王都への道中・2
商業ギルドの馬車に揺られて、早三日。途中で穢れに取り憑かれた獣を追い払う戦いを一日に三回もしていたら、さすがに疲れてきていた。
私がぐったりと馬車で座り込んでいるのに、申し訳なさそうにクレマチスが寄ってきて、軽く食べられるクッキーを差し出してくれる。
「リナリア様、連戦お疲れ様です。申し訳ありません。ぼくは接近戦では役立たずで……」
「いえ……私は守ってもらってばかりですから。……それに、もうすこししたら旅に出ないといけませんし。それまでにもうちょっと体力を付けないといけませんね。そうしなかったら、もたないでしょう?」
「それはそうなんですが……」
今にも泣きだしそうな顔をするクレマチスがくれたクッキーを私は受け取って、音を立てて噛む。ギルドの彼女たちが気を使ってくれたクッキーは、素朴な小麦の味がした。
「大丈夫ですよ。記憶は戻りませんけれど、それを理由に旅を延期なんてできないでしょうし」
「リナリア様……くれぐれも無理だけはなさらないでください」
「わかっています。クレマチスも、あまり気に病まないでくださいね。約束ですよ」
「はい」
ふたりで軽く指を絡めて指切りげんまんしてから、ぷつんと指を切る。
それにしても。本当にリナリアはよく連戦でもへばらなかったなあとしみじみと思う。巫女姫はほとんど神殿から外に出ないはずなのに、長旅にどうやって耐えられたんだろうと、存外にタフな彼女のことをしみじみと思う。なによりも王都に向かう旅でこんなに穢れが噴出してしまって、大丈夫なんだろうか。
アスターのフラグが折れればいいな程度に考えていたのに、まさかスターチス以上に大変な目に合うとは、こっちだって思ってもいなかった。
アスターと言えば、この連戦中が終わったあとでもヘラヘラしている。毎日鍛錬を積み重ねているアルが連戦後もケロリとした態度で、夜も寝ずの番で見張りをしているのはわかるんだけれど、アスターもちっとも疲れた態度を示してはいないのだ。
ずっと女の子たちに「だーいじょうぶだったかい? 子猫ちゃんたち?」と軽口叩いて、女の子たちを笑わせている。それは何度も襲撃を受けていた彼女たちを変な緊張を和らげるには十分だった。
この人、本当にすごいな。私は自然と唾を飲んで眺めていた。フェミニストっぷりに磨きがかかっているせいで、軽薄な態度で気を遣っても、変に嫌がられる素振りもないのだ。
逆にクレマチスが妙に落ち込んでしまっているんだから、それをどうにか慰めないといけないのは大変だけれど。だって、今回は彼の聖書詠唱は必要ないし、むしろクレマチスが出てこないとどうしようもない敵が出てこなかったのは僥倖って取らないと駄目だと思うんだよね。
私はぐったりとしつつも、クッキーをどうにか平らげて、指先についたクッキーのかすを舐め取る。
やがて、騎手さんのほうに出ていたアルが布をまくり上げてこちらのほうに寄ってきた。
「リナリア様、あと少しで王都に着きます」
「まあ……ありがとうございます。前方に出て見てもよろしいですか?」
「かまいませんが」
アルと一緒に前方に出たら、騎手さんは軽快に馬を走らせながら笑っている。
「長旅お疲れ様です。もうちょっとで着きますよ。ほら、もう見えてきてますよ」
「わあ……」
私は思わず遠目からでもわかる重厚な城壁に目を見張る。
王都メイアン。代々守護の力の象徴の力を持つ近衛師団により城壁は守られていて、城下町はびっくりするほど人が多い。彼女たちみたいな商人ギルドたちによる市場だけでなく、この街に根差して商売している人たちも多い。この街でも貴族と平民によるロマンスは話題だし、王族と平民による一日だけの恋も囁かれている。ゲーム中でも、一番NPCとの会話が楽しかった部分だなと思い返しながら、目の前の城壁をまじまじと見る。
