火の祭壇の試練・1
目が覚めたとき、色彩の洪水が広がっていたことに、私は思わずぼーっとしていた意思が一気に浮上する感覚に襲われた。
そこに咲き乱れるのはリナリアの花……何度も何度もリナリアと話をした謎の空間だった。
「リナリア?」
私は起き上がって、辺りを見回す。でもあのパステルピンクの真っ白な巫女装束の彼女はここにはいなかった。
どうしたんだろう。この数ヵ月ちっとも彼女と話をすることができなくなったと思ったら、彼女の記憶の場所に私の意識だけ呼び出されるなんて。
きょろきょろとさまよってみたけれど、やっぱりリナリアの気配が見つからず、私はついつい途方に暮れてしまう。
どうしよう……そう思ったとき、ふとリナリアの花の一輪に目が留まった。
ここにある花は『円環のリナリア』におけるセーブ画面みたいな役目で、リナリアの象徴の力で今まで彼女が見聞きした情報が全部ここに収納されているはずだけれど。
私はまじまじと一輪の花に映っている映像を眺めた。
これは神託を受ける場面。ゲームでいうところの冒頭だし、私も神から啓示を受けた場面のはずだ。
なんの変哲もない場面だけれど……共通ルートだし、ここでいきなり戦闘ははじまらないから、何週も何週もこなしてきたらついつい飛ばし読みになってしまう。
なんでこの場面をリナリアはわざわざ花の記憶として残しているんだろう……?
その花を眺めていたら、同じような場面が何輪も何輪も存在することに気が付いた。なんで同じシーンばかりあるんだろう? 私は思わず眉を寄せてしまって、気付く。
そういえば、神は私がリナリアじゃないってことを把握していたような。神が言っていた「あの子」っていうのは、あの場面な以上はリナリアのことだと思うんだけれど。
……だとしたら。
神はリナリアが周回プレイをしているってこと、わかっているんだろうか。彼女が何回も何回も世界をやり直しているってことを。神は神託をくだす以外はなにもしてくれないから、そこまで考えたことはなかったけれど。
でももし知っているんだったら、それは悪趣味だ。彼女が何度も何度もやり直しているのは、他でもなく、誰かが犠牲にならないと達成しない世界浄化の旅の未来を変えるためなのに、それにちっとも手助けしてくれないなんて。
私は一輪、神託の場面を見ていて、気が付いた。
リナリアは神に向かって泣いていたのだ。
……彼女は強い。私がゲームをやり込んだ限りだと、彼女は攻略対象の前で泣いたことなんてほとんどなかったと思う。
でも。どんなに強くたって、世界を救う役目を負っている彼女だって、女の子なんだ。
そりゃ、何度やり直しても達成できないんだったら泣きたくなるよ……。
私は何とも言えない顔になりながら、意識が拡散していくのを感じる。
……いったいリナリアは、私になにを伝えようとしたんだろう?
このことを胸に留めておきながら、私は起きるのに身を任せた。
****
起きてからも、ときおりやってくる穢れの獣を倒しながら、少しずつ進んでいった。乾いた風で汗すらもすぐに乾いてしまって、じっとりと蒸し暑くないのはいいけれど、肌の水分も髪の艶も奪われているような気がするのはたまらない。
乾いた風を浴びつつ、遠目に見える石造りの建物に目を凝らした。
白くてこの辺りの乾いた風のせいでピシピシとひびが入っている。
「リナリア様、あれが火の祭壇です」
クレマチスにそう言われて、私は頷いた。
「あちらで、神官様を探せばいいんですね」
「そのはずですが……ただ」
クレマチスが言葉を区切るのを、スターチスが引き継ぐ。
「ジェムズ帝国の彼が現れないことに違和感がありますからね。油断せずに行きましょう」
「そうですね……」
そう。私が象徴の力で、この国の苦しんでいる人たちの声を聞かせてから、カルミアが現れていない。
正直、彼が現れるタイミングも、彼を説得するタイミングも、ゲームからは大分ずれてしまっている。もし彼が味方になってくれないとなったら、戦力的にこちらに負担が大きくなってしまうんだけれど……。
カルミアだけは、私もうまく読み解くことができないんだよな……。彼は辛辣で苛烈な性格だけれど、国民を愛しているし、それと同時にシンポリズムの人を愛している博愛主義者だ。私が引き出した声で、必要以上に気に病んでいないといいんだけれど。
そう私が気を揉んでいたら、アスターはからからと笑う。
「なあに、リナリアちゃん。あの皇族様が気になると?」
「……そうですね。彼はあの言動ですけれど、悪い人には思えませんでしたから。この国の人たちの声を聞いた以上、こちらを邪魔するとは考えにくいんです」
「そうねえー……」
アスターは目を細めて、じっと私を見てくるのに、私は思わず背を仰け反らせる……そこまで、変なことは言ってないと思うんだけど。
私が思わず仰け反っているのに、アスターは相変わらずの軽い口調で「そこまで逃げなくってもいいでしょうよ」とひと言添えてから、言葉を続けた。
