火の祭壇の試練・3
牙が、爪が、私の身を薙ごうと襲い掛かって来る。息が当たるほど近付いたことはなく、逃げないといけないとわかっているのに、体が固まったかのように動けない。
アルの声も耳にしているのに、逃げられない……。
駄目……。
そう、思ったときだった。
熱風がぶわり、と巻き上がる。さっきまで火の獣が纏っていたものではない。逆の方向から、まるで熱が奪われるかのように、カラカラに乾いた風が巻き取られてしまった。
火の獣は、途端に動きを止めた。自身の熱を奪われたのが面白くないというように、そちらに対して、「グルルルルル……」と唸り声を上げる。
「君、ですか……」
そう声を上げたのはスターチスだったか。そこに立っていたのは、自身の大剣に炎を纏わせ、火の獣から炎を奪い取ったカルミアの姿だったのだから。
カルミアはスターチスのほうを見ると「ちっ」と舌打ちをする。そして思わず固まっていた私のほうに声を投げつけてくる。
「いい加減に立て。それに貴様の力を見せつけなければならんのだろうが」
「どう、して……あなたがここに?」
「……どこにいるのかは、俺が決める」
カルミアはこちらの言葉に答えてくれる気はないらしい。
そうだ。この人は元々火の獣と相性がいい。本当だったらひとりでこの獣を倒せる人だったものね。実際に、脅威になる火は全てカルミアの象徴の力のせいで奪われてしまったせいで、ライオンと変わらなくなってしまった火の獣は、グルグルと鳴き声を上げながらカルミアに向かってきたものの、それは呪文が完成したクレマチスにより止められる。
「審判!!」
光が火の獣に集結し、弾けた。途端に獣は「グゥゥゥゥン……」と鳴き声を上げて横に倒れる。身を震わせて立ち上がろうとする中、そこに重なるようにして、アスターの呪文が完成する。
「大津波!!」
その大きな水溜まりに沈められて、とうとう獣は起き上がれなくなった。アルは私のほうに声をかける。
「リナリア様、獣に審判を」
「……はい」
私はどうにか手に、短刀を具現化させると、獣を見下ろした。
ようやく動かなくなった獣は少し可哀想にも思うけれど……水の加護を付加した短刀を、獣に突き付けた。
「……ごめんなさい」
その感触だけは、絶対に忘れてはいけないことだと思いながら、私は短刀を振り下ろした。
振り下ろした途端に、火の祭壇から真っ白な光が溢れてくる。
「え……?」
思わず辺りを見ると、アルが静かに私に告げた。
「試練が終わったようです」
「火の獣を倒したから……ですか?」
「倒された火の獣が、審判を下したんです」
光が溢れ、さっきまでカラカラと乾いて喉が渇いて仕方がなかったのが、心地よいさわやかな風に切り替わるのに気が付く。
『巫女と旅の者たち……よくここまで来た』
ゲームのシナリオ中でこんな場面あったっけ? そう思ったけれど、既に大まかな流れはシナリオ通りだけれど、細部がちまちま変更してしまっているため、考えることをやめた。
こちらを労う声には聞き覚えがあった。どこでだっただろうと思い返して、気付いた。この声は神託が下ったときに聞いた声……神の声だ。
『火の祭壇の獣の審判は下された。道は開かれた……次は水の祭壇へと進むがいい。皆にはそれぞれ力を受け渡そう』
光は溢れ、私たちになにかが染み込んでいった。
ゲーム中だったら、それはパラメーターが上がったりすることなんだけれど、ここではなにがそんなに上がったのかはよくわからない。いや……そうでもないか。
私は自分の中でそっと短刀を思い描いて、それを具現化させた。水が滴った短刀が、手元に出る。今までは短刀を具現化させて、そこに見たことのある魔法から属性を付加させるという二度手間だったのが、最初から思い描いた属性のついたものが具現化できるようになったんだ。
多分、皆それぞれの象徴の力が強くなったということなんだろうと納得する。
私は具現化を解いて短刀を消したら、それと同時に祭壇から光は消えた。
