水の祭壇と象徴の力
アスターとの問答をどうにか終えつつ、私は考え込む。
何度思い返してみても、フラグが立つような言動をした覚えはないけれど。アスターとの問答は、どう考えても個別ルート行きの内容だったような気がする。世間話にしては突っ込み過ぎなんだもの。
これ、放置していて大丈夫なのかな。んーんーんーんー……。乙女ゲームならいざ知らず、私個人の恋愛スキルなんて微々たるものだ。そもそも現実に乙女ゲームの攻略対象みたいなイケメンもいなければ、ブラックサレナみたいに込み入った案件なんてある訳もなく、乙女ゲームの調子で行っていいのか自信がない。
乙女ゲームだったら、放置してフラグ地雷を爆発させてしまえば、もう好感度だって上がらないんだけれど、それを現実でしてしまったらそれ以外の人間関係に支障が生じるし、戦闘士気だって下がるよなあとついつい思ってしまう。
はあ……ゲーム脳の私に、乙女脳を求めないでほしい、本当に。
考え込んでいる間に、水面が見えてきた。陸地ではちょうど心配そうにクレマチスとスターチスが水底のほうを見下ろし、アルとカルミアはいつもの調子で待っているところだった。
「リナリア様……! ご無事でよかったです! おふたりの声が聞こえなくなったので、なにかあったんじゃないかと心配していました」
アスターがようやく水泡を解いて陸に上がると、ぱたぱたとクレマチスが寄ってきてくれたのが申し訳ない。私は目尻を下げてクレマチスに寄る。
「ごめんなさい、心配させるつもりはなかったんです。ただアスターとお話していただけで」
「それなら、別にいいんですが。耳栓を通して話は伺いました。人魚の件は、どうにかなったんですね?」
「はい」
皆には、夜が明けたらすぐ沼から離れれば人魚が攻撃してこないことを伝える。もっとも、この辺りのことは耳栓を通して全部伝わっていたはずだけれど。
そのことを伝えて、また眠りに行こうと部屋に戻ろうとしたとき。
「リナリア様」
また寝ずの番をしようとしていたアルに引き留められて、私はぱっと振り返る。
アルから声をかけられるのは珍しいな。
「どうかした?」
「……本当に、アスターとはなにもなかったか?」
どうにも、アルはアスターに対して警戒心持ってるみたいだしなあ。アスターは言動はあんなんだけれど、一応貴族様だから、遊ぶ相手は選ぶと思うんだけどね……そりゃ、私も警戒してしまったんだけれど。
私はそれにパタパタと手を振る。
「本当になにもないよ……そういえば、象徴の力の使い方をちょっとだけ勉強したかな?」
「……それは、スターチスのところで学んだんではないのか?」
「うーん、使い方を根本的に勘違いしていたのを、修正できたって感じかなあ」
私はそう言いながら、手の中で花を出す。出した花はリナリア。リナリアは自分の記憶をそのまんま花の中に映像として具現化することができたけれど、私はまだ花の中に、ピンボケした写真を具現化させるので精一杯だ。でも、練習すればリナリアと同じようなこともできるかもしれない。
私の見せる花を、アルは眉間に皺を寄せて怪訝な顔をしてみせた。
「リナのそれは、自分の見たり聞いたりしたことをそのまんま具現化するものではなかったのか?」
「ちょっと違うと思う。リナリアの本来の力は、多分自分の想像力を現実に浸食させるものだと思う……でも私が見たことあるリナリアの力はもっとすごかったし、次の祭壇でまた少し力を強くしてもらえるけれど、それに見合うだけの力の使い方を勉強しないといけないと思う」
「……そうか」
アルが少しだけ考え込んだように、コバルトブルーの瞳を曇らせるのに、私は髪を揺らした。
「なにか気になることがあるの?」
「……俺が聞いていたリナの力と、違うみたいだからだ」
「それって……リナリアにこの能力のこと、嘘を教えられていたってこと?」
「いや、理奈の使っていたようなことは、リナリアも象徴の力を使うときに使っていたが、俺の聞いていたものよりもずっと汎用性が高いように感じる」
「ええっと……つまりは、嘘はついていないけれど、力の全容は聞いてなかったってこと?」
「そうなる」
私はそれに思わず目を瞬かせてしまった。
リナリアが一番信用しているのはアルのはずだけれど。実際、リナリアは自分の口から、ちゃんとアルの名前は言っていたし、私に見せた記憶も、アルのものだったし。
でも、そんな彼にすら、力の全容は教えていなかったっていうの? どうして? なんのために?
