乙女の夢には慣れていない
私をナンパから助けてくれたアスターは、飄々として掴みどころのない人だった。
おまけに平気で甘い言葉を並べてくれるのだから、どうすればいいのかがわからなくなる。
……乙女ゲームプレイしているからといって、甘い言葉に耐性があるかないかと聞かれたら、答えはNOだ。彼氏いない歴イコール年齢なんだもの。
アルは私がどぎまぎしているのに、小さく耳打ちしてくれる。
「……本当にあれがカリステプス公爵の嫡男で合っているんだな? お前の言う予知……で」
それに私はこくこくと頷く。正確にはプレイ情報だけれど、いくらなんでもそんなこと言えるわけがない。
私の申し出には、アスターは余裕を持った態度で受けてくれた。
「それじゃあ、この町には行きつけのティーサロンがあるから、そこまで出かけようか。でも、君の連れはひとりかい?」
そう小首を傾げられて、私はとっさに視線をさまよわせる。クレマチスはようやく巫女との商談がまとまったらしく、買い物を終えて戻ってきた。
「大変申し訳ありません、リナリア様! ……あれ、そちらは?」
クレマチスは少し驚いた顔でアスターを眺めると、アスターはにやにやとした顔をしてこちらを眺めてくる。
わかる人にだったらそりゃわかってしまうんだろう。巫女姫に神殿騎士に神官見習いだって。私は未だにアルメリアから借りたワンピースを着ているとは言っても、アルもクレマチスも服装を変えている訳じゃないんだから。
結局屋台通りを抜けて、可愛らしい店の並びを通り抜けた先にある店に案内された。本当にアスターはここに通い慣れているらしく、店に着くまでに「アスター様!」と屋台をしている女の子からも、ここまで化粧品を買いに来ている商家の令嬢からも声をかけられ、そのたびに手を振っているのに、思わず唖然としてしまった。
案内されたのは、可愛い建物が多いアマリリスでもひと際メルヘンなイメージのあるティーサロンだった。石造りの店にはツタが絡んでいて、ツタの間に吊り看板が提げてある。
「こんにちはー、今日は大所帯で来たぜ」
アスターが声をかけると、てっきり若い女性が出てくると思ったのに、出てきたのは真っ白な髪にしわしわの顔すらもチャーミングに思えるおばあちゃんだった。ただひと言、可愛いと思わせるおばあちゃん。
「あらまあ、アスターちゃん。普段お友達はみぃーんな女の子なのに、今日は珍しく男の子も連れてきたのねえ」
「いやあ、俺が個人的に仲良くしたいのは女の子だけだけどねえ……他ふたりはおまけってことで」
それにアルが明らかに眉間に皺を寄せているのに、クレマチスはおろおろと「落ち着いてくださいっ!」と悲鳴を上げているのを聞き流しつつ、アスターはおばあちゃん店主に「いつもの席ある?」と聞いている。それにおばあちゃん店主はころころと笑いながら「あるわよ。皆さんどうぞー」と通してくれた。
表通りに面していないせいか、ここでお茶をしているのはアマリリスの人たちだけらしい。ときどきアスターに手を振る人もいるけれど、表通りで出会った令嬢や店の女の子じゃなくって、完全に地元のおばちゃんたちだ。
私たちが着いた席は、ちょうど個室のように壁がある場所で、中庭に面している。中庭はハーブ園らしく、鮮やかな緑や花で溢れているのが見えた。
「さっ、一番いい席は君がどうぞぉー。野郎どもは適当に座りな」
アルが剣の柄からちっとも手を離してくれないのにヒヤヒヤしつつ、私はアスターの隣に、私の向かいにはアルが、アルの隣にクレマチスが座った。
おばあちゃん店主が届けてくれたのは、たっぷり紅茶の入ったポットで、「お茶だけだったらいくらでもお替わりをしていいからね、もし他のものが頼みたいんだったら、別で頼んでね」と言い残して去っていく。
私が思わずポットで紅茶を配りそうになる中、さっさとクレマチスがポットに手を取って皆のカップに注いでくれた。
思わず申し訳なくなっている中、「で」とアスターが切り返してきた。
「てっきりすぐに王都に連れ戻されると思っていたんだけど、どういう風の吹き回しかなあ、そこのお嬢さん? 普通に逆ナンパだったらありがたいけれど、こぉーんな口うるさいのが見張っている中、それはなさそうだよねぇ?」
アスターは紅茶に口を付けながら、そう口火を切る。私の向かいでアルがアスターの態度に心底嫌そうな顔をするのにヒヤヒヤしつつ、私は「ありがとうございます」とクレマチスに頭を下げてから紅茶を飲みはじめる。……花の匂いのする優しい味だ。
「……単刀直入に申し上げます。近い将来、私たちは世界浄化の旅に出なければなりません」
「……ほーう?」
そこでピクリ、とアスターは眉を持ち上げる。
穢れを祓うために、闇の祭壇まで旅に出なければいけない。その旅に出される使命を持った巫女姫が私だとは、彼もわかってくれたようだ。
「……リナリア様、それは」
アルが咎めるように口を挟むのに、私は「わかっています」となだめてから、もう一度アスターを見る。
アスターは相変わらず、私を品定めするような目でじっと見てくる。
……正直、彼の問題は相当込み入っているため、リナリアやゲームプレイヤーの私でもどこまで口を出せるかはわからないから、こうして期限を告げるっていうのは賭けに近かった。
