水の祭壇の試練・1
次の日、私はいつもよりも早めに起きると、頭の中でリナリアの花のイメージをする。
試してみたけれど、どうにか穢れを私のイメージを使って祓うことまではできるようになったけれど、私のイメージを固定させるというのはできずにいた。未だに劣化コピーまでしかできない。
だから私の記憶を、私の記憶そのまんま具現化させるということはできずにいた。
「ふう……」
昨日の人魚との一件を、音としてリナリアの花に閉じ込めることはできたけれど、花もよくて一日持てばいいほうだろう。
リナリアが自分の記憶を空間をつくって、自分の旅の記憶を全部保存しているっていうのが、どれだけすごいことなのか、嫌というほど思い知らされる。
多分、彼女は何回も周回している影響で、ここまでできるようになったんだろうしね。私には残念ながら、彼女の持っている象徴の力である【円環】は持っていないから。
私はリナリアの花を部屋に置いて部屋から出ると、部屋を鞄の中にしまい込む。
「おはようございます、リナリア様」
「はい、おはようございます」
既に起きていたクレマチスの用意してくれたパンとスープをいただき、私たちはようやく沼から離れることとなった。
相変わらず地面はぬちゃぬちゃしていて歩きにくいけれど、沼から離れたらだんだん土も固くなってきて、歩いているだけで体力を奪われることもなくなってきた。
それでも穢れの襲撃は後を絶たない。
沼地を離れたせいか、蛙の穢れは少なくなってきたけれど、ポニーみたいな小柄な馬の穢れに襲われるようになった。
いくら小さくっても馬なんだから、こんなのに蹴られてはたまらないと、カルミアの炎で牽制して足止めした末に、アルが剣でとどめを刺す、もしくはアスターやクレマチスの詠唱で射止めるという戦い方に変わりつつある。
私はというと、まだ母親人魚の穢れを祓ったときのような詠唱はスムーズにはできずにいた。あのときは戦わなくて済んだ、傍にずっとアスターがいてくれたからというのがあったけれど、戦いながら詠唱を唱えるというのはなかなか骨が折れる。
「リナリア様、詠唱の際は俺の背後より前に出ないでください」
「っ、ごめんなさい」
何度も何度もアルに苦言を言われて、私は必死で謝る。
まだ劣化コピーレベルでしか使うことができなかったことよりもできることは多くなったけれど、なかなか前に出てしまう癖を戻すことができない。
守られるってことに慣れるって、大変だな。申し訳なくって、ついつい余計なことをして、余計な手間を皆にかけさせるんだもの。
私の戦い方が変わったことは、その場で見ていたアスター以外は結構意外な顔をしていたけれど、概ね文句は出なかった。
「正直、リナリア様にあまり前に出てほしくありませんから」
控えめに控えめにクレマチスに言われて、私は思わずうな垂れてしまう。この子はアルと同じくリナリアに対して甘いから。
戦い方が変わったせいで、まともに戦えなくなった私が落ち込んでいたら、アスターはまたもぽんぽんと肩を叩いてくる。
「今は別にいいんじゃない? むしろ巫女姫が守られる覚悟なくってどうするの」
そう言われて、ますます縮こまってしまう。守られることに覚悟を持つっていうのは、結構厄介なんだ。だって、焦れば焦るほど滑舌が悪くなって、詠唱を失敗してしまうんだから。ゲームだったら詠唱がここまで神経使うものだっていうことわからなかったし、もっと万能なものだって思っていたけれどそんなこともないって実感しているところだ。
カルミアはこれに対してはかなり淡泊だ。
「足手まといになるから、背後で立っていたほうがまだ邪魔にならない」
「……ありがとうございます」
「……何故そこで礼を言う」
「いえ、本当のことを言ってくれましたので、つい」
彼が目を細めて怪訝な顔をしてくるけれど、今の私にはそれくらいのほうがありがたい。
カルミアくらい突き放してもらったほうが、現在進行形で足手まとい継続中の私としては楽なんだ。
ただ私が戦い方を変えたことで、スターチスは「ふうむ」と唸り声を上げる。
「リナリアさんの象徴の力はちょっと特殊ですから、力を溜め込むっていうのもできませんからねえ」
「ええっと……クレマチスの耳栓や、私たちの神殿からいただいている鞄みたいに、ですか?」
「耳栓の場合は、クレマチスくんが遠隔操作していますからちょっと違いますが、鞄の場合はそうですね」
鞄の場合は【収納】っていう一点特化の象徴の力だから、なんでもかんでもしまい込むっていうだけで使える。
でもリナリアの【幻想の具現化】は、私の思い浮かべた幻想を周囲に浸食させるという力なんだから、状況によって全然違うんだ。今までは武器に属性を付加させるとか、短刀を取り出すとかそれだけだったらまだよかったけれど。穢れを祓ったり、私の幻想をそのまんま具現化させたりするっていうのは、私の出す指示が変わってくるから、たしかに力を溜め込むにしても、いちいちどういう指示を出すのかって考えないといけないから、溜め込む量がどれくらいになるのかがわからない。
