火の祭壇と皇太子・1
ひと晩明けてから、私たちは炎の祭壇へと向かう。乾いた風が吹き、ときおり穢れに取り込まれた獣の襲撃はあったけれど、それらはどうにかやり過ごしだ。
どちらかというと、乾いた風のほうが体力を削っていくような気がする。日本の夏の粘りつくような暑さではなくって、湿気がなくカラッとしている。でも油断していると水分がなくなってカラカラになってしまうんだから、定期的に水休憩を入れられた。
「暑い……」
「お疲れ様です、リナリア様」
クレマチスはおっとりとしながら水筒を出してくれたので、私はそれにありがたく口を付ける。
この辺りの穢れはそこまで強くないからいいとしても、三日も歩きっぱなしっていうほうが辛い。ゲームのシナリオだったらマップ画面だから、そこまで辛いとは思っていなかった。
舗装された石畳も、どことなく乾き過ぎて割れているのを眺めつつ、ふと思いついたことをクレマチスに聞いてみた。
「あのう、炎の祭壇に着きましたら……私はそこを浄化するとは言われていますが、なにをすればいいんでしょう?」
「ええ……それぞれの祭壇には、器が存在します。それを解放することで、闇の祭壇へと続く道を解放するんです」
「器?」
「聖書によりますと」
クレマチスはケープから聖書を取り出すと、ぱらぱらとめくって、内容を教えてくれた。
「器は祭壇によって形を変えます。その器を巫女が解放……とは聖書に書いていますが、それを割ることによって、次の祭壇へと向かう道が開かれるようになっているようです」
「……そうなんですね」
何度も何度もゲーム中でボス戦をしてきているから、一応なにをするのかまでは知っていても、シンポリズムの理屈ではどうなっているのかはわからなかった。だから聖書を読んで解説してもらえてよかったんだけれど。
ただひとつ、ここを聞かせてもらって気がかりなことがあるんだ。
……その器っていうのは、獣じゃないの? ボス戦……シンポリズムの理屈で言うんだったら器の解放は、いつだって獣と戦うことになっていた。あれは、何度も何度も見た、穢れに取り込まれた獣だと思うんだけれど。
好感度二位が闇落ちするっていうのは、どうにも何度も見てきた、好感度二位が穢れに取り込まれた例に見えてきたんだ。
でも。穢れは本当に形がないし、形を成していない間は祓うことができる。どうして好感度二位が闇の祭壇で穢れに取り込まれることになるんだろう?
おかしいといえば、人の形を保っているということだ。たしかに前に戦った近衛騎士だって、人の姿に擬態していたけれど、動き自体は既に人から離れてしまっていた。でも……ゲーム中で見たモーションだと、攻略対象たちが戦っている姿は人から離れているとは思えなかった。
うーん、理屈が違うんだろうか。
私はそんなことをぼんやりと考えていたところで、クレマチスがおずおずと「リナリア様?」と小首を傾げてきたので、私は笑った。
「ありがとうございます……でも本当に暑いですね。クレマチスもちゃんと水を飲んでくださいな」
「はい……お言葉に甘えまして」
クレマチスが水筒を傾けている間も、私は辺りを見回していた。
相変わらずアルはピリピリした態度を保っている。きっとカルミアの襲撃を気にしているんだと思う。
アスターはなにやらスターチスを話をしているけれど、スターチスは困ったように眉を寄せつつ、アスターが一方的に話をしているだけみたい。このふたりの場合はあんまり話が合わないはずなんだけれど、一方的に話す場合は大丈夫なのかしら。
クレマチスは水を飲みつつ「それにしても」と口を開いた。少し眉を寄せている彼に、私は「どうかしましたか?」と声をかける。
「はい……ジェムズ帝国の皇族の存在についてです」
「……やはり、また襲ってくるでしょうね」
「フルール王国とジェムズ帝国では、穢れの扱いが違いますから。あちらのほうでは穢れの被害が出ていない以上、余計にこちらの世界浄化の旅が不可解に思えるのでしょう」
「そうジェムズ帝国に通達はできないんですか? こちらの旅を邪魔しないでほしいと」
「この話は……数十年平行線を続けていることなんです。現在ウィンターベリーがはじめている穢れの有効活用は、元々はジェムズ帝国が先にはじめたことで、ウィンターベリーが神殿から警告を受けない程度に少しずつ実験をはじめたのに対して、ジェムズ帝国は有効活用のために神殿の支部を全て国外追放してしまいました……」
その辺りの話を聞いて、私はますます眉を寄せてしまった。
つまり、フルール王国や神殿がジェムズ帝国に黙って世界浄化の旅を決行してしまったのも、時間が足りないために、このままやってしまったもん勝ちで逃げ切るつもりらしい。それが漏れてしまったために、こうしてカルミアから妨害を受けていると。
私は彼のことを考える。……カルミアは言動こそ上から目線で偉そうだけれど、実際偉いからあの言動なのであって、そこまで悪い人間ではない。むしろ話し合いでどうにか納得してもらえないかと思うけれど。難しいのかな……。
私は自分の頭にどうにかイメージを固めようとする。リナリアみたいに、自分の記憶をそのまんまリナリアの花に固められないかと思ったのだけれど……ナイフや人の象徴の力の属性を少し武器に移すのとは訳が違う。写真だったらそこまで容量が重くはないけれど、動画だったらパソコンやスマホが重くなってしまってままならないのと一緒。上手く出すことができなかった。
