出立前夜
神殿の大量のお布施に、大量の信者の皆さん。顔を見たいと言われたら鍛錬していようが掃除していようが呼び出されては、なにか声をかけないといけないのに、私はだんだんと疲れてきていた。
世界浄化の旅なんだから、こう……。世界がかかっているんだからもっと荘厳なものだと思っていたのに、蓋を開けてみたら神殿のイメージアップに使われているような気がするのは気のせいだろうか?
ゲーム内だと「それから数日間が過ぎ」の一行で飛ばされていた部分で、メンタルをガリガリ削られることになるなんて思いもしなかった。
アルは私の護衛のために着いてきてくれたけれど、だんだん私の笑顔が引きつってきたのを見かねて、クレマチスや神官の方々にひと言ふた言言ってくれた。
「これ以上は、出立にも関わりますので、お控え願えますか?」
「しかし……今回の旅に出資をしてくださっている貴族の方ですので、その申し出を無碍にするわけには」
巫女姫は客寄せパンダか。引きつりそうになる頬をどうにかして抑え込んで、私はどうにか言葉を絞り出す。
「アル、ありがとうございます。大丈夫ですから」
「しかし……」
「大丈夫です」
私がどうにかフラフラしそうになる足取りを戒めるようにして歩いていると、クレマチスもまた顔をしかめてきた。
「申し訳ありません、神官長様。これ以上はリナリア様が世界浄化の旅に出られる際に、象徴の力を行使するのにも影響があるかと思います。どうか休ませてはもらえませんか?」
「しかし……」
「クレマチスもありがとうございます。大丈夫ですから」
リナリアは、いったいこの世界浄化の旅の前の呼び出しを、何回やったんだろう。
こんな馬鹿げたこと繰り返していたら、旅立つ前に疲労困憊になってしまうのに。私は彼女の精神力の強さに感嘆しつつ、どうにか出資者の人たち全員に挨拶を済ませることとなったのだ。
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「疲れた……」
どうにか今日一日の挨拶を済ませた頃には、私はへばってベッドに倒れ込んでしまっていた。こんなしょうもないことしている暇があったら、まだ町を回って挨拶して、フルール王国の人たちを安心させたほうがまだ建設的だと思うんだけどな。
それにしても。私はベッドをうつ伏せからごろんと仰向けに寝っ転がって、記憶を探る。
まだ、あとひとりの攻略対象が出揃っていないのだ。
彼はシナリオの関係だけじゃなく、立場もあるからどうしても本編開始にならなかったら出てこないはずなんだけれど。
今のフラグ管理がどうなっているのかがわからないっていうのがひとつ。スターチスのフラグはこれ、折れたはずでいいんだよねというのがひとつ。こればっかりは本人にそれとなく事情を聞いて推測するしかできないな。
行方不明になってしまったリナリア。これが最大の問題だ。
彼女が私に言った「皆を助けて」の言葉の意味。
これに嘘がないにしても、彼女の行動はいろいろとおかし過ぎる。
私にやったチュートリアル戦闘に、自分の力を私にだけわかる形で見せつける行動。彼女の狙いはいったいなんなんだろう。何度考えてみてもさっぱりわからないんだ。
わからないと言えば。神の言動も気にかかった。神は私がリナリアじゃないと見た途端にわかっていたけれど。
うーん……神のことなんて、どのルートにおいても最初の神託の場面でしか出てこないから、全然考えたこともなかった。
情報がとっ散らかってしまっていて、どうにも一本の線にならないのが気持ち悪いなあ。そう思ってもう一度ごろんとベッドで寝がえりを打ったところで。
ドアが鳴った。
「リナリア様、起きてらっしゃいますか?」
アルだ。もう部屋に戻ったと思うのに。
「はい、起きていますよ」
「……世界浄化の旅に参加される面子が、揃いました。今巫女見習いが客室にそれぞれ送り届けました。どうなさいますか? 顔合わせは明日になさいますか?」
「……スターチスとアスターが、もうこちらに来られたんですか?」
私は勢いを付けて起き上がると、行儀が悪いとベッドがしなった。
そのまま部屋から出ると、アルは小さい声でこちらを気遣うように目を細めた。
「……本当に大丈夫か?」
「……大丈夫。と言いたいところだけれど、疲れてる」
「明日でもふたりは問題ないと言っていたが」
「ううん、会いに行ってくる。リナリアだったら、多分これくらい涼しい顔でやっていたと思うから」
