかった。
私はわからないまま、アルを見つめるけれど、アルは答えない。ただ表情を消して、もう一度大剣を振るった。
いい加減、これだけ騒いだらカルミアやアスターは起きてしまうと思うから、ふたりが起きてしまわない内に妖精を追い払わないと。
私は具現化した短刀を消すと、別の短刀を取り出して、それを妖精に放り投げた。短刀から滴るのは、水。妖精も羽が濡れては飛べないはずだから。
妖精はそれを見ると、血相を変えて食事を諦めて、逃げはじめた。
─約束、守る。破らない。
それが世界を守ること─
「もういい、黙れ……!!」
アルの怒号と共に、妖精は光源から遠く離れた場所へと逃げて行ってしまった。
私は辺りを必死で伺う。木はアルの剣圧で少し枝が落ちたけれど、幹を倒すような真似はしていないし、巨人族を刺激するような真似はしていない……と信じたい。
それに。アルが眉間に皺を寄せて、なおも大剣を手から離さないのに、私は寄っていった。
「……アル、妖精はもういません。多分森も破壊されたとは言えないでしょうから、巨人族も来ません。もう、大丈夫ですから。その殺気を抑えてください」
「……すまない」
アルはひと息ついて、なおも眼光を殺すことなく森の向こうを睨みつける。
「……おい。今のは敵襲か?」
かすれた声は、寝起きの声。カルミアの機嫌の悪い声が聞こえたのに、私は慌てて返事をする。
「もう追い払いました。妖精です」
「……ちっ、食事に来たのか」
ジェムズ帝国では妖精の扱いはどうなっているのか知らないけれど、彼も妖精の嗜好品は知っていたらしい。私は必死で首を縦に振りつつ、アルのほうにも声をかける。
「……ねえ、アル。カルミアが起きましたから、交替しましょう? 眠りましょう? ねえ」
「……すまない」
アルは息を吐いたあと、ようやく大剣を納めてくれたことに、私はほっとした。
気になることは多々あるし、さっきの妖精が食べた秘蜜がなんだったのかはわからない。
でも。私だってアルに私の秘蜜を聞かれてしまった。
今は寝てしまって、リセットするしかない。
全部棚に上げているだけで解決なんてしてないけれど、この場を納めるには、それしかない。
精神的に疲れたせいか、さっきまで眠れなかったのが嘘のように、どっと眠気が押し寄せてきた。
さっきまで気になって仕方なかった妖精のジジジと鳴る羽音すら耳に入らず、私は眠りに落ちてしまった。
****
森の中。光源だけがぽわりぽわりと浮かんでいる。
これが私が浮かべたものじゃないと気付いたのは、この光源は私が浮かべたクレマチスの詠唱の中途半端な模造品ではなく、シャボン玉のように透明な泡だったからだ。
私は透明人間になったかのように、この場に立ち尽くしている。
その先にいた人物を見て、私は目を大きく見開いた。
「リナリア……」
私の声は、声にはならず、ただ口をパクパクと動かしただけだった。
その先で歩いている、真っ白な巫女装束の、パステルピンクの長い髪をなびかせている姿は、紛れもなく彼女だった。
彼女がゆったりと歩いていると、妖精がどんどんと集まってくる。
また、彼女の秘密が暴かれてしまうんだろうか。私は思わず象徴の力を使って妖精を牽制しようとするけれど、手からはなにも出てこなかった。
……透明人間は、見守ってさえいればいいらしい。
リナリアは妖精たちを追い払う真似をせず、そのままにしていると、妖精たちは嬉しそうに彼女の秘蜜を吸い上げる……でも。
おかしいと気付いたのは、ひとり、ふたりと、まるで蚊取り線香を設置した部屋みたいに、妖精たちが次々と地面に落ちていくのだ。
ちょっと待って。この反応って、リナリアの秘蜜を吸った……せいよね?
私が目を見張っていると、妖精のひとりは口をパクパクさせて、どうにかリナリアに語り掛けようとする。
─甘くってとろけて……苦くって、こびりついて、息ができない……─
「……そうですか」
その感想を聞いて、私はぎょっとする。
その味の感想……まるで蜜というよりも毒の感想じゃない。どうして、秘密を吸っただけでそんな感想が出てくるの。
私がぎょっとした顔をしている間に、妖精はリナリアに甲高い声を張り上げる。
─お、恐ろしいわ! そんなこと、するつもりだというの!?─
「……私の秘蜜は、どんどん吸ってもかまわないんですよ?」
─だって……そんなこと……できっこないわ!!─
「できないからしないんじゃないんです。やらなければならないんです」
リナリアは水色の瞳ですっと妖精を見下ろす。すると秘蜜を吸っていない妖精たちはさっと遠ざかる。妖精たちは脅えるように、少しずつ遠ざかり、やがて鱗粉すら残さずに去って行ってしまう。
地面に落ちた妖精たちもどうにか羽ばたくけれど、自身の体重を支えるのも困難なようで、あっちへふらふらこっちへふらふらとしながら、森の奥へと消えていった。
まるでリナリアの秘蜜をこれ以上吸いたくないみたいに、普段だったら韻を踏んで歌うように暴いていくというのに、口をするのもためらうように、さっきの勇敢な妖精以外は、誰ひとりとして彼女の秘密の内容を口にしない。
……ちょっと待って。これってどういうことなの?
それに。この状況っていったいなに?
ただの私の夢? それだったら夢なんだから私が象徴の力を使えなくても仕方がないけれど。
でも、リナリアは透明人間の私のほうにすっと目を細めて見てくるのだ。
今までリナリアは、私に夢を通じてコンタクトを取ってきていた。ただ私に象徴の力の使い方を促すようなものもあれば、自分の過去を見せることもあったけれど。これって、いったいいつのことなんだろう?
だって、リナリアはひとりで歩いているんだもの。世界浄化の旅の途中じゃない。
これって、いったいいつの話? 現在進行形の話だったら……妖精たちが見た秘密って、いったいなんなの?
私が混乱して立ち尽くしている間に、リナリアはゆっくりと口を開いて、噛みしめるようにつぶやいた。
「……このことは、許されないのかもしれません。それでも、誰かがやらなければならないことなのです」
それは私に聞かせるためにつぶやいたことなのか、自分に言い聞かせるために口にしたことなのか、わからないまま私は自分の意識が浮上するのを感じていた。
目が、覚めてしまう。