私がまたもうな垂れてしまうと、スターチスはのんびりと言う。
「そうですねえ、私の象徴の力とリナリアさんの力は似ていますから。呪文詠唱を短くすることだったら、なんとかできるかもしれません」
「ほ、本当にですか?」
「はい」
スターチスの象徴の力である【世界の知識】は、一度見たものを分析して知識として吸収するものだ。もっとも、アスターみたいに戦闘特化の詠唱は、詠唱の手順が違うせいでできないらしいけれど、たしかに一度見たことがあるものじゃなかったら具現化できないリナリアの力と似通っている。
スターチスはにこにこと笑いながら、私にペンダントをくれた。
「これはウィンターベリーで研究していた、詠唱を溜め込むペンダントです。リナリアさんの詠唱は全部最初の一節は神に対する祈りですから、この部分だけでも溜めておけば、呪文は短くなるはずです」
「そうだったん、ですか……?」
呪文って、てっきり全部覚えているものだと思っていたけれど、リナリアの呪文はそういうのじゃなかったせいで、自分だと全然わからなかった。
スターチスは相変わらずにこにことしながらパステルグリーンの髪を揺らしている。
「ええ、解析は自分の仕事ですから」
「ありがとうございます!」
これで、ちょっとは新しい戦い方に慣れるといいんだけれど。私はそう思いながらペンダントを早速首に引っかけて、ペンダントトップはドレスの下に隠しておくことにした。
****
湿地帯の独特の土の匂いに慣れた頃、だんだんと歩いている道が固くなっていくのがわかる。
だんだんとポニーの蹄の音が鋭くなってきて、その音のおかげですぐに迎撃できるようになったところで、ようやく水の祭壇が見えてきた。
翡翠色の湖水が存在し、その中に小さく浮かんでいる。小舟が二艘並んでいるのは、おそらくはここを管理している神官や、この神官に備蓄を運びに来ている神殿関係者の使うものだろう。
アルに先導されて、私たちは小舟に乗ると祭壇へと向かった。
祭壇は気のせいか、水と泥の匂いが篭もっているように感じるのは、湿原の中に存在する祭壇だからだろうか。
それにしても……。私は中を歩きながら、怪訝な顔をする。気のせいかずいぶんと床が濡れているように思う。
「あの……これって」
私は恐る恐るクレマチスのほうに顔を向けると、クレマチスも同じことを思ったのか、少しだけ顔を青褪めさせている。
「……火の祭壇のときは、火の獣のおかげで熱風が吹き荒れていました。おそらくは、リナリア様が水の祭壇を訪れたことで、水の獣が目覚めたのだと思います」
「つまり、ここは……」
水没。そう思ったとき、ぱしゃんぱしゃんと水音を立ててこちらに走って来る姿が見えた。
「巫女様たち、ようこそおいでくださいました!」
神官さんがこちらに走ってきたのだ。どう見ても荷物一式をまとめて背中に背負っている。それに私は顔を引きつらせそうになりながら、彼に会釈をする。
「あの、これから私たちは試練に向かうのですが、この水は……」
「ええ! もう水の獣が目覚めまして、湖水の水位がどんどん上がっています! もうすぐこの祭壇も沈みますから!」
「おい、沈むって……おい!」
「私は備蓄を持っていかないといけませんから! ご武運を!!」
そう言い残して、さっさと祭壇を出て、私たちの乗ってきた小舟に乗って逃げ出してしまったのに、思わず呆然と見送る。
でもスターチスのパンパンと叩く手の音で、私たちは我に返る。
「先程、神官もおっしゃっていましたね。祭壇が沈むと。急がなければ」
「急ぐって……俺たち全員で溺死しろっていうのかよ」
アスターがげんなりした顔をする中、アルはひょいっとなんの抵抗もなく私を抱えた。
お姫様抱っこではなく、完全に俵抱きでお荷物扱いだ。
「あ、あのう……アル?」
「リナリア様、最上階まで走ります」
「最上階って……あのう、ここはもうすぐ沈むと神官様もおっしゃっていましたが……?」
「おそらくですが、最上階が試練の場所でしょう。リナリア様がこの祭壇に近付いた関係で、水の獣が目覚めたのですから」
水の獣って言っているけれど。
どう考えても水にいる獣なんだから、獣じゃないよね。そう突っ込む間もなく、私はアルに抱えられ、他の面子もだんだん水位の上がる祭壇を全力で駆け上がることになった次第だ。
ちょっと待って、ゲーム内でもタイムアタックはあったけれど、ここまで危ないって聞いてない! 聞いてないってば!
アルの全速力で全身がぐわんぐわんになり、私は吐き気を必死でこらえながら、どうにか最上階まで到着したのだ。
……こんなに頭がぐわんぐわんになって、平衡感覚がなくなっている中、本当に呪文詠唱なんてできるんだろうか。不安になったけれど、もう最上階の屋上以外は、水に沈んでしまっているし、湖から波紋が見える。
ぶっつけ本番だけれど、やるしかないんだろうと、腹をくくるしかできない訳だ。