リナリアは、ここで生まれて短い間とはいえど過ごしてたんだよなあ……。私はしみじみしながら馬車から眺めていたら。
その城壁が少しだけ遠ざかったように見えた。
あ、あれ……? 思わず目を瞬かせてからもう一度城壁を睨みつけるけれど、やっぱりいくら馬を走らせていても、遠ざかっているように見える。
蜃気楼? 一瞬思うけれど、騎手さんが「まずいですねえ……」と口を開いた。
「どういうことですか?」
「そういえば巫女さんは、王都の結界の話はご存知ですか?」
「ええっと……」
私はちらりとアルを見ると、アルは小さく「俺もあまり詳しいわけではありませんが」と添えてから教えてくれた。
「王都は代々王の近衛師団により守りの結界が施されています。ただ、その精度は象徴の力頼りなため、稀に引き継ぎがうまくいかない場合、外部から来た人間を稀に外敵判断して遮断してしまう場合があります」
「ええ? でもそうなったら商売ギルドの人や、慰安に行って帰ってこられた方々はどうすればいいんですか?」
「王都の周辺で象徴の力越しに結界を作動している箇所があるはずですので、そちらまで行って交渉するしかないでしょう。このままじゃ彼女たちの商売にも影響が出てしまいますし」
「ええ……」
そんな訳で、私とアル、アスターとクレマチスは、一旦馬車から降りて、結界の作動箇所まで交渉に出かけることにした。アルは神殿騎士の鎧を纏っているし、クレマチスは神官見習いとして神殿に連絡を付ければ確認できる。なによりもアスターは王都でも有力貴族のカリステプス家の嫡男だ。交渉すればすぐに結界の遮断を解除してくれるだろう。
結界の作動箇所は、アスターが案内してくれることになった。
「こういう場所に詳しいんですねえ」
「たーまにこのトラブルに引っかかっちゃって、女の子たちに迷惑かけちゃうんだよねえ~、女の子の困った顔は、見たくないもんだな」
「そうなんですね……」
アスターの相変わらずな返事に、クレマチスは困ったように眉を寄せている間に、私たちは草原を掻き分けて進んでいく。草原を掻き分けた先には、不自然に草の色が違う場所がある。そこにアスターは「よっと」と言いながら、自身の曲刀を引き抜くと、その色の違う草の周りにぐるっと円を描く。すると、その色の違う場所がパカリとへこんだ。それがマンホールみたいにくり抜かれて、その先には階段があった。
「ここな。もしただ王都に帰るんだったら、ここの近衛兵にでも頼めば、地下道越しに帰らせてくれるけどなあ」
「……王城の結界作動って、こうなってたんですね」
「象徴の力を張り巡らせるために、地下道掘って、そこから力を流してたって訳よ。ほら、さっさと階段降りろ降りろ。ああ、リナリアちゃんはラストにする? 最初にする?」
最後だったらパンツ見えるじゃない!? 私は思わず早歩きで階段に足を引っかけていた。
「さ、先に失礼します!」
そのままカンカンと音を響かせながら階段を降りていくと、冷たい声でアルがひと言アスターに言い切った。
「そんな目でリナリア様を見るな。不愉快だ」
「おお、怖ぁ」
……うん、そうね。たとえ姿かたちとはいっても、リナリアだもんね。私は。少しだけサリッとしたものを感じつつ、私は階段をそのまま降りきった。
地下だからもっと湿気た感じがするのかと思っていたのに、不思議と乾いた土の匂いがする。下水道と象徴の力を通すための地下道はまた別の穴を使っているのかもしれない。
続いてアル、クレマチスが降りてきて、最後に蓋を閉めてからアスターが降りてきたけれど、アスターは「おんや?」と顎に手を当てた。
「おっかしいな。普段はもうちょっと近衛兵がわらわらいるのに、今日は全然いないわ」
「ええ?」