「巫女様は人を嫌いになるのはよくないって思うのかもしれねえけど、悪意なんて目に見えねえし、言葉にできるもんでもねえし、そこまでお人好しで大丈夫かねと思っただけよ。リナリアちゃんのそういうとこはちょーっと心配だって思っただけで」
ああ……。全部のシナリオを知っているから悪い人じゃないって思うけれど、そんなこと知らない人からはそう思っちゃうわけか。
アスターの言葉に、私は「そこまで、人がいいとは思ってませんけど……」と一応言っておくことにした。
私はちらっとアルを見る。
カルミアの気配がないせいだろうか、このところのアルは比較的殺気を撒き散らすようなことはなく、落ち着いているように思う。
そのことにほっとしながら、私たちは火の祭壇へと向かっていった。
石造りの建物の奥へと進めば、その先に祭壇があるはずだ。私はクレマチスのほうに聞いた。
「あのう、神官さんはどちらへ……?」
「おそらくはこの奥にいるはずです」
「わかりました」
足を踏み入れた先に、ぶわりと巻き上がる風。その風は熱を帯びていて、歩いていた岩砂漠以上に体の水分を奪われそうな感覚に陥る。
それを見兼ねて、スターチスは詠唱をすると、全員に円障壁をかけておいた。熱は防げないけれど、なにもまとわないで進むよりは息苦しさは和らいだような気がする。
「このような場所に神官さんはずっといて、大丈夫なんでしょうか?」
「ええ……これはおそらく、神託が下った影響で火の祭壇が活性化しているのが原因です。世界の穢れを浄化するために、力が高まり過ぎた影響でしょう。ここの管理をしている神官も、無事だといいんですが」
クレマチスの言葉に、私は思わず喉を詰まらせる。
祭壇を管理するのも命がけで、つくづくシンポリズムの命は重いようで軽く、軽いようで重い。
中に入ると、いささか暗いので、私は象徴の力で灯りをつくって浮かべ、それで光源をつくって進んでいった。神官さんはどこに行ったんだろう。
こんな場所にはさすがに盗難するものだってないだろうに、建物の中は迷路になっていた。灯りをポコポコ浮かべつつ、ときおりクレマチスの探索を駆使しながら、私たちは祭壇を探す。
石造りで土のにおいが溜まっているような場所。熱くて息苦しい場所を進んでいった先に、壁で熱風が遮られている場所へと辿り着く。「巫女様……!」と声がかけられた。
火の祭壇の管理を行っていた神官さんは、普通に生きていた。そのことに私はほっとする。
私が声をかける前に、アルが彼に問う。
「既にリナリア様の試練である、火の祭壇の解放がはじまったと思うが……試練の獣は既に現れたのか?」
そのひと言に、私は思わずクレマチスを見ると、クレマチスは頷く。
「祭壇にはそれぞれ、守護の獣が存在しますから。神託が下った時点で各地の祭壇が活性化して、巫女に試練を与えます。巫女の力を示し、それにふさわしいと判断した場合のみ、次の祭壇への道が拓かれます」
「……わかりました」
クレマチスの解説に頷いていたら、アルに問われた神官さんは答えてくれる。
「現れました……この祭壇が解放されない限りは、ここはとてもじゃないですが、人が立ち入りできる場所ではありません……私もあまりの熱風で、熱風の届かない場所まで避難していました」
「ここの管理、本当にありがとうございます」
火の祭壇の獣。熱風を巻き起こしながら、巫女が到着するまで待っているんだろう。
……本編中だったら、火の祭壇の獣は相性の問題でカルミアがさっさと倒してしまって、カルミアとの戦闘になってしまったから、火の祭壇の試練らしい試練は起こらなかったはずだけれど、今回は違う。
怪我の回復や防御は、スターチスが行ってくれる。
支援魔法はクレマチスやアスターが行ってくれる。
直接的に戦うのはアルと……私だ。
私は神官さんに「私たちが戻るまで、どうかここを動かないでください。熱風で火傷してしまいます」と訴えてから、祭壇へと足を踏み入れた。
地下へと進む空洞には、白い石段が広がっている。まっ白な石が積み重ねられ、乾燥でピシピシとひび割れている先には「グルルルルルル……」と唸り声をあげているのが見えた。
火の祭壇を守護する獣は、炎を纏ったライオンの姿をしていた。
雄ライオンが纏っている毛皮の代わりに、炎を纏っている。炎は火の粉を撒き散らし、唸り声を上げれば熱風が巻き上がる。
……これを倒さないと、先に進めないのか。
「アスター、後方から水の矢をお願いします」
「了解。でもすぐに蒸発しそうね」
「スターチスとクレマチスは、フォローをよろしくお願いします」
「わかりました」
「……頑張ります」
三人にそう声をかけてから、炎の獣を睨む。
私は象徴の力で短刀を引き出した。アルもまた、大剣を引き抜く。
……こんな序盤で、負けるわけにはいかない。
炎の獣から目を逸らすことなく、石段を大きく蹴った。