それと同時に、アルが私の前に立つと、自身の胸元から短刀を引き抜いた。
カルミアはなんの抵抗もせず、鋭い眼差しでアルをねめつけたまま、短刀の刃をピタリと首元に当てられた。
「……いったいどういう了見だ。いきなり襲撃をかけてきた次は、火の獣を襲って」
「それで巫女をおめおめと殺されかけたのは、どこの誰だ?」
カルミアの言葉には嘲りが含まれていたのに、私は思わず顔を引きつらせる。
……まずい。カルミアとアルは相性が悪い。アルが闇落ちするとなったら、それはカルミアが原因なんだから。アルはなにも言い返さないのは、多分あれは自分の落ち度だと思ったからなのかもしれない……あれは、私が怖気づいてしまったのが原因で、アルのせいじゃないのに。
私はなんとかフォローの言葉を言おうと口を開くより先に「やめとけやめとけ」と間に入ったのは、意外なことにアスターだった。
「ありゃ俺ら全員のミスで、アルだけのせいじゃねえわ。俺は詠唱とリナリアちゃんを天秤にかけて詠唱のほうを取った。そこのチビも同じ。スターチスはそもそも割り込みには向いてない。ほら、全員のせい」
「……それを旅の同士として連れなければならない巫女が憐れだな」
「つうか。おたくはいったいどういう了見でここに首突っ込んできたわけよ? おたくは世界浄化の旅に元々反対だったわけでしょうが。ほら、お前もいい加減その物騒なもんしまえって」
アスターに指図され、アルは渋々短刀を胸元に収めると、カルミアが口を開く。
「今でも俺は、世界浄化で完全に穢れを消すことには反対だ。俺の国のこともある。だが……この国の民草のことは、哀れに思う」
ああ……私はそのことにほっとした。
カルミアは言動がいちいち物騒なだけで、ただ横柄な人ではない。この人はこの人で世界のことを大事に思っている人なんだから。彼の大事にしている民草はジェムズ帝国の人だけではなく、フルール王国の人も含まれていることに、私は少しだけ安心した。
「手を組むことは、できないんでしょうか?」
私はおずおず尋ねてみると、カルミアの眉がピクンと動く。こちらを怪訝なものを見る目で見るのは、二回も襲撃かけてきた相手に言う言葉じゃないからだろう。
リナリアだったらもっとちゃんとしたことが言えたかもしれないけれど、私が言える言葉で精一杯伝えよう。
「……言い忘れていました。助けてくださり、本当にありがとうございます」
そのまま頭をペコッと下げると、カルミアは苦虫を潰したような顔をして、何故かぷいっと顔を逸らして、アスターに指さして「これはいつもこういうことを言うのか?」と聞いてきた。
アスターはニヤニヤしながら、頷いた。
「おうおう、リナリアちゃん。いい子でしょう?」
****
火の祭壇は、獣のおかげで活性化して熱風が吹き荒れていたのが一転、私たちが獣を倒したことで、普通の祭壇に戻った。
ここを管理していた神官さんはようやく戻ってきて、私たちに寝泊まりする場所を貸してくれた。全体的に石でできている場所だし簡易ベッドだけれど、戦闘した体には穢れと戦わなくって住む寝床は願ったりかなったりだった。普段鞄の中に入れている自室は、とてもじゃないけれどこんな場所で展開することができないし。
「水の祭壇に向かう湿地帯は、全体的に人魚の姿を取った穢れがいると聞き及んでいます。歌われてしまっては手遅れですから、今まで以上に索敵が必要になるでしょうね」
神官さんが用意してくれたパンを食べながらも、テーブルに地図を広げてスターチスがいろいろと教えてくれる。
この辺りに広がっている岩砂漠が一転、次に進むのは湿地帯で、地図にはあちこち沼が広がっているのがわかる。
人魚か……ゲームで戦ったときには、そこまで考えたことがなかったけれど、神話に出てくるローレライみたいに歌で動転した隙を突いて沼に引きずり落とされてしまったら、まず助からない。たしかに作戦が必要なんだな。
