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円環のリナリア  作者: 石田空
神託の旅編

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沼の人魚・2

 土がぬかるんでいるけれど、慎重に歩けば足元が泥まみれになることはなく。沼の傍を歩いているけれど、今のところは人魚が現れる気配もない。

 でも現れる穢れは、今まで戦ってきた穢れとはちょっと違うみたいで、戦うのも結構骨が折れる。


索敵(サーチ)!!」


 沼の表面は藻や浮草が浮かんでいて、その下から攻撃されてしまったら、なかなか倒すことができないんだ。

 アルやカルミアは大剣ではなく短刀を構え、私はいつも通りに短刀で、クレマチスが聖書の詠唱により唱えた呪文で見つけ出した穢れに狙いを定める。


「アスター!!」


 私が振り返ると、アスターは「リナリアちゃんも人使い荒いねえ」と軽口を叩きながら、呪文詠唱を手早く終えた。


鎌鼬(ウィンドビースト)!!」


 藻や浮草を裂くように風が巻き起こると、沼の中に隠れていた穢れが出てきた。

 大き目な蛙が何匹も現れて、長い舌や毒を吐いて攻撃してくるのをどうにか交わして、皆で短刀を投げつけて仕留めた。

 どうにか蛙が動かなくなったのを見て、私はほっと息を吐く。


「ふう……」

「お疲れ様です、リナリア様」


 アルはそう言いながら、蛙から短刀を抜き取って表面を拭き取ると、懐に収めた。


「ありがとうございます。それにしても、この辺りの穢れもずいぶん変わってきましたね。人魚は、まだ表れていないようですが」

「そうですね。皆さん。毒は避けたはずですが、念のため診せてください」


 私とアル、カルミアはスターチスに診てもらったけれど、ひとまずは蛙の毒を被ってはいないみたいで、ひと安心だ。

 スターチスは沼のほうを見ながらのんびりと笑う。


「人魚も警戒心が強いですからね。大勢で歩いている内は、あちらから攻撃してくることもないでしょう。ただ、単独行動は控えたほうがいいですね」

「そうですね」


 さすがに、ここに住んでいる人魚と戦うことになってしまうのは気が引ける。でもまだ半日しか歩いていないし、沼から離れるには、一夜明けてからになりそうだ。

 既に日は暮れかかっているから、湿地帯でも大丈夫そうな場所で寝泊まりするしかない。


****


 火の祭壇からもらってきたパンにスープでご飯を食べる。

 この辺りは夜でも急に寒くなることはないから、比較的過ごしやすい。蛙の鳴き声がずっと響いているのが気になるけれど、夜はこちらを襲ってくることはないらしく、アルは寝ずの番をするらしいけれど、夜に穢れの襲撃はなさそうだ。


「とりあえず、寝るときに多少なりとも寝苦しいかもしれませんが、沼から離れるまでは絶対に耳栓を外さないようにしてくださいね」


 クレマチスのそう指摘され、私は自分の部屋を引っ張り出して寝に行くときも、耳栓を耳に入れたまま、ベッドに就くこととなった。

 今日は歩いているだけ、ときどき穢れとの戦闘にもなったけれど、今のところは大丈夫。

 明日で沼から離れるはずだし、人魚と戦いにならなくってよかったって思えばいいんだろうけれど。

 私はベッドに潜り込もうとした、そのとき。


 ──あなたはどこ?


 甲高い女の人の声が聞こえてきて、思わずベッドから転がり落ちる。

 ちょっと待って。ここって湿地帯だし、普段は神殿関係者以外は入れない場所だし、ましてや女の人が私以外いるはずないんだけれど。

 ……幽霊? 私は恐々と声の方向を探す。

 恐る恐る部屋のドアの向こうを見るけれど、寝ずの番をしているアルが、火を絶やさぬように薪をくべているの以外見えない。他の皆も持ってきていた自分の部屋にいるはずだ。カルミアはアルより数メートルほど離れた場所で、沼のほうを眺めている。

 だとしたら……この声は誰?

 そもそも、「どこ」っていうのはなんだろう?

 もう一度耳を澄ませる。


 ──あなたはどこ?

  ──あなたは誰?

   ──こんな場所にどうかしたの?


 鈴を鳴らしたような声が次から次へと聞こえてくる。でも向こうにいるアルたちからは聞こえないみたいだし。

 まさかと思うけど、これ、人魚の声?

 たしかに歌声だったら、クレマチスの耳栓で遮断できるはずだけれど、会話は遮断できないはずだ。だとしたら、人魚はどこかにいるっていうの?

