偽りの巫女と放蕩貴族の密談
私はアスターのそのひと言に、どう返事をするのが正解なのか、わからずにいた。
わざわざ耳栓外して密談したいって、どういうことなの。
「……私は、神殿に仕える巫女です」
「リナリアちゃんは神殿からの命令で俺を連れ戻しに来たから知ってると思うけど、うちの実家は神殿にも相当寄付金出してる家系なのよねー」
そう言いながら、アスターはエメラルドグリーンの瞳でじっとこちらを見下ろしてくる。口元は笑っているけれど、目はなにかを見定めているようだ。
「だから神殿のことについてはいろいろ詳しいんだよ……田舎の支部だったらともかく、神殿って後継者争いに巻き込まれそうなご子息ご息女の逃げ込み場所なのよね。もし実家になにかあったらいつでも還俗できるようになってる」
「……それで?」
「うーん、リナリアちゃんも理屈で言うんだったら、貴族出身のはずなのに、それらしさが抜けてるような気がしてさ。なんでだろうって思ったんだよ」
そ・こ・かぁ……!
元々私が記憶喪失って設定を通しているのは、アルとクレマチス、スターチスだけだ。アスターとカルミアには、そもそもその設定を教えてはいない。
一般人の学者であるスターチスだったらともかく、貴族のアスターからしてみれば、不自然さがちらついちゃうのか。でも正しい貴族のやり方なんて、ゲームの設定以外知らない私にはわからないよ。
……でもちょっと待って。アスターにはなんのフラグも立っていなかったと思うし、意図的に距離を取っていたから、興味だって持たれてなかったと思うんだけど。
それともなにか? 女日照りが続いたせいで、誰でもよくなったとか? でもゲームでさんざん見てきたアスターの性格を考えたら、女子にちょっかいをかけるのはいつものことだけれど、人の背景に興味を持つこと自体が滅多にないはずなんだけれど……。ぐるぐると今までのことを思い返すけれど、安全牌だと思っているアルやスターチスほども距離を詰めてしゃべった記憶が思い当たらない。
とにかく、黙っててもしょうがないから。なにか答えないと。私はそう思いながら、必死で言葉を手繰り寄せる。
つくづくアドベンチャーゲームって優秀だ。だってセリフに選択肢があるんだもの。ここではそんな選択肢、存在してない。
「アスターは知らなかったかもしれませんが、私は記憶喪失、なんです」
「……ふうん?」
アスターはこちらの嘘を探るように、じっと見てくる。これ自体が大嘘なんだから、腹芸特化の彼には見破られてしまうかもしれないと、どうにか私は彼の瞳を逸らさぬようにして、必死で主張する。
「アルにもクレマチスにも、それが原因でさんざん迷惑をかけました。象徴の力の使い方も忘れてしまって」
「象徴の力の使い方を忘れるって……そんなことありえるの?」
「神官長様にも、「ありえない」と言われました。それで学者のスターチスに使い方を教えてもらって、どうにかここまで来られました……もし巫女らしくない、貴族らしくないっておっしゃるなら、私の根幹が抜け落ちているからかもしれません」
嘘を嘘だとわからなくするには、八割は本当の話をして、二割に嘘を混ぜ込むんだと、どっかのゲームで見たような気がする。
少なくともアルとクレマチスに迷惑かけたのも、スターチスのところで象徴の力の勉強をしていたのも本当だから、これで見逃してくれないかなあ……。
そう背中にダラダラと汗をかきながら、都合のいいことを考える。
アスターは笑顔を浮かべたまま、じぃーっと私を見下ろす。相変わらず腹でいろいろ考えている彼は、こちらに手の内を明かす気はなさそうで、思わず肩がすくみそうになるけれど、やがて「はあ……」と溜息を付かれてしまった。
「まーだ、俺には心を開いてはくれてないみたいね」
意外なことを言われてしまったのに、私は目を見開く。
「そ、そんなことは、決して……」
「いや。君がどうしてそこまで嘘つくのかわかんないけど、なんでかなあと思っただけよ。さっきも言ったけど、神官や巫女になってる人間も、ほとんどは貴族や王族出身。そんな人間ばかりの中で、いったいどれだけ本気で世界を救う気があるのかわかりゃしねえのに、どうして君がそこまでして命をかける気になったのか、気になっただけで」
ああ、そっち?
