水の祭壇の試練・2
湖からクプクプと泡が出てくる。
やがて、水柱が立ったと思ったら、そこから出てきたのは、水の中でしゅるしゅるととクロを巻いている水蛇だった。胴からは九つの首が出ていて、日本神話でいうところのヤマタノオロチを思わせた。……いや、あれは首が八つだったかな、スマホがないから確認できないけど。
ドラゴンにしては羽がないし、トカゲというよりは魚っぽい印象。
水蛇が出てきたのを確認してから、クレマチスはすぐに聖書を広げて呪文を唱える。
「索敵……!」
出てきた水の獣……でもあれって獣ってカテゴライズでいいのかな……に対してすぐに弱点を調べはじめたクレマチスは、みるみると顔を曇らせていく。
「どうしましたか?」
「……まずいですね、あの水蛇ですが、核を九つ、同時に破壊しないと再生します」
そう言っていると、クレマチスの放った呪文により、光が点滅する。水蛇に浮かび上がった弱点は、九つの首のそれぞれの付け根だ。
九つの首を同時に切り落とすって、いくらなんでも厳しい。
それを聞いたスターチスは、ちらりとカルミアとアスターを見る。それにカルミアはいつもの不遜な態度で、アスターはさっきまでの全力疾走で乱れた髪を手櫛で整えながら見返す。
「カルミアくんは詠唱抜きに炎を操れますが、あの水蛇を焼き払うとしたら、体力はどれだけ持ちますか?」
「あの蛇を焼けと?」
「あくまで可能性のひとつです」
たしかにカルミアの炎だったら、水蛇だって丸焼きにできそうではあるけれど、水蛇だって湖にずっと出ているだけじゃないだろうし。
私は思わず目を瞬かせてしまったら、カルミアは即答する。
「水面に出ている分には、四半刻もかからないが、水の中に潜られたら、その水を蒸発させる時間がかかる」
「み、湖を蒸発させるのは、さすがに……」
クレマチスが小さく抗議を入れると、スターチスは「可能性の話です」と言いながら、自身の首にかけているペンダントトップを弄る。
「ではアスターくん、その湖全体を凍らせる詠唱は、どれだけかかりますか?」
「この湖全体凍らせる、ねえ……」
アスターは「んーんーんーんー……」と言いながら、屋上から水面を覗き込む。
こちらが作成会議をしている間に、着々と水蛇はこちらに近付いてきている。
スターチスはペンダントトップから、溜め込んだ自身の象徴の力を解放させると、私たち全員に障壁をかける。これで攻撃自体のダメージは軽減されるとは思うけれど、熱は防げないし、水面に引きずり込まれたら一貫の終わりだ。
アスターは水面を見てから、「はあ」と溜息をついてから、ガリガリと整えた髪をむしった。
「波があるし、最大出力を出すとしても、半刻。でも氷を持たせるのもせいぜい四半刻もないぞ」
「それだけあれば充分です。ここからですが」
スターチスはペンダントトップを弄りながら、今度は私とアル、クレマチスのほうに振り返った。
「アルストロメリアくんとリナリアさんには、囮になってもらいます。アスターくんの呪文を完成させなければいけませんし、要になり得るカルミアくんにはとどめを刺してもらわなければいけません。敵の標準は、クレマチスくんにお願いできますか?」
ああ、つまり。
水蛇を水面におびき寄せて、アスターの呪文が完成するまでの牽制。氷で湖に逃げ込まれるのを防いでから、カルミアの炎でとどめ。九つの核を狙うために、クレマチスの象徴の力で調整を行うと。
スターチスはペンダントトップを弄ると、ペンダントからさっきとは違う溜め込んだ詠唱を引きずり出した。
円障壁により、どうにかギリギリのところで水蛇が身をよじってこちらを攻撃してくるのを防げたけれど、そのガラスのような硬度のそれは、もう一度水蛇に体当たりされたらパリンと音を立てて割れてしまった。
水蛇が身をよじったせいで、たちまちこちらはびしょ濡れだ。
「ちっ……本当にこれでどうにかなるんだろうな?」
「なるんだろうじゃありません。なるようにしないといけませんから」
カルミアが背中の大剣を引き抜いて、ブン。と周りに炎を振るうと、どうにか水浸しになった体も乾き、重かった体も軽くなる。
囮になるって言われても……私はちらっとアルを見る。ここからだったら、水蛇を牽制することはできないし、だからといって水面に潜られてしまったら作戦もなにもあったもんじゃない。