 私は沼のほうを見たとき、沼は波紋を広げているのが見えた。


「アル! カルミア! 沼のほうを見て……!!」


 私は思わず声を上げた。

 ふたりはびくっと反応して、大剣を取った。けれど。

 沼からなにかが浮き上がってくるのが見えた。大量の藻や浮草だ。それがまるで意思を持っているかのように、急激に伸び出したと思ったら、触手のように蠢きはじめたのだ。


「起きて! 沼からなにかが出てきました!!」


 私が声を張り上げると、部屋に引っ込んでいたはずのクレマチスとスターチス、アスターも飛び起きて出てきた。

 スターチスが顔をしかめる。


「……今回は人魚が現れないとは思っていましたが……」


 その触手は蠢いて、アルとカルミアの足を掴んで、ずるずると沼へと引きずりはじめたのだ。

 アルは大剣で触手を斬るけれど、それでも伸びてきた触手が、アルを捉えようとする。

 カルミアは「ちっ」と言いながら、自身で炎を起こして、触手を焼き切った。


「おい、これは人魚の髪で合っているのか!?」


 こちらのほうに乱暴に声をかけてきたカルミアに、私はびくんと肩を跳ねさせると頷く。


「先程から、声が聞こえて」

「声?」


 アルはどうにか触手……いや、これが人魚の髪か……を斬って沼のほとりから離れるけれど、当然暗くて、辺りがよく見えない。

 私はどうにか頭の中で、クレマチスが出した閃光(レイ)をもっと弱めた光を思い浮かべて、光の玉をこぽこぽ沼の中に流し込んでみる。

 そこにいたのは、藻と同じような深緑の髪をなびかせている、上半身は女性の体のラインに藻を巻き付けて、下半身は魚を思わせる、誰もが思い浮かべる人魚が何人もいた。

 こちらを威嚇しているようだけれど、耳栓のせいか、歌声は聞こえない。


「……声とは?」


 アルがどうにかほとりから離れて、私の傍に寄って来たのに、私は頷く。


「元々、眠ろうとしたときに、声が聞こえたんです。『あなたはどこ?』『あなたは誰?』『こんな場所にどうしたの?』って……。おかしいですよね。人魚たちは明らかにこちらを攻撃したいみたいですのに」

「ええっと……ちょっと待ってください。リナリア様」


 クレマチスは考え込んだように、沼のほうを眺めた。

 近付いたら、また髪の毛で縛り上げられて、沼の底に引きずられそうだから、あくまで無事な位置から見るだけだ。


「ぼくたちは、リナリア様とちがって声は聞こえません。ぼくの象徴の力で遮断していますから。もしかしたら、これは歌を遮断しても、リナリア様の象徴の力により、幻聴で洗脳されないように翻訳されているのかもしれません」

「え、ええ……?」


【幻想の具現化】がリナリアの象徴の力だけれど、歌の翻訳までできるの? そりゃ、カルミアを止めるために、今まで聞いた声を具現化させたことはあるけれど、そこまでできるとは思わなかった。

 いや、これはそもそも私の力なの?

 今はいないはずのリナリアのことを思いながら、私は考え込む。リナリアが翻訳して、私にその声を流し込んだとしたら?


「でもそれじゃ、人魚の歌と行動が合ってないんじゃねえの? 人魚は人間を警戒しているから攻撃してくる、歌はずいぶんと親切そうじゃねえか。歌で警戒心を解いて、沼に引きずり込むんじゃシャレにならねえわ」


 アスターはあくびをしながらそう突っ込む。うん、そうだ。人魚の歌と行動が噛み合ってない。

 ……噛み合ってない?


「あの……もしかして、人魚はまだギリギリ穢れに取り込まれていなくて、助けを求めているとしたら?」

「リナリア様、それはさすがに、人がよ過ぎませんか?」


 アルが顔をしかめてそう言う。

 そりゃアルとカルミアは人魚に沼に引きずり込まれかけたけれど。でも人間を警戒していて追い払いたいならわかるけれど、わざわざ沼に引きずり込んで自分のテリトリーに入れるのかなという疑問は残る。


「事情を伺いたいんですが、沼の中に人魚がいるんじゃ」


 いくら象徴の力を使えるとはいっても、沼の中でどうやって息ができるのか。そもそも私は未だに穢れをどうやって祓えばいいのかがわからない。いくら神が火の祭壇で象徴の力を強くしてくれたとはいっても、使い方がわからない。

 私が思わず考え込んでいたら、アスターが「はーい」と手を挙げた。


「そんなに気になるんだったら、リナリアちゃんちょっと沼の底に行ってみる? おい、チビ助。この耳栓ってお前が象徴の力で管理してるんだから、一応これでお前に声は届けられるんだよな?」


 アスターが耳栓をちょんと叩くと、話を振られたクレマチスは慌ててこくんと頷く。


「それはできますが……ぼくが仲介すれば、皆さん全員と会話も可能です」

「オッケーオッケー。じゃあリナリアちゃん。お手をどうぞ」

「あ、あのう? どうやってするんですか? それにアスターは、人魚は敵、なんですよね?」


 アルの立場だったら間違いなく人魚は殺すだろうし、カルミアも同じだろう。

 スターチスとクレマチスは、縄張りに入ったのはこちらなのだから、できれば人魚は殺したくないし、戦闘は避けたいタイプだけれど。アスターだけは読めない。

 私が恐々と聞いてみると、アスターは軽い口調で「そうねえ」と笑う。


「せっかくだからリナリアちゃんにちょーっといいところ見せておきたいっていうのがひとつと」


 こんなところでナンパか。

 思わずボロッとツッコミを入れそうになったのを、必死で喉で留めておいた。リナリアはそんなこと言わない。

 私が思わず喉を詰まらせて顔をしかめたのに目を細めて笑いながら、アスターは水底を眺める。

 私の象徴の力で、水底は夜でもきらきらと光っていて、波紋がよく見える。


「リナリアちゃんの聞こえる声っつうのに、ちょーっとだけ興味が湧いただけよ?」

「アスター……」


 相変わらず、腹の底が全然読めないな。とはいっても、この中で光属性以外の呪文詠唱ができるのは彼だけだ。

 多分沼の底に行く程度の魔法は使えるんだろう。


「ありがとうございます」


 とりあえず、アスターの真意はあとで聞くとして、今は人魚をなんとかしよう。

 戦いが避けられるんだったら、そっちのほうがいい。

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