皇太子と巫女姫の邂逅
「フルール王国が、世界浄化の旅を決行するようです……!」
我が国と隣国フルール王国は現在国交は断絶中。神殿越しに情報を得なければいけないが。既にはじまっているところまで話が進んでいるとはな。
馬鹿な話だ。あの国は宗教に縛られているが故に、魔科学が発展しない。穢れのために下々の村が痩せ細り、宗教に布施をする。あれを濾過してエネルギーにすれば、下々の象徴の力の弱い村にも恩恵に預かれるというのに。
どこまでも利権主義だな、神殿というものは。
「ジェムズ帝国からの抗議は既に送っているが、返答は?」
「神殿に既に送っておりますが、フルール王国からの返答はまだです」
「どこまでいっても、自己保身のことしか考えないというのか」
会議により、フルール王国と神殿への抗議は続けることは決まっても、時間が足りない。
穢れが全て浄化されてしまった暁には、穢れを濾過した上で利用した魔科学の一切が停止する。だからといって、世界浄化の旅を直接止めさせる?
下手な外交をすれば、それだけで……戦争の口実になる。確かにこちらのほうが魔科学の分野においては上を進んではいるが、あちらの国のほうが象徴の力の威力も、そこから広がる魔法の力も、強い。これが原因でどれだけの下々が死ぬのかがわからない。
「……くそ」
本当に手はないのか? 会議室を抜け出て、廊下の柱を殴る。太い柱はつるりと光るばかりで、こちらをなだめるような力さえ伴わない。
いったいどれだけの猶予があるのかがわからないが、既に儀式がはじまっているとしても、一年満たないだろう。それまでフルール王国も神殿もこちらの抗議を無視する可能性だってある。これを口実に開戦したとしても、戦争中に儀式が終了してしまってはなにもかもが手遅れだ。
ぐるぐると、このことをどうするか考えあぐねている中。
「あなたの正義を、証明してみせませんか?」
凜とした声が響いた。
顔を上げて、思わず懐に手を入れた。
真っ白な巫女装束に、パステルピンクの髪。瞳の色はアクアマリンを思わせた。それはどう見ても神殿の人間だった。……今、この国に神殿の教義も神殿の支部も廃している。俺は懐からナイフを出し、女に向けた。
彼女は顔色ひとつ変えない。
「ここをどこだと思っている? 神殿の使者にしては、話をする場所も相手も間違っているな?」
「もしあなたが私のことを巫女姫だと思っているのならば、それは間違いです……私には、それを名乗る資格はありません」
「……なに?」
巫女装束をまとっておきながら、おかしなことを言う女だ。
それにしても、こんな不審人物が突然この城内に現れること自体がまずおかしい。この女はどう見ても丸腰だし、この城は証がなかったら結界に阻まれて入れないはずだ。象徴の力か? それもまたおかしい。国に徒なす象徴の力の使用は警報が鳴るというのに、警報が鳴った覚えすらない。
俺はなおもこの女から視線を外さずに尋ねる。
「何者だ。いったいどこから入った」
「……私は、運命を変えたいと望む者。この世界の滅亡を阻止したい者です」
「……フルール王国が決行した世界浄化の旅の続行を望むのか? とんだ茶番だな……穢れを全て浄化して、いったいどうなると思っているんだ?」
「いいえ、世界浄化の旅は、必ず成功せねばなりません」
「それが神殿の教義だからか?」
この女は……自分を巫女姫ではないと言っておきながら、言葉は巫女姫そのものではないか。この不毛な会話は平行線のまま終わるのかと思ったが、この女は眉を潜めて、はっきりと言う。
「いいえ、私は見ましたから。必ず成功せねば、この世界は終わります。私の言葉が信じられない、見極めたいとおっしゃるのでしたら、どうか世界浄化の旅で、あなたの正義を証明してみせてください」
「……俺の立場を、貴様は本気でわかっていてか?」
いくら世間知らずの神殿の人間とはいえど、この城がどこか、俺が誰かはわかるはずだ。この女は、じっとこちらを見たあと、アクアマリンの瞳にはっきりと意志を指し示した。
「あなたをフルール王国までお連れします。私には、その力がありますから」
「……最後にもう一度聞く。貴様はいったい何者だ?」
「私は……────を望む者です」
そのまま視界がぐにゃりと歪んだ。あの女の姿は拡散してしまったと思ったら、俺の手にあるものが握られていることに気が付いた。
それは神殿の印の入った通行許可証だった。俺はそれを鎧に納める。あの女が言った意味が全てわかった訳ではないが、少なくとも、これでフルール王国へと向かう口実はできた。
俺は部下たちに引き続きフルール王国および神殿への抗議を続けるよう通達すると、遊学という名目で城を出ることとなった。
預言や予知、それらは象徴の力ですらできるものではない。馬鹿馬鹿しいと斬り捨てることは簡単だが、何故かその言葉が耳にこびりついて離れそうもない。
****
城を出る前に、城内の図書室の禁書フロアで、聖書を何冊か読み漁った。
世界浄化の旅はそれぞれの属性の祭壇を通過したのちに、闇の祭壇への道を開いて、最後の儀式を終えるというものだと。
百年に一度、世界の穢れが溜まり過ぎたが故に世界の澱みである穢れを全て浄化するというものだが。どの巫女姫の旅も、世界浄化の旅については似たり寄ったりなことが書かれている中、おかしいということに気が付いた。
「……何故、どの聖書もその後の話が書かれていない?」
普通に考えれば、聖書で聖人のなしたこと以外書かれていないことはよくよくある。英雄の英雄たる部分以外語られないというのは普通にあることだが、そんな大きな儀式を終えたあとだったら、後日談が一行二行は書き足されていそうなものなのに、どれも「つらい旅を乗り越え、世界浄化の旅を成し遂げた」で終わってしまって、そのあとの話が書かれていない。
あの巫女姫を否定する女は、どうして教義を信用していない俺に、わざわざ世界浄化の旅の邪魔をさせようとする?
それとも、それすらもあの旅を成功させるための必要なものなのか?
……乗せられているようで癪だが、今は時間がない。あの旅を辞めさせる。それ以上考えてどうする。
聖書で地図の書かれている分だけを荷に詰め込むと、そのまま城を出た。
****
火の祭壇に向かうまでの道で、あの女に出会ったが、あの女とはなにかが違った。
姿形は同じだが、あの女よりも幼く感じる。あの女は底がまったく見えない得体のしれないものを感じたが、今神殿騎士に象徴の力の付与している巫女姫。普通の巫女姫、に俺には見える。
巫女姫を名乗る資格はない……影武者? それにしてはあの女の象徴の力は得体が知れないし、使い方も明らかに最初に会った女のほうが慣れていた。
最終的にその場にいた魔法騎士の介入により、そのまま戦闘は中断になったが……いったいどうなっている?
「……気に入らないな」
ああ、面白くない。自分の意志とは違うものに流されている感覚が付きまとっている。
眉間に力が入る。部下には「眉間に皺が寄ってしまっています」と言われるような顔をしていることだろう。
俺は預言も予知も信じない。だがあの女の言葉はなんだ。あれを預言と言わずになにを預言と呼ぶ?
火の祭壇には、あと三日で巫女姫一行は到達するだろう。そこを解放されてしまっては、また一歩闇の祭壇に近付いてしまう。
世界浄化の旅は阻止する。それが俺の意志であり……正義だ。