皆が皆、スターチスみたいにわかりやすい地雷だったらいいけれど、残り四人の攻略対象の地雷は、本当にどこから解体したものか迷うレベルのため、すこしずつ外堀を埋めていくという方法でしか解体方法がない。いきなり地雷を踏んづけて爆発させながら解体するなんて荒業もあるけれど、そこまでする勇気は私にだってない。
彼の場合は、実家の跡継ぎ問題に根深い地雷があるため、彼のルートでは彼が跡継ぎを放棄するという方向で進むけれど、この方向で話を進めたら、彼と恋愛方向にまで話が進んでしまうかもしれないから、別方向からアプローチをかけるしかない。
だから期限を告げることで、ある程度家の問題を清算して欲しいってつもりだったんだけれど、そんな簡単な方法で地雷が撤去できるのかは、私にだってわからない。
「……あなたにも近い将来、浄化の旅の同行者としての召喚がかかるかと思います。どうかそれまでに、なにかありましたら済ませておいてください」
そこまで言って、頭を下げる。
紅茶の柔らかな湯気、甘い優しい味がする紅茶に口を付けながら、アスターは「ふーん……」と頬杖をついた。
「要は君が旅に出るから、それの挨拶回りに来たってことでいいわけ?」
「……それだけじゃ、ありませんけどね。神殿からあなたを連れ戻すように言われたのは本当ですから」
私がやんわりとそういうと「ふーん……」とまたひとつ相槌を打つ。
「それって、俺がもし断った場合は、どうなるの?」
「……えっ!?」
思わず私はそう反応してしまって、内心「しまった」と焦る。リナリアの反応じゃない。
でも、そりゃそうだよなあ……と今更ながら思った。
実家から言われて出てくるんだったらともかく、事前に「呼び出しが来るよ」と言われたら、それを断るって選択肢ができるし、最悪根回しされて、アスターと跡継ぎ問題を起こしているほうが来る可能性だってあるんだ……。
たしかにアスターの地雷撤去はできるけれど、そもそも非攻略対象の闇落ちを防がなければいけなくなるために、ただでさえ難易度はハードモードなのに、ルナティックにまで押し上げられてしまう。
そこまで考えてなかった。私が焦ってちらちらとアルを見ると、アルが「俺に振るな」とばかりに小さく首を振る。
ふとアスターの顔を見ると、彼がにやにやと笑っていることに気が付き……まさかと気付いた。
……からかわれた?
「……困ります」
抗議も兼ねてそう言ってみると、アスターはにっこりと笑う。
「俺は女の子の困っている顔、大好きよ?」
……この人、ほんっとうに苦手だ。私はその返答にげんなりとしてしまった。
****
それから私たちは、一旦ウィンターベリーに戻ることになった。そこに戻ってから、王都へと出発する。王都には馬車で一週間程度だ。
アスターを連れて帰ったら、スターチスとアルメリアは困るかなとも思ったけれど、あそこの夫婦だったら大丈夫だろうと納得する。元々人がいいふたりだから。
ウィンターベリーに戻る道すがら、アルは小さく声をかけてきた。
「……あの男が世界浄化の旅の同行者として選ばれるというのは本当か?」
アルはあからさまにアスターに警戒しているのに、私はやんわりと言う。
「うん、あの人は選ばれるよ。だからそんなに怖い顔しないでよ」
「……お前の言う、予言で知らされていることなんだな?」
「うん」
「それで、前の穢れは食い止めたが、それでも人が死ぬっていう予言はまだ覆らないのか?」
そう聞かれて、私は首を縦に振る。
正直、手探りで変えられるところから手を付けているものの、どこまで本編がはじまるまでに変えられたのかは、私にもわからないんだ。
「……一応、私の知っている限り、一番変えられそうな部分は変わったけれど、残りの部分は不明瞭な部分が多過ぎて、どこまで変わっているのかがわからないよ」
「そうか」
「……一応聞くけど、アルは私のいうこと、よく聞いてくれたねえ? 私のこと気付かれたとき、本当に殺されるかもしれないって思ったのに……」
ぼそりと思ったことを口にしてみると、アルはまたも顔をしかめてしまった。
この人はどうしてこうも、すぐに綺麗な顔を歪めてしまうんだろう。
「……それが神殿騎士の使命だからだ。お前が言うからじゃない」
「ん……そっか。わかった。ありがとう」
それにチクリとしたものを感じつつも、頷いた。
そりゃそうか。アルが好きなのはあくまでリナリアであって、いくらリナリアの姿をしていたからといっても、私じゃないんだから。……でも逆に考えれば、これでいいのかもしれない。
アルの地雷は、リナリアへの恋心から来る、自分の無力さを思い知ったが故に、彼女を巫女の立場から引きずり降ろそうとする暴走なんだから、最初っからリナリアがここにいないってわかっていたら、成立しない。
今の私はリナリアではないんだから、この地雷が発動することなんてまずない。だからこれでいいんだ。
そう自分に言い聞かせている間に、ウィンターベリーの町並みが見えてきた。
明日には王都に向かう。いったいどうなるんだろう。アスターの地雷撤去は、はっきり言って未知数な部分が多いから、どこまでアプローチできるのかなんて、全然わからないんだから。




