隣国の皇太子
カルミアはアルと切り結んだ。
そのたびに火の粉が撒き散り、あたりの大気に熱を孕ましていく。
アルとカルミアの剣技の腕はほぼ互角。背丈もほぼ替わらないふたりの唾競り合いはなかなか終わることはなかったけれど。
ただカルミアの象徴の力が厄介だった。彼の象徴の力は【熱の伝導】。一見するとアルの【力の持続】の炎特化だけれど、条件が違う。
アルには魔法の素養がなく、人から象徴の力を分けてもらわなかったら、彼の力の意味はない。でもカルミアには魔法の素養があるのだ。だから彼は自身の象徴の力を利用して、酸素を燃やすことができる。それが炎の壁や炎の矢を発生させたんだから。
いくら円障壁をかけてもらっているからと言っても、それは燃やされる心配がないだけで、熱までは防げない。少しずつ、本当に少しずつだけれどアルの体力が削られてしまっている。
彼の正体は、はっきり言って見る人が見ればわかってしまう。元王族のクレマチスはもちろんだけれど、苦虫噛み潰したような顔をしているアスターも、厳しい顔をしているスターチスもまた察したようだ。前者は貴族だし、後者は他国の象徴の力も研究している学者だもの。
意を決したように、剣を結び続けているふたりの背中に、クレマチスが声をかけた。
「ジェムズ帝国の方とお見受けしますが、現在フルール王国とは冷戦中につき、神殿を通してでなかったら国交は封鎖されていたはずです!!」
その言葉に、カルミアは眼孔鋭くクレマチスを睨む。
それにクレマチスはビクンと肩を跳ねさせたけれど、震えながらも言葉を続ける。
「……今は、ぼくたちは世界浄化の旅の真っ最中です。国には連絡致しませんし、この場のことは不問にします。どうか、引いてもらえませんか?」
クレマチスの言葉は優しい上に、理に叶っていると思う。もしここで彼を下手に倒すって発想になってしまったら、外交問題になってしまうかもしれない。最悪フルール王国とジェムズ帝国が戦争になってしまう。
最優先が世界浄化の旅達成なんだから、一旦ここは見なかったことにするのが一番かもしれない。
そう思ったけれど、カルミアはクレマチスの言葉に不快げに眉間の皺を深めるばかりだ。
「……ふん、神殿が日和っているということだけはよくわかった。己の権力保持以外に、なんの興味もないということがな」
それって、どういう意味?
思わず私が疑問を口にしようとした、そのとき。さっきからこの状況を傍観していたと思っていたアスターが、カルミアに対して手を伸ばした。
「天の恵み、地を紡ぐ糸、かの敵を射ろ……水の矢」
アルとカルミアが切り結んでいる間にか、クレマチスが交渉しようとしているときか。とにかくアスターはさっさと呪文を完成させていた。
水の矢は真っ直ぐにカルミアを狙ったけれど、それより先にカルミアの剣から炎が舞い、それが壁をつくった。
水と炎、大きくぶつかったと思ったら、あたりを巻き込んで風が吹き荒れた。アルはそれで吹き飛んで、折れた大木に捕まってどうにか難を逃れたけれど、その風になぶられるようにしながら、こちらを不快げにカルミアが見ているのがわかる。
「……世界浄化の旅は、必ず阻止させてもらう。それが俺がここに来た意味だ」
それだけを言い残して、彼はいなくなってしまった。風になぶられて飛ばされたなんて思わないけれど、彼は元々炎を操れるんだから、気球のようにどうにか飛ぶ方法があるのかもしれない。
風がようやく途切れたところで、私は慌てて大木に捕まるアルの元へと走り寄った。
「アル! 無事ですか!?」
「……申し訳ありません。敵を取り逃がしました」
「それはかまいません。……彼とは、また会うことになるでしょうから」
彼はスターチスのおかげで怪我はしていないみたいだけれど、脱水のほうがひどそうなので、慌てて水筒を彼に差し出した。「申し訳ありません」と言いながらアルが水を飲み出したのにほっとしていると、スターチスとアスターは難しい顔をしながら、カルミアが消えた方向を眺めていた。
「あのう、スターチスさん。やはりジェムズ帝国の方が現れたのは」
「……これがジェムズ帝国全体の意向なのか、皇族の単独行動なのかは把握しかねますが……彼は我々の旅を邪魔したいのでしょうね。ジェムズ帝国には汚れを魔科学に利用していると聞きます。我々が闇の祭壇にたどり着くのを、なんとしても阻止したいと、彼は願うでしょうね」
「はあ……あの陰険な顔を何度も拝む羽目になるのかね」
三人の話を聞きながら、私はなんとも言えない顔になってしまった。
スターチスの言葉は正しい。カルミアの目的は、ジェムズ帝国のために世界浄化の旅の阻止をすることだからだ。
フルール王国は神殿の教えに従順で、象徴の力を使いつつも質素に生活を営んでいるのに対して、ジェムズ帝国は魔科学により栄華を極めている国。
宗教に関する意見が、隣国にも関わらず真逆なのだ。二国が神殿を挟んで冷戦状態なのも、教義の扱い方によるものなところが大きい。
スターチスは難しい顔をしつつ、言葉を続ける。