スターチスとクレマチスがその辺りについて話をしている中、「早いが、先に休ませてもらう」とアルが席を立とうとしていることに気が付いた。
「なに落ち込んでるのよ。お前もさあ」
「……なんのことだ」
アスターに声をかけられるも、それを無視してさっさと食堂をあとにしてしまったアルの背中を、私はずっと目で追っていた。
それにアスターは「騎士っつうのは、ほんっとうに面倒な生き物だねえ……プライドが高過ぎるっつうか」とぼやく。
私は思わず立ち上がって追いかけようとするけれど、全員の話を聞きながら腕を組んでいたカルミアは「放っておけ」と一蹴する。
……ううん、どうしよう。
アルが落ち込んでいるのは完全に私のせいだし、でもカルミアが「放っておけ」というのもわかる。それこそアスターの指摘するプライドの問題だろうけれど。
ゲームであったら選択肢を間違えてもセーブでやり直しが効くけれど、残念ながらこれはゲームじゃない。
私はやっぱりそのまま席を出た。
「少しアルとお話してきますね」
皆にそう告げて、食堂を飛び出した。
石造りの建物に火の灯りが灯っている廊下を抜けた先で、私は身震いをする。
夜は岩砂漠であるこの地も、冷えるのだ。その中で、星を見上げるアルの姿があった。
「あの……アル。落ち込んでる?」
そう声をかけると、驚いたようにアルが振り返った。なんでそんな顔するの。
「なんでお前がここに来るんだ?」
「悪かったですねえ、私がリナリアじゃなくって」
「どうしてここでリナの名前が出る」
「だって、私のせいでしょ。アルが落ち込んでいるのは……」
そこまで口を滑らせると、みるみる眉間に皺を寄せていってしまった。あぁん、もう。ほんっとうに面倒臭いな!?
思わずひるみそうになったけれど、それでも私はどうにか口を開く。
「私が怖気づいたから反応が遅れただけで、本物のリナリアだったらあれは対処できたことだと思う。私が根性なかっただけじゃない」
「お前は違うだろ。お前の元いた世界では、命が重いのだろう?」
「そうだけれど。でもここはそうじゃないじゃない。私が合わせないと駄目なのに」
「理奈にそう思わせたから、駄目だと思ったんだ」
そう吐き出すアルの言葉に、私は目を瞬かせる。
どういう意味? そう思うと、アルはボソボソと言う。
「俺は、生まれた頃から穢れと戦うために生きてきたから、真の平和ってものを知らない。この国の人間は、多かれ少なかれ穢れに関与しているんだから、穢れを知らないということがまずわからない」
「……うん」
「本当に戦争が必要ない平和を知っている人間を、こちら側に慣らしては駄目だろう。だからこっちが勝手に落ち着かないだけだ。だから、理奈は俺を慰める必要はない」
そう言われてしまって、私はますますポカンとしてしまった。
ええっと……これはつまり。慰めに来たはずの私が、慰められているっていうこと?
思わずこちらも眉を寄せてしまったのに、ようやくアルは顔を綻ばせる。
「お前は、知らなくっていいことなんだ。本当に」
「……でも、私。皆が死ななくっていいようにここに来てるのに。守られるだけって、落ち着かないよ」
「慣れるな。頼むから」
そう言うと、アルはぽんと私の肩を叩いて、そのあと押した。
「俺はともかく、理奈のその格好は冷えるだろう。戻るぞ」
「う、うん……」
戻る前に、このことだけは伝えないと。そう思って口を開いた。
「あなたに守られるだけでなく、守れるように、頑張る。どっちかだけだと、きっと駄目だと思うから」
アルは青い目を少しだけ丸くすると、ふっと細めた。
「あまり期待していない」
「そこは『期待する』って答えるところでしょうが」
戻りながら、私は少しだけくすぐったいものを感じつつも、心臓がバクバクするのを抑えられずにいた。
これって、今フラグどうなっているんだろう?
どこもこじれていない? 本当に?
それがどうしても胸に引っかかっていた。