「そうか……でも」
私が巫女装束の裾の皺を伸ばすようにパンパンと叩いていたら、アルがじっとこちらを見ながら、小さく言う。
「お前とリナは違う」
「……うん、違うよ。でも、彼女と約束したから」
彼女がいったいどうして暗躍しているのかはわからない。全員を助けたい人が、時にはあくどいことをしていることも。
ただ。「助けて」と言っていた。その言葉だけには嘘があったとは思えないし、思いたくないんだよな。
もし、ただ私や皆が苦しんでいる顔が見たいんだったら、そもそも私にリナリアの外見も、リナリアの能力も引き渡すような真似はしないと思うから。
私の言葉に、アルは一瞬虚を突かれたような顔をしたあと、「そう……だな」とだけかすれた声でつぶやいた。
アルはそのまま私を客室の方へ案内してくれる。
普段巫女や神官が暮らしているような区画よりも、客室になっている部分は広いし、なによりも色がついている。まっ白なのがデフォルトになっている場所よりも、ウッドテイストな色がちらちらと目に入る。
一室にまでたどり着くと、アルはトントンと叩いた。
「リナリア様をお連れした」
「おや……どうぞ」
久々に聞く優しい声に、私は思わずほっとした。
中には小さなソファーに小さな机。そしてベッドのある、わかりやすい客室で、机に向かって座っていたのはスターチスだった。
「お久しぶりです。まさか、あなたが学者側の代表になるとは思ってもいませんでした」
「ええ……本来なら、ウィンターベリーで起こった事故の調査に参加するつもりで、世界浄化の旅への召喚は辞退するつもりでしたが、妻が勧めたんですよ」
「アルメリアが、ですか」
「ええ……彼女は特にリナリアさんを気に入っておりましてね。『大変な旅なんだから、治癒ができる人は必要。助けてあげて』と何度も言いましてね……たしかに、アルストロメリアくんも、クレマチスくんも強いですが、治癒に関しては力がありません。そのことでお手伝いができないかと思った次第です」
あの優しいニコニコとしたアルメリアの笑顔が頭にちらつき、そこに私は心底ほっとした。
彼女が死んだことにより、スターチスの中にはほの暗い影が生まれているのが私の知っているゲーム内の彼だったけれど、今目の前にいる彼は愛妻家の優しい学者だ。
……大丈夫、ちゃんとフラグは折れている。そのことに心底私はほっとした。そのまま私は頭を下げる。
「本当に……ありがとうございます」
「ええ。それに、前にクレマチスくんとも話をして、気になることもありましたしね」
「クレマチスと話をして……ですか? 私たちが滞在していたときに?」
「ええ」
ウィンターベリーにいた頃、学者気質のふたりは気が合ったから、なにかと一緒に本を読みながら話をしていたのは知っていたけれど。そのときになにかあったかしら?
当時は私は象徴の力を使えるようにと、なにかとアルメリアに世話を焼いてもらっていた頃だから、どうにもあの頃のふたりの会話に関しては疎い。
思い返していて思わず首を捻ってアルを見るけれど、アルも心当たりはないらしく、いつものポーカーフェイスのまま黙り込んでスターチスの顔を眺めるだけだった。
スターチスはゆったりといつもの調子で笑う。
「この辺りは、旅の道中でおいおい話せればいいと思います。それと、もうひとり僕と一緒に旅で同行される方がおられるのでしょう?」
「はい……」
私は思わず苦笑しそうになるのをどうにか堪えた。
スターチスとアスターは、はっきり言って全く話が合わないのは、本編でさんざん見て知っていることだし、前にふたりが会ったときにも見ていたからわかっている。
このふたりで気まずいことにならないようにだけは、心得ておいたほうがよさそう。……どちらともそれなりの距離感で話ができるクレマチスに全部任せてしまうのは、いくらなんでも可哀想だ。
私たちは何度もスターチスに挨拶をしてから、次はアスターの部屋に向かおうとしたけれど。
「ほんと、ここに閉じ込めるというのも罪深いね……君は」
「あ、あの……おやめください……私は、今は巫女見習いであって……」
「今は立場は忘れて」
……頭痛が痛いって、こういうときに使う言葉だったっけ。
私は思わずアルと顔を見合わせると、アルはいつか見せた渋い顔を示してくれた。
とりあえず、アルはわざとらしい咳ばらいをした。