「……結界のことが知られれば、他国から侵略を受ける可能性もありますから、警備は厳重なはずです」
アスターの言葉にアルの補足を聞いて、私は思わず黙り込む。
ちょっと待って。ゲーム本編前に、メイアンでそんな騒ぎなんてあったっけ? 私は思わず顎に手を当てて考え込む。
頭で設定資料集に書かれていた本編開始前の年表を思い浮かべて、そういえばと気が付く。……攻略対象のことをメインに見ていてうろ覚えだったけれど、メイアンで騒乱があったような気がする。その頃のアスターは家のことが原因で他所の町に遊びまわっていたから巻き込まれなかったんだ。
……そっか、私がウィンターベリーで起こった穢れの侵攻を防いだのが原因で、ウィンターベリーが半壊を免れたから、わざわざ神殿からアスター捜索の願いが届いたんだ。もしウィンターベリーが半壊していたら、わざわざここに象徴の力の勉強に来ていた私たちを巻き込んでアスター捜索をカリステプス家が頼んだりしない。
そこで私の知っている設定と、歴史が微妙に変わってしまっているんだ。
でも困った。このままいったら、アスターをメイアンの騒乱に巻き込むんじゃないの? シナリオライターだったらもっと詰めてメイアンの騒乱のことを設定していただろうけれど、残念ながら設定資料には【メイアン騒乱の発生、収束】の一行しか書かれていないんだから、詳細なんて知らない。
原因も結果も知らない騒乱に、アスターを巻き込みたくないし、そもそもここまで送り届けてくれたギルドの皆さんを巻き込みたくない。
私がぐるぐると考え込んでいたら、アルのほうがこちらに寄ってきた。
「どうした? なにかあったのか?」
短く聞いてくれるアルにほっとしつつ、私は思い出したことを言ってみる。
「……私も誰も知っている人が巻き込まれていなかったから忘れていたんだけれど、メイアンでは騒乱が起きるはずなの。本来アスターは遊び歩いていたから、巻き込まれないはずだったんだけれど、このままメイアンに入ったら、巻き込まれるかもしれない」
小さく返すと、アルは眉間に皺を寄せる。
「原因も概要もわからないのか?」
「……ごめんなさい、こればかりは本当にちっとも」
「どうする? このままアスターを連れて神殿に戻るか?」
普通に考えたら、このままアスターを連れ帰って、神殿のほうにカリステプス公爵に連絡を取って迎えを寄こしてもらったほうが、アスターを巻き込まずに安全に騒乱を超えられるとは思う。でも。
外で待ってくれている商人ギルドの人たちはどうするの? アスターだけ無事だったら、本当に世界浄化の旅は上手くいくの?
むしろここはチャンスなんじゃないのかな。アスターの跡継ぎ問題を片付けるのの。
アスターは一応今のところは嫡男になっているけれど、彼のルートでは継承権を放棄している。カリステプス家でも彼のことは問題になっていたのに、そんな彼を呼び戻すっていうのはよっぽどのことが起こっているんだろうし、もしここで彼が継承権を放棄する展開になったら……アスターのルートは安全に閉鎖されるし、彼の闇落ちフラグも消失する。
ここまで考えをまとめてから、私はアルに言う。
「いえ。メイアンに向かおう。このままじゃ商人ギルドの人たちも困ってしまうと思うし、危ないんだったら彼女たちに元来た道を戻ったほうがいいことを伝えられるし」
「いいんだな?」
「お願い」
頭を下げると、しばらくアルは考え込んだようにまた眉間に皺を寄せつつ、息を吐く。
「……お前は力が使えるようになったからと言っても、リナよりもよっぽど使い方が未熟だ。無理だと判断したら問答無用でここから出るぞ。いいな」
「それでいいよ。ありがとう」
アルがちゃんとリナリアの護衛の仕事を忘れてないことにほっとしつつ、アスターの案内で地下道を進んでいった。




