妖精の誘惑・2
縄張りにさえ入らなかったら、巨人族とは戦闘にならない。スターチスとクレマチスが地図を見ながら何度も検討してくれたルートは遠回りだったけれど、どうにか巨人族の住処に足を踏み入れることがなくて済み、戦闘にはならなかった。
でもそれだけだと問題は多い。
第一に、火が使えない。この鬱蒼とした場所のどこにも火を焚ける場所がなく、万が一地面で火を焚いてしまった場合は、妖精を刺激してしまう恐れがあったからだ。だから食事ももらった備蓄から、火を通さなくても食べられる干し肉や干しブドウで留められ、残りはお酒を飲んで凌ぐこととなってしまった。灯り自体は、私が光の玉をぽこぽこと具現化できたからよかったけれど、あまり増えすぎても刺激してしまうだろうと、最小限に留めることとなった。
第二に、普段は鞄の中にしまい込んでいる部屋で寝られるけれど、部屋を取り出せるスペースがここにはない。湿原も岩砂漠も、居心地はあまりよくなかったけれど、空きスペースだけはたくさんあったから部屋を取り出すことも簡単にできたんだけれど、ここだと無理だ。当然野宿をすることになるんだけれど。
第三に、妖精っていうのはてっきり日の出と共に起きて日の入りと共に眠りにつく、絵本に出てくるようなもっと綺麗な存在だと思っていたけれど、妖精にとっては夜こそが本番だということ。
私は危なくないようにと、寝ずの番をするアルの近くで寝かせられたけれど、アルがずっと大剣を地面に突き刺したまま、じりじりと神経を張り詰めているのを感じていたら、気まずくってなかなか寝付けなかった。
この状態でさっさと眠ってしまったスターチスやクレマチスは、案外図太いのかもしれない。アスターとカルミアは時々アルと交代するために横たわって寝ることはなかったけれど、ふたりとも剣の柄に手を添えたまま寝ているから、果たして安眠できているのかどうか。
虫の鳴き声なのか妖精の声なのかわからない音が、ずっとひっきりなしに聞こえるのも怖い。私は何度も何度も寝返りを打ったものの、とうとう眠ることができず、そのままムクリと起きてしまった。
その音で、ずっと神経を張り詰めているアルが、ちらっと私のほうに視線を向けた。
「眠れませんか?」
「……ごめんなさい、ずっと音が聞こえて、気になって眠れません」
「そうですね」
日が落ちてしまったら、森はほとんど闇に閉ざされてしまう。どうにか光源は確保しているとはいっても、その光源が途切れた先は、もうなにも見えない。一寸先は闇とはよく言ったもので、それが余計に不安に駆り立てられるんだ。
アルは光源のない森の奥のほうに、鋭く目を光らせていた。やがて、口を開いた。
「……妖精は、森で人間を惑わせ、そのまま惑わせた人間を置き去りにして立ち去るという話は、よく聞きます」
「その。妖精は夜のほうが活動的なんですか?」
「そうですね……妖精の種類にもよりますが、森に住まう妖精は、基本的に夜行性です。耳栓もあれには効果がありませんから、こちらに来ないよう威嚇するしかないでしょう」
ずっとジリジリと聞こえる、声とも鳴き声ともわからない音。それが妖精の声と思ったら、途端に恐ろしく感じる。
日本ではもっとフレンドリーな妖精ばかりが思い浮かぶけれど、そもそもここの妖精たちは自分たちの住処に勝手に祭壇をつくられたんだから、人間を敵と認識しても仕方がないんだ。
わたしは仕方がなく、アルの隣に座る。眠りたくっても、意識が冴えてしまってしばらく寝付けそうもない。
アルの近くに座ると、皆が眠っているのを確認してから、できるだけ小さい声でアルに口を開く。
「……昨日は、ごめんなさい。びっくりして、逃げてしまって」
「……こちらも、すまなかった……ひとつだけ、確認していいか?」
「なに?」
アルはこちらをじっと見降ろしてくる。私はそのコバルトブルーの瞳と目線を合わせながら、彼の次の言葉を待つ。
「昨日お前が言っていたこと。あれはどういう意味だ?」
「え、どれのこと?」
「お前が誰かを好きになったら、必ず誰かが死ぬということだ。それは、お前が好きな人間が死ぬということか? それ以外の人間が死ぬということか?」
「……っ」
私はアルの問いかけに、思わず息を飲んだ。好感度なんて、説明ができないし。そもそもゲーム設定で好感度一位が決まってしまったら、そのまま順番が決まってしまう、好感度一位じゃなくって二位が死ぬなんてこと、どうやって説明すればいいの。
私がうんうんと頭を抑えて考え込むと、アルが神妙に「言えない話なのか?」と質問を重ねてくる。
「……言えないというか、どう説明すればいいのかが、わからない」
「それは、お前が言っていた予言に関係するのか? リナがいなくなったのも、それが原因なのか?」
「そう……なんだと思うけれど……私も自信がない」
リナリアが私に言っていた「私だと駄目」の意味は、未だにわからないままだ。
そもそも。ゲームのシステムで、好感度二位が必ず死ぬ。それの意味がシンポリズムだとどういうことなのか、私だってわからない。ただリナリアの言い方からして、将来を誓った相手は生き残って、他の相手が必ず死んでいる。だから好感度が二位の人が死ぬというのは間違いないんだ。
……とりあえず。私は意を決して口を開く。
「……リナリアが好きになった人は死なない。でも、リナリアを好きになった人が、必ず生き残れる保証はない。どうしてリナリアがいなくなったのかはわからないけれど……代理である私にも、多分同じことが起こる」
