神官見習いの憂鬱
ここの管轄の神官様の配慮により、ぼくたちはどうにか今晩の寝床は確保できました。
今はリナリア様とアル様が席を外されているので、その間にできる話をすることとなりました。
「あのう……リナリア様たちが今席を外している間に、話を伺ってもよろしいでしょうか?」
リナリア様を助けてくださった。そのことには感謝をしています。ですが……神殿を通らなかったら入れないはずの国境をどうやって越えたんでしょうか?
皇族の方が、冷戦による国交断絶を甘く見ているとはとてもじゃないが思えなかったんです。
ぼくの言葉に、腕を組んでいたカルミア様は、鋭い視線をこちらに向けてきました。その鋭利な光に思わず身がすくみそうになりましたが、スターチス様が「まあまあ」と取りなしてくださいました。
「別に僕たちも、君に今は敵対の意思がないということはわかっています。もし僕たちを足止めしたいんだったら、君はあの審判の獣に対して強い。そのまま蹂躙されるのを黙って見守っていたらよかっただけなんですから」
「助けて安心したところで潜り込んで、そのまま寝首を掻っ切る……って方向は、おたくらはなしで?」
そう混ぜっ返すアスター様は、まだカルミア様に対しては懐疑的な印象でした。彼は貴族の腹芸を知っているせいでしょう。
そんなアスター様に、スターチス様はゆったりと首を振ります。
「皇族が無断で国境侵入の時点で、充分問題です。それ以上罪状を重ねるのは、彼も本意ではないでしょう」
スターチス様の言葉に、カルミア様はますます眉を寄せますが、鋭い眼光のまま、沈黙を保っています。
ぼくは彼の態度に震えそうになる体をどうにか真っ直ぐさせて、話を続けます。
「どうやって、国境を突破されたんですか? 世界浄化の旅の最中は国境警備も増強されますし、不法侵入が現れれば、各祭壇にも情報は回るはずなんです」
どの祭壇にも管理の神官様はおられますし、彼らには神殿からの連絡が回るはずです。彼らから不法侵入の話を聞かない以上、彼はいったいどうやって火の祭壇まで来たのか、確認しないわけにはいきませんでした。
ぼくたちの視線を受け、沈黙を保っていたカルミア様はようやく口を開きました。
「……ひとつ聞く。巫女は双子か?」
「ええ?」
思ってもいなかった質問で、ぼくは思わず喉を詰まらせます。
リナリア様を幼少期から知っていますが、彼女が双子であったことは聞いてもいません。
「いいえ、ぼくはリナリア様が神殿に入る前から知っていますが。彼女には兄弟姉妹はいなかったはずです」
「……そうか」
カルミア様はますます難しい顔をします。それに対して、アスター様がひょいと質問を乗せます。
「なになに。リナリアちゃんのそっくりさんにでも会ったっていうわけ?」
「……巫女じゃないと名乗る巫女に似た女が、俺をここまで連れてきた。でもあの女の象徴の力は、ありえない」
それに、思わず喉を詰まらせます。
リナリア様と同じ人? それにはスターチス様も口を開きます。
「その、君の言うありえないというのは?」
「神出鬼没で、どこからともなく現れて、消える。俺の国の結界を突破して現れたと思ったら、火の祭壇のある地域まで一瞬で現れるなんて……そんな象徴の力、ありえるわけないだろう」
「それは……もう象徴の力なんてものというよりも、奇跡に等しいですね」
それにはスターチス様まで眉を寄せてしまいました。アスター様はそれに首を捻ります。
「なんでそんな怪しい女の子にひょいひょいついていったわけ?」
「それは貴様らのせいだろうが。こちらは何度も何度もこちらの都合を無視して世界浄化の旅をはじめるな、戦争をはじめる気かと抗議文は送りつけていたわ。時間もないし、国境を超える手段もないしのところに、あの訳のわからない女に会ったんだ」
「そりゃまあ……冷戦状態だったら連絡は遅れるわなあ」
アスター様とカルミア様のやり取りを耳にしながら、ぼくは心臓がひと際大きく跳ね上がる音を聞いていました。
象徴の力は、あくまで目の前でどうにかなる範囲でしか使えませんし、力を溜め込んだり魔科学に転換するにしても、場所と場所をひと繋ぎにして移動するなんて芸当は、もう奇跡と呼ばれるものであって、象徴の力と呼ぶには強過ぎます。
ただ、ぼくにはひとつ、そのありえない現象が起こった現場に立っていたことがあるため、そのことに対してなにも言うことができませんでした。
リナリア様が発見した、聖書の記述が全て消されていたこと。一冊二冊だったらともかく、全ての聖書の記述が消されるなんてこと、いくらなんでもそれは普通の象徴の力と呼ばれるものではありません。
リナリア様とそっくりだった、よくわからない象徴の力を使う女性。
一方、リナリア様本人は全ての記憶を失い、自身の象徴の力の使い方すらわからなくなっていました。
これは偶然なのでしょうか? それとも、ぼくの知らないなにかが動いているんでしょうか?