「リナリア様?」
「……ごめんなさい、あの方も皇族なら、この国の民が苦しんでいるのを見てくれたらこちらの妨害を諦めてくれないかと思ったんです。私が今まで見た人たちのことを具現化しようと思ったんですが……なかなか象徴の力を扱うのもままなりませんね」
「リナリア様の象徴の力の【幻想の具現化】は強いですが、なかなか記憶を固形化して具現化するのは難しいと思いますよ。形のないものを具現化するのは、象徴の力の中でも上位に当たりますから」
クレマチスにそう言われてしまい、私はひとまず諦めることにした。
でも……これが一番カルミアを説得するのに向いていると思うだけどなあ。
リナリアみたいに、彼の炎の壁にひるまずに説得できるのかが、私には自信がない。昨日襲撃されたとき、皮膚一枚をどうにかスターチスの円障壁で防いだものの、あの中で彼を説得できるのかが、私にもわからない。
そう思っていたところで、護衛として辺りを見回していたアルがこちらのほうへやってきた。
「そろそろ出発したいと思います。あと一日と半分歩けば、目的の祭壇へと到達するかと思いますが、リナリア様、既に体力は回復致しましたか?」
そうこちらに膝を突いて尋ねられるので、私は慌てて立ち上がった。
「……大丈夫、です」
「わかりました。辛くなったらいつでもおっしゃってください」
彼にそう言われて、私は足を突っ張った。相変わらず日はまだ傾く気配はなく、ゆらゆらと蜃気楼が昇っているのが、余計に暑さを際立たせる。
カルミアのことも気になるけれど……ひとまず火の祭壇に辿り着かないと、なにもはじまらない。
彼がどうやって先回りするのかまではわからないけれど、彼が次に襲撃をしかけてくるとしたら、火の祭壇の解放前だろうから。
****
火の祭壇へと向かう地域は、寒暖の差が激しい。
昼間はあれだけ水分を奪っていくような暑さだったのが一転、夜になった途端に寒くなって来る。
私たちはクレマチスのつくってくれたシチューを飲みながら、火を囲んでいた中。私もそろそろ寝ようと思い立って鞄から部屋を展開させようとしている中。
炎の匂いが強くなったことに気が付いた。
「……あらま、おいでなすったか」
その場にいたアスターがぐいっと私の腕を掴んで、自身の背後に押しやった。
「ジェムズ帝国の……彼ですか?」
「あの炎使いはそうでしょうよ。リナリアちゃんはちょーっと危ないから、俺から離れないで」
「戦うのは、あの……」
「昼間もちょっとスターチスと話したけど」
アスターは自身の剣に手をかけていない。つまりは、今回は後方に徹する気だ。
「アルに円障壁をかけてもらって足止め、あとは俺とクレマチスで術をかけてそのまんま仕留める。そのまんまふんじばって神殿に引き渡すのがベストだろうな。火の祭壇を管理していた神官がいたはずだから、そいつに引き渡す」
理にはかなっている。でも……それで済んでくれるといいのだけれど。私は頷きつつ、彼の朗々とした詠唱に耳を傾けながら、夜にも関わらず暑くなってきた辺りを見回していた。
炎がさらに強くなり、夜でもこの辺りは視界が利くようになってきたのに気付く。
炎の壁がまたも立ち上がり、こちらの逃げ道を封鎖したのだ。これじゃ炎の壁じゃない。檻だ。
大剣がきらめくのが見えた。カルミアがマントを巻き上げながら跳び、そのままアルに向けてきたのだ。アルにぶわり、と障壁が絡むのが見える。こちらもさっきよりも火の粉の熱が収まったことからして、スターチスが打ち合わせどおりに円障壁をかけてくれたのだろう。
「なるほど……剣だけではどうしようもないから、今回は絡め手で来たと……神殿のやりそうなことだな」
カルミアが皮肉気に唇を持ち上げると、アルが眉を釣り上げる。
「あまり、こちらを愚弄するようなことを言うな……!!」
ガンッと火花が散る。カルミアの炎ではない。大剣同士から舞ったのだ。
それでも、カルミアの皮肉に満ちた表情が変わることはない。それどころか。私は火の粉が舞っているのがこちらに被ったことで、顔を上げる。
「……ちょっと待って」
炎の檻が少しずつ、本当に少しずつ狭まっていることに気付いた。
やられた……カルミアの炎は、こちらは呪文詠唱を唱えないといけないのとは違う。彼の象徴の力は炎に限られているけれど呪文詠唱抜きで使えるものだからだ。
そのことに気付いたんだろう。詠唱をしているアスターもクレマチスも苦しそうになってきた。詠唱中に逃げれば済む話だけれど、呪文詠唱は言葉の意味を正確に把握して、その言葉を織り込まないといけない。動きながら使えるものじゃない。
でも……呪文が完成するのより先に、炎の檻が迫るほうが早い。
どうする? 私はおろおろしながら自分でできることを考える。ふたりの集中を削ぐことなく、炎の檻の動きを止めるとしたら、カルミアの意識を炎の檻から外すことだけれど。アルの加勢をするにしても、私だったら力不足だ。
……昼間にクレマチスに教えられたことを思い出す。本当だったら彼女の象徴の力は強いけれど、私だったら本当に使いこなせていないんだ。でも。やるしかない。
私は意識を集中させて、アルとカルミアの方向に手を向ける。どうにかカルミアの気を引くものってなんだろう……。ふたりは今でもカンカンと激しくやり合っている。
アルの邪魔をせずに、カルミアの意識を一瞬でも変えさせるもの……そこで私は思いついた。ふたりが戦っているんだから。