ますます私は困惑していた。
アスターは、家の家督問題からはじまって、社交界の腹芸ってものをさんざん見てきて嫌気が差したから、家督を継ぐまでの間の自由時間を外遊に費やして、社交界から距離を置いているキャラだ。
だから基本的に綺麗なものとか、信念ってものを全く信じてない節がある。
下心とか、下世話なネタとか、出世欲とかのほうがまだ信じられる人のはずだ。
どうも私が本物か偽物かってことよりも、偽物がわざわざ本物の真似をしている意味がわからないってところに引っかかったみたい。
でもなあ……。私は言葉に困る。
アスターに興味を持たれてしまったら困る。ただでさえアスターは安全牌ではないのだ。フラグを完全に折り切ってない中、下手に彼のフラグは立てられない。万が一アスターにフラグが立ってしまったら、必然的に誰かに闇落ちフラグが立ってしまうし。だからといって、下手に嫌われてしまっても、戦力に不備が出てしまう。
……仕方がない。ここは下手な嘘をつくよりも、本当のことを話したほうがいいだろう。
私は口を開く。
「……他の人はどうかは知りませんが、私には憧れの人がいますから。私はその人の志を尊いと思いました。だからその人の志を守りたいと思った、それだけです」
神殿が一枚岩じゃない、国や神殿がさっさと行動に移さないってことくらい、私も一年は神殿にいたから嫌というほど思い知っているけれど。でも。
リナリアと約束したんだ。誰も死なさないルートを手繰り寄せたいと。そこにだけは、なんの嘘もない。
アスターはそれに目を細めて、ふっと笑った。ようやく探るような色は解いてくれたみたい。
「そうか。リナリアちゃんもお人好しだなあ」
「私より、何倍もお人好しな人を知っているだけですよ」
「そうか」
何故かアスターはほっとしたような、納得したような顔をしたのが気になったけれど……。下手なフラグは立ててない、よね?
「あの、私のことを、誰かに告げますか?」
「えー。リナリアちゃんが偽物の巫女としても、それを言って代わりなんているの? 誰も命がけの仕事を肩代わりなんてしたくないでしょ。リナリアちゃんは、巫女の使命を続けるつもりなんでしょう?」
「それは、もちろんです」
「そっ。ならこの話はここまでってことで」
そのままアスターは笑顔を浮かべたまま、水泡を操る作業に戻ってしまった。
なにか口止めのひとつとしてセクハラでもされるんじゃないかとヒヤヒヤしていたけれど、アスターは存外紳士的、いや貴族的だった。そんなことは全くなく、水面がようやく見えてきた。
明日には沼から離れるし、それからもうちょっと歩けば、水の祭壇だ。
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はあ、どうにも。
俺はパステルピンクの髪でかちこちに固まっている少女をちらっと見ながら、水泡を操っていた。
あとちょっとでデートも終わり。野郎共の顔を拝むまでもうちょっと。
綺麗なお兄さんと可愛い女の子がふたりっきりっていう絶好のシチュエーションだっていうのに、可愛いその子は肩を強張らせて、ふたりギリギリ入る水泡の中でもなんとか距離と取ろうとしている。
ガードが固いな、本当に。
夜会で令嬢のお相手をしていれば、こちらからさんざん情報を引き出して、自分のことを一切しゃべらないという話術の持ち主とさんざん遭遇するけれど、どうにも彼女はそんな腹芸ができるタイプには思えなかった。
どちらかというと、一生懸命自分の話をしないように黙っているように感じる。アマリリスとかで遭遇する、必死で令嬢をアピールしているお嬢さんとなんら変わりがない。
その必死で嘘をついている根幹っつうのがわからねえな。
見ている限り、神殿騎士として巫女の護衛しているアルには距離間をずっと詰めているけど、同じく神殿で修行している者同士のクレマチスとはわずかに距離を空けているように見える。
スターチスの場合は師弟関係っつうことまでは見ていてもわかるが、問題は帝国の人間のはずのカルミアへの距離間がややおかしいことだ。リナリアちゃんは初対面だとは言っていたが、そこも果たしてどこまで本当なのやら。まだ信頼されてねえみたいだから、そこまでは口を割ってはくれなさそうだが。
カルミアはカルミアで、リナリアちゃんがふたりいるみたいなおかしなことを言っているし。
リナリアちゃんの言葉を本当とするなら、嘘をついている根幹は、カルミアの言っているもうひとりのリナリアちゃんになる……が。
そのもうひとりの力は、カルミアの言葉を信じるとしたら、どう考えたって象徴の力の範囲を超えている。それはもう神の奇跡ってものであって、もし過去の巫女姫にもそんな力を持った人間が世界浄化の旅に出ていたら、神殿が大々的に神話を生成して触れ回るだろうに、それは聖書の一行にも載っていないし、記録もされていない。
世界浄化の旅は、世界のフィルターの汚物除去だって聞いてきたが、まあ。
これって神殿や王国が教えとして触れ回っているものよりも大事なんじゃないのか?
一抜けたとしたいところではあるが、まあ。
俺はちらっとリナリアちゃんを見ると、彼女はきょとんとした顔で「どうかしましたか?」と尋ねてきた。
「いや、なかなか落ちない子の落とし方について、考えていたところよ?」
そう冗談を飛ばして来たら、瞬時に顔を強張らせて仰け反ったので、「冗談冗談」と手を振っておく。
この底抜けにお人好しな子を魔物の巣窟に放っておくのも、可哀想ではあるんだよな。
アマリリスに遊びに来る腹芸に向いてないお嬢さん方みたいに、必死で腹芸にすらなってない嘘をついているのを見ていたら。
俺は別に、このお嬢さんほどお人好しでもないのになあ。危ない橋にわざわざ乗っかっている自分に、思わず笑いが込み上げた。