「ここは神殿で、彼女は巫女見習いで、貴公は神殿の客人だったと思うが?」
そのひと言で、巫女見習いの女の子は青ざめた顔でこちらを見て、今にも泣き出しそうな顔をしてこちらを見てきた。
「も、申し訳ございません!!」
「いえ、あなたはなにも悪くありませんから。見なかったことに致しますから、早く部屋にお戻りください」
「本当に、本当に!!」
「わかっておりますから」
彼女が涙目になってそのまま逃げ出すのを見ながら、私は半眼でアスターを睨んだ。
「……彼女たちは事情がありまして家から離れた立場です。あまり彼女たちをからかわないでください」
「からかったとか、そういうつもりはないんだけどなあ。俺はただ、寂しそうにしていた子の話し相手になっただけで」
「そういうのを、余計なお世話っていうんです」
思わず毒づいた言葉が出るのに、私は思わず口元を抑えた。……まずいな、これは絶対にリナリアは言わない言葉だ。
アスターは意味深に笑みを浮かべている中、この場を遮るようにして、アルのほうが言葉を発した。
「まさかお前が来るとは、思わなかったんだがな。スターチスは義理堅い性格だからともかく、お前ではなくシオンが来ると思っていた」
「あー、あいつは、近衛師団があるしな。世界浄化の旅がはじまったら、それこそいつ穢れの勢力が増すかもわからないし……敵が穢れだけとは限らないしな。だから暇な俺が来たというわけ。なによりもリナリアちゃんに会いたかったしなあ」
そう言ってくるのに、私は思わず一歩仰け反りそうになるのをどうにか堪える。
……それにしても、未だにお家騒動には決着はついていないんだなとは思った。まだ継承権放棄まではしていないんだろうな。家の代表として来た以上は。
私がそう思っている間に、アルはアスターの言葉に目を細めている。
「国王が狙われるというのか?」
「確証がねえから、その件に関してはパース。で、リナリアちゃんも貴族の皆さんのご機嫌伺に駆り出されて疲労困憊な中、旅立たないといけなくなったんだけれど、ご感想は護衛騎士的にはどうよ?」
相変わらずこの人は食えないな……。ちっとも腹の探り合いをさせてくれないアスターの物言いにげんなりしつつ、いきなり質問を向けられたアルは、すこしだけ戸惑ったように目を瞬かせたあと、言い切った。
「俺のやることは変わらない。リナリア様はお守りする。それだけだ」
「そーう、かあーっこいいね、本当」
アスターが茶化すような言葉は、相変わらず食えない印象しか残してくれない。
アルは何度も何度も「これ以上巫女見習いにちょっかいをかけるのはやめてくれ」「客室で大人しくしていてくれ」と苦言を呈してから、私たちはようやっと客室の並びを後にすることになった。
今は夜。星が瞬くのが廊下からでも見られる。
……明日には出立する以上、この光景が次いつ見られるのかはわからない。
一年もここにいたんだから、ここにそれなりに愛着だって沸く。
それに。上手くやれるのかだって不安なんだ。
たくさんあるフラグ。ゲームでだったらセーブポイントからやり直しが可能だけれど、現状は現実と同じく、ぶっつけ本番の一本道ルートだ。リナリアみたいに禁断の象徴の力【円環】を持っていない以上は、やり直しはできない。
すこしだけ肩が強張る中、アルがぽつんと言う。
「一度だけ、リナと話をしたことがある」
「……え?」
「もし、自分が変わってしまっても、それでも自分の味方をしてくれるかと」
「……!!」
思わず言葉を詰まらせる。
いつか、リナリアが私に見せた彼女の記憶。あのとき、アルの回答は見せてはもらえなかったけれど、まさかこんな形で聞かせてもらえるなんて思ってもいなかった。
アルは空を見上げる。
星がちかちかと瞬く様は、私の世界の夜空と同じ。昼間の空はラベンダー色だけれど、夜はどの世界でだって、暗闇だ。
「どんなお前であっても味方でいると、そう答えた……まさか、それはリナが文字通りの意味で別人になるとは思ってもいなかったがな」
「……そうだね」
「……俺はお前の旅を最後まで見届ける。お前が言っていた未来が変わったのかどうかも、まだわからないしな」
そう言ってくれたことに、私は心底ほっとした。
この人はこの人で、使命を全うしようとしているんだと。
……変わらないでいてほしい。まだ彼が現れていないから、それだけが、私の気がかりだ。
「ありがとう」
ひとまずは、感謝の言葉だけは伝えた。