「お前の予言でも、それはわからないのか?」
「……誰かが誰かを好きになるなんて、どうやって予知すればいいの? 私が皆嫌いって言えばいいの?」
好感度がわかれば、こっちだって調整している。それができないから困っているんだ。でも、そんなことアルに八つ当たりしてもしょうがないし……。
私が抗議で重ねた言葉に、アルは考え込むように剣の柄に顎を押し当てた。
「……そうか、すまない」
「ん。私も。ごめんなさい。……あなたに当たってもしょうがないのに」
「いや。それは苦しいなと思っただけだ」
そうしみじみと言ったアルの言葉が、胸に残った。
……彼はもしかしなくても、いなくなったリナリアのことを思っていたのかもしれない。彼女が何回も何回もやり直していたことまでは伝えていないけれど、彼女が誰かが死ぬのを恐れていなくなったことまではわかったんだろうから。
間違っても、私のことを案じてくれたと取ってはいけない。調子に乘っちゃいけない。
私はそう肝に銘じながら、膝を抱えて膝に顎を乗せたとき。
くすくすと笑い声が響いてきた。
アルは大剣を取り、それを向ける。
その先には、蝶のように透ける羽を光源で光らせた、女性とも男性ともわからない造形の生き物が、鱗粉を散らして飛んでいた。
光源で鱗粉は虹を描き、辺り一面に不可思議な光を与える。
「……妖精? でも、妖精の住処はここじゃなかったんじゃ」
「おそらく、食べ物を獲りに来たんでしょう」
「妖精は、人を食べるんですか?」
いくらなんでも、こんな掌サイズの存在が人間をむしゃむしゃ食べるとなったら、冗談じゃないと悲鳴を上げるしかない。
でもそれはアルが短く「いいえ」と否定してくれたので、その線はないらしい。
「妖精の好物は……人の秘密です。人の不幸は蜜の味とは、聞きませんか?」
「……秘蜜?」
悪趣味な。でも。ゲーム中で発生していた特殊イベントの説明が、これでついた。
スターチスの隠し通していたアルメリアを死なせた心の傷が、妖精の食事のために引きずり出されていたんだ。
でも、この場には皆寝ているっていうのに。
そもそもここでどうやって戦って追い払えばいいっていうの?
火は使えない。戦うにしてもスペースが狭い。対して妖精は体が小さいから、避け放題食べ放題だ。嗜好品扱いは勘弁してほしい。
私はとっさに光を具現化させて、妖精の居場所をあれこれと見えるようにした。アルは妖精に向かって、黙って大剣を振るう。
斬撃が鋭く、それがわずかに剣圧をつくる。……これは、神が与えたアルの力らしい。
それを妖精は「ぴぎゃっ!」と声を上げて、ぎりぎりで避ける。鱗粉が散り、それで私はゲホリと咳き込んだ。
「妖精……これって殺して大丈夫なんですか?」
「住処に帰るように追い払う以外にないでしょうね。あまり森を荒らしたら……巨人族が出てきても困ります。あれは日中にしか活動しませんが、非常時には起きるでしょう」
「……それは困りますね」
巨人族とは絶対に戦うなとスターチスが何度も口酸っぱく言っていた以上は、妖精を追い払うのに留めるしかない。
私は必死で今まで見たことある魔法を思い返してみるけれど、どれもこれも大味過ぎて、いくら本物よりも小さいスペックじゃないと具現化できないにしても、無理がある。
だからといって追い払うにしても……風でも起こせばいい? でも今は攻撃魔法を使えるアスターは眠ってしまっているし。
このまま全員を起こして対処すれば妖精たちは追い払えるだろうけれど……。
万が一妖精に暴かれる秘密を聞いたのが全員だったら、疑心暗鬼に陥ってしまうかもしれない。そうなったら、私とアルで対処しないと無理だ。
私はそう思いながら、せめて目くらましとばかりに、光源を妖精にぶつけることしかできなかった。
妖精はそれを嘲笑うかのようにひょいひょい避けると、くすくすと笑いながら、こっちに近付いてきた。
整った顔は人形のようで、とてもじゃないけれど生き物とは思えない。
私が思わず見とれてしまったとき、妖精は歌うように言い放った。
─みんなで楽しく暮らしたい
誰のことも選ばない
でも みんな好きだということは
誰も好きじゃないことと一緒
本当に好きな人には
絶対に気持ちを知られちゃいけない─
「…………っ!!」
私は思わず耳を塞ぎたくなった。
でも、妖精は嘲笑うように、次から次へと暴露していく。
─巫女じゃない本当の巫女じゃない
本当に巫女らしくってどうすればいいの
わからないわからない
誰も死なないように、私がみんなを守らなきゃ
でも どんなに頑張っても本当の巫女にはなれない
だって 姿かたちをどんなに似せても
本当の巫女には程遠い─
「や、めて……」
そんなこと、わかってる。
私がリナリアには足元にも及ばないということくらい、私が一番よく知っている。
そんなこと、皆に知られたら余計に疑心暗鬼になるでしょうが……!
私は思わず短刀を具現化する。どうにかして、この妖精の口を塞がないと……!
そう思って妖精に投げようとするより先に、妖精は「ぴぎゃっ!」と声を上げた。
妖精の綺麗な顔には、傷。アルが剣圧で妖精の顔を薙いだのだ。
「……黙れ」
「ぴぎゃっ」
「次は羽を狙うぞ。その次は足、腕、首と続く。首が繋がっている内に立ち去れ」
その声は、ひどく冷たく聞こえた。