結局、カルミア様が「よくわからない女性の力により、国境を突破した」ということ以外がわからないまま、この場の話し合いはお開きになったのです。
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少しだけ風に当たりたくなりましたが、今は夜です。風が冷たすぎて失敗したと後悔していたところで、「クレマチス?」と声をかけられました。
「リナリア様……アル様と話は終わりましたか?」
「え? ええ。アルはもうちょっとだけひとりで鍛錬をしたいそうです。ここなら穢れの襲撃もありませんし、暑くないですしね」
「アル様らしいですね」
アル様は神殿騎士として、きちんとリナリア様の隣に立てるよう、時間があれば鍛錬に余念がありません。その実直さが、ぼくには羨ましいです。
リナリア様はそのことをわかっているのかわかっていないのか、話を続けます。
「明日ですけれど、明日から水の祭壇を目指すんですよね?」
「はい」
たどたどしくても、話が進むことにほっとしました。
リナリア様は、記憶を失われてから、不思議と前よりもいきいきしているように見えて、ほっとしていました。
国を救わないといけない。神殿に入らないといけない。王女としてなに不自由ない生活が送れたはずですのに、彼女の生き道はあまりに酷でした。
ぼくには大きな力はありませんが、それでもリナリア様の力になりたかったんです。少しでも早く神官になり、彼女と共に世界浄化の旅に加えられるよう、ぼくは厳しい修行にも耐えてきて、ようやく彼女の隣に立てるようになりました。
でも……そんな中でぼくたちの周りにまとわりつく不穏な空気はなんなんでしょうか。それを払拭してしまわなくてはいけないのに。
そんな中。ふっとリナリア様は顔を近付けてきました。記憶を失ってから、不思議なことに彼女は距離感の取り方を間違っているように思えます。
「リ、リナリア様……どうされましたか?」
「あのう、明日は水の祭壇だとうかがいましたが」
「そう、ですね……」
ぼくの動揺を悟られないよう、どうにか呼吸を整えながら、話をどうにか合わせます。
リナリア様はぼくの反応に不思議そうに目を瞬かせながら、ゆったりと笑いました。
「私も、人魚を相手にどうすればいいのかわかりません。私も戦い方を考えなければいけませんが、なにかありましたら教えてくださいね」
そのことに、ぼくは「はい……」と頷くことしかできなかったんです。
リナリア様を部屋まで送り届けると、ぼくもまた宛がわれた部屋へと入りました。眠る前に、そっと鞄に入れていた本を取り出し、人魚の項目に目を通します。
湿地帯の穢れ、沼地に潜む人魚、そして水の祭壇に住まう水の獣……。
リナリア様の姿を取ったありえない力を持つ女性のことが気がかりではないわけありませんが、やらないといけないことが待ってくれるわけでもありません。
ぼくが今しないといけないのは、リナリア様を無事に闇の神殿までお連れすること。皆さんのお役に立つこと。……世界浄化の旅を達成させること。
ぼくには剣を持って戦う力はありません。象徴の力だって絡め手にしか使えません。聖書を読み込んでも、穢れを倒す術は覚えられても、穢れを祓う浄化の力は持ち合わせていません。それでも。
リナリア様の隣に、やっと立てるんです。この場所を守るために、ぼくはぼくの持てる全てで、彼女の傍にい続けたいんです。