アルは短刀を引き抜きながら、短く言う。
「不本意かもしれませんが、今は戦い方を前に戻してもらってもかまいませんか?」
「……わかっています」
今の私だと、詠唱で皆をサポートするほどの力量がない。せいぜい水蛇への嫌がらせに、短刀を大量に具現化させて、それを投げつけるだけでせいぜいだ。
私が頷いたのを見計らってから、アルはもう一度私に対して言う。
「クレマチスがあれの弱点を見つけてくれました。とどめはカルミアが行いますが、あそこが弱いことには変わりありません。狙うなら、そこをお願いします」
「はい……!」
アルは私の返事に少しだけ口元を緩めてから、自身の短刀を引き抜いて投げつけた。首の付け根をブスリと刺された水蛇は、たちまち身をよじってこちらに水を巻き上げてくる。
なるほど、硬そうな体だと思っていたけれど、首の付け根は短刀でどうにか傷付けられる程度の薄さらしい。私も何本か短刀を具現化させると、そこに向かって投げつけようとするけれど、水蛇は抵抗して身をよじり、首の付け根を避けようとしてくる。さすがに他の部分は鱗が硬くって、短刀の刃が全然入ってくれない。
呪文詠唱をしているアスターのほうをちらっと見ると、集中に入っているせいでいつもの軽薄な態度は隠れてしまっている。でも湖ひとつを凍らせるための詠唱なため、当然ながら時間がかかってしまう。もしこれを中断させられてしまったら、最初からやり直しになってしまうし、カルミアにとどめを刺してもらえなくなる。
カルミアはカルミアで、何度か炎を巻き上げて全部を同時に焼き払おうと試みてはいるものの、一部が焼けたらすぐに水面に引っ込んでしまうために、全部を同時に焼き払うことは無理みたい。実際、アルが刺した部分もカルミアが焼いた部分も、水面に潜り込まれてしまって体勢を整えられてしまったらすぐに治ってしまう。
でもアスターが詠唱が完了する前に水中に潜られてしまったら、こちらもとどめを刺せなくなってしまうし……。どうにかして牽制できないかな。
私はどうにか短刀を投げつつ、手持ちの武器について考える。
水蛇は穢れじゃないから、穢れを祓う詠唱なんか意味がない。円障壁も体当たりひとつで割れてしまう程度にしか保てないから、物理攻撃には弱い。水蛇に水面に逃げ込まれないで、こちらが牽制できる方法……。
……ん、待って。怪我をするから水中に逃げるのよね?
「スターチス! 私たちが水蛇を牽制したら、すぐに水蛇に回復の詠唱をできませんか?」
私が水蛇のほうに短刀を向けながらそう言うと、スターチスは少しだけ困ったように眉を寄せる。
「……申し訳ありません、意図がわかりませんが」
「はい、水蛇は回復するのは、水中でしか行えないみたいですので。ですが、回復のために水中に潜り込まれてしまったら、アスターの詠唱が完了しても、今度はせっかく完了した詠唱のためにつくった氷を割らないといけなくなりますから」
「つまりは……水中に逃げ込む理由を失くして、このままこちらに釘付けにしろと?」
「はい!」
もちろん、怪我をしないってことが判明したら、こちらに体当たりしてきて、水中に落としてこようとする懸念だってあるけれど。今のところは牽制が効いているせいか、水蛇もむやみに距離を詰めてこようとはしていない。
スターチスは炎になぶられるたびに、鱗が焼けて水中に逃げ込む水蛇を眺めてから、詠唱を続けるアスターを見る。まだ詠唱は完了する気配がない。
「……わかりました、やってみましょう」
「ありがとうございます!」
再び水面に戻ってきた水蛇に、私が短刀を投げつけたのを見計らって、カルミアは眉間に皺を寄せながらこちらをねめつけてきた。
ええっと……カルミアの気に障るようなことは言っていなかったと思うけれど……?
私がちらっとカルミアに目を合わせると、彼は大剣にまとわせた炎を振るって、再び水蛇の首を狙った。
「回復させるのはかまわんが、それにもタイムロスがあるんじゃないのか?」
「……はい、ですが」
私はスターチスの詠唱が流れるのをじっと見ながら、手に短刀を具現化させる。
「私の具現化は大したことがありませんが、アスターの呪文を完成させるまでの時間稼ぎはできますから」
私ひとりで全部ができなくっても、全員で勝てたんなら万々歳だ。