「穢れは神殿の教義の上では悪と称されていますから。フルール王国で穢れの有効利用の研究が進まないのは、教義に反することが原因です。ですがジェムズ帝国は、研究を推し進めるために神殿を一斉追放しましたから」
「だとしたら……彼を説得するのは難しいんでしょうか?」
私はおずおずと言う。
知識では一応、彼を説得する方法があることは知っている。でも。私はリナリアみたいなことができるんだろうか。知っているのと実感するのだったら、天と地ほどに差があるのだから。
私の言葉に、クレマチスは柔らかい言葉を選んで答えてくれた。
「……厳しいかもしれませんが、言葉が通じないわけではないんです。こればかりは、繰り返し訴えるしかないと思います」
時間をかけて、なんて。優しいクレマチスにだって言えないよね。だって、旅の期限は有限。私たちにだって、時間がないんだから。
****
火の祭壇までは、歩いて三日かかる。この辺りは穢れに取り込まれた獣が徘徊しているから、夜営の際にはアルとアスターが見張りとして起きることになった。
皆がそれぞれ夜営の準備をしている中、手持ちぶさたの私は、見張りとしてずっと神経を張り詰めさせているアルの近くに寄った。
……正直、アルとカルミアの相性が悪いっていうのはわかっていた。今まで一緒にいた面子は得手不得手があったけれど、アルとタイプが被る人はいなかった。
クレマチスとスターチスは呪文詠唱が得意だけれど、ふたりとも肉弾戦なんてできない。どちらもそれなりにできるけれど器用貧乏感が否めないアスターは、剣の腕も戦い方もアルとはそもそも異なるから、比べる必要はなかった。でも、カルミアは違う。
剣技も背丈も互角なのに、彼は炎を操れたんだから、それで彼の矜持に傷が付いていないか。彼の闇落ちのフラグが立ってしまわないか。私はそれが心配だった。
恐る恐る彼の隣に座ると、膝を抱えながら炎を眺める。パチンパチンと火の粉を撒き散らしながら薪が燃えているのを眺める。
アルは神殿を出てから、ずっとピリピリしていたけれど、カルミアとやり合ってからはそれにも増してプレッシャーを撒き散らしている。
それにアスターが「騎士様ってそこまで神経質にならなきゃいけないものなのかよ」と皮肉を飛ばしていたけれど、普段だったら黙殺するのに、ギラギラした目で睨んだんだから、やっぱり彼は参っているんじゃないかと思う。
私が黙って炎を眺めていたら、やがてアルは「はあ……」と溜息をついた。
「どうした、落ち込んだりして」
「……え?」
「さっきから顔が暗い」
いや、おかしい。ここって、私が落ち込んでいるアルを慰める場面じゃないの? 思わず目をパチパチとしてアルを眺めると、アルのプレッシャーがわずかばかり緩んでいるのに気が付いた。
「ずっと気配があったのに、あんな無様な戦いをして。すまなかった」
「いや……アルが落ち込んでないんだったらいいんだけれど」
私は思わずパタパタと手を振る。
あれ? 思っているより落ち込んでないんだけれど。でも。闇落ちのフラグを見逃している可能性だってあるし、それを見逃してしまっていたら、ここまで来た意味がない。
もうひと押しと、念のためアルに聞いてみる。
「アルのほうは、ジェムズ帝国の人……あの人のことは大丈夫だった?」
「……力は拮抗していた。だが、あちらは炎を自在に操れた……それだけだ」
「そこは、思い詰めたりしない?」
「なんだ、今回はやけにしつこいな」
アルが憮然と返してくるのに、私は思わず笑う。これくらい言い返してくれたほうが、いつもの彼らしい。
「一応ね、私の知っている歴史からは変わってきてはいるの。ただ、彼が現れるのがどうして早まったのかだけはわからなかった」
「お前以外にも未来を知っている人間はいないのか? それが未来を変えようとして動いているというのはないのか?」
「私以外には未来を知らないはずなんだけれど……」
そこまで言って、私は思わず言葉を止める。
どうしてカルミアは、こんなに早く現れたんだろう。クレマチスが言っていたとおり、フルール王国とジェムズ帝国は国交断絶状態。神殿を通してじゃなかったら行き来だって容易にはできないはずなんだ。
カルミアは言動こそきついけれど、表だって戦争を仕掛けるようなことはしない。仮にも彼は皇太子なんだから。
ゲーム本編ですら、神殿を通してじゃなかったら、火の祭壇まで来ることはできなかった。でも。向かうときのスピードは変わらないはずなのに、どうして到着するのが早まったの? そう考えたら、聖書のことを思い出した。
……リナリアが、なんらかの方法でカルミアに接近して、彼を引き入れたのだとしたら? リナリアの象徴の力だったら、彼に戦争の口実を与えずに彼をフルール王国の領地に入れることができる。
私はそこまで考えて……思考をストップさせる。
……これ以上考えてはいけない。
どうしてリナリアは、わざわざ人を陥れようとしないといけないの。今までのことが走馬燈のように巡り、思わずぶんぶんと首を振った。
「どうした?」
アルに聞かれても、答えることができなかった。
「……ううん、火の祭壇でどんなことが待っているんだろうと、そればかり」
そう誤魔化すことしか、できなかった。