私は思わず「むむむ」と喉を唸らせたあと、切り替えようと思って、アルの背中を叩いた。
「もしかしたら、リナリアも自分の力の全容を把握できてなかったのかもしれないじゃない。私も自分で実際使ってみなかったら、力のことなんてわからなかったし、私自身も手探りでこの力と向き合っているんだもの」
「……象徴の力は、たしかにひとりひとり違うが、自分自身が力の全容がわからないなんてこと、ありえないんだが」
「ええっと……それは前にも言っていたよね?」
私が記憶喪失のふりをして、象徴の力の使い方がわからないと言った途端に大騒ぎになってしまったことを思い出す。皆が皆「ありえない」と言っていたのも。
元々私のいる現実世界だったら、当然象徴の力なんて魔法や超能力の類はないから、その感覚がよくわからないんだけれど。
アルは少し考えてから、懐から短刀を取り出すと、その鞘を引き抜いた。
「短刀を鞘から抜く、出す。見たらそれはすぐわかるし、抜き身のまま持ち歩くことはしない」
「そりゃ、そうだよね……だって服がボロボロになるし、怪我するかもしれないし……」
「赤ん坊だったら、それが理解できずに放置した短刀で怪我をしたり、逆に遊んで誰かを怪我させたりするが、学習すればその最低限のことは覚える……俺たちが象徴の力の使い方を覚えるのも、そういうことだ。自分たちの中で力を吐き出して、少しずつ学んでいく」
なんというか。自転車の乗り方を一度覚えてしまったら、怪我をしたり体力なくなったりしない限りは忘れないっていうのと一緒だよね。
私が理解したのを納得したのか、アルは続ける。
「リナも最大限の力は使っているから、自分のできることできないことを把握してないはずはないんだ。そもそも理奈みたいに象徴の力の存在そのものがないっていうののほうが、俺には理解ができないんだがな」
「うーん、そうなるんだ……でも、リナリアは、別にアルを騙していたんじゃないと思うよ?」
アルが沈みそうになるのを、必死で励まそうと言葉を選ぶ。アルは少しだけ眉間の皺を伸ばして、私のほうを見た。
「リナリアが一番信じているのは、アルだと思うから」
でなかったら、私にわざわざアルと一緒の記憶を見せないと思う。アルだったら、なにかあったら私の味方をしてくれるんじゃないかと信じたからだと思うんだ。
実際、私はこの人に助けられてばかりだし。
アルは少しだけ目を見開いたあと、少しだけ目を細めた。
「……そうか」
「うん、そうだよ」
それから、私はようやく部屋のドアに手をかけた。
「おやすみなさい。人魚に悪いから、明日は早くに沼から離れよう」
「……ああ、おやすみ」
そのまま部屋に入り、私は「はあ……」と床に座り込んだ。
今のは大丈夫なのか。アルは、多分安全牌だから大丈夫……だとは思うけれど。アルはリナリアのことをずっと考えているし、想っているけど……あれはどうなんだ? 鞍替えするとか、そんな風なことはないよね。これは私の考えすぎだよね。
アスターのフラグはどうなっているのかと思うものの、ストレートに「あなた私に気があるの?」なんて聞けるのか。いくら乙女ゲームの主人公だからって、そんなこと言っていいもんなのか。だからといって、あのフラグを放置していて、勝手に好感度が上がっても、困る。
どうにか床を転がり回りたいのをこらえて、ベッドにまでずるずると体を引きずって横たわると、私はどうにか火照る顔を冷まそうと転がり回った。
……落ち着け、いくらこの世界が乙女ゲームで、私が主人公やっているとはいっても、私はあくまで代理だ。そもそも世界浄化の旅が進んでないのに、勝手にフラグのことについて思い悩むのは時期尚早過ぎる。まだ水の祭壇にだって到達してないし、あと三つ祭壇を通らないと、終着地点の闇の祭壇には辿り着かないんだから。
そこまで考えて、ようやく顔の火照りや萌えのパッションが治まり、私はもぞもぞと布団を被ることができた。
でも。リナリアは今でもあれこれと私たちに干渉してきているのは、カルミアのことからして察することができるけれど。
リナリアはそもそも今はどこにいるんだろう? そしてアルにはいろいろ込み入った話もしていたみたいだけれど、自分の能力のことを教えてなかったのはなんでなんだろう?
リナリアの持っている聖書を全部書き換えたりする力は、たしかに私だって力を付ければできそうな気がするけれど、その力は皆が皆「ありえない」って言っていた。
それって、リナリアは周回プレイしていくうちに、力の使い方をどんどん学習していって、奇跡みたいな力が使えるようになったってこと? でもそれを考えると、ますます変だと思ってしまう。
リナリアの力だったら、わざわざ私を呼ばなくっても、自分ひとりの力で全員を殺さないで済むルートは生成できたんじゃないの?
そりゃ、私だって現在のフラグ管理がどうなっているのか把握できてないけど……アスターのがいきなり湧いてきたけど、いったいいつからなのかわからないし……リナリアだったらもうちょっと上手く避けることはできたから、好感度を一定値までで抑えることはできたと思うんだけど。彼女にだって逆ハー趣向はなかったと思うし。
どうして、それでも誰かが死んだんだろう……?
「うーん……」
こればっかりは、全部の祭壇を解放しないことにはわからないことなのかな。
私はごろんと寝返りを打ってから、目を閉じる。
これ以上は余計なことしか考えられないと思うから、さっさと眠ってしまおう。




