穢れの侵攻・3
無機質な匂いを嗅ぎながら、私たちは通路を走っていた。モニターに映っていた装置の場所は、研究室の一室だったみたいだ。そこで目的のものを取ったら、そのまま脱出するつもり。
アルが大剣を引き抜いたら、私たちは慌てて立ち止まる。一閃。モニターに映った穢れはあらかたクレマチスが倒してくれたけれど、取りこぼしたものはこうしてアルが倒してくれていた。
私たちは目的の研究室に辿り着くと、そこのドアを開く。
獣臭いにおいが充満しているのは、穢れが暴れ回った跡だからなのか、ここで穢れの測定を行っていたからなのかはわからない。私は思わず鼻を抑えながら、アルとクレマチスは淡々と装置を探しはじめた。
それにしても、侵攻予測装置って、外見はどんなもんなんだろう。檻みたいなものは実験動物を入れていたものなのか、そこは血がべとついて見えるし、魔科学の機械はどうなってるのか、神殿にはそもそも存在してないものだったから訳がわからない。私はキョロキョロと視線を彷徨わせているところで、機械に繋がれている赤い石に気が付いた。
「あの……これってなんでしょうか?」
私が思わずクレマチスにそう言うと、クレマチスは目をぱしぱしとさせながらそれを見た。
「これは……誰かの象徴の力が組み込まれていますね」
「だとしたら、これで穢れの侵攻を予測していたのでしょうか?」
装置って言うから、てっきり機械みたいなものを想定していたんだけれど。この石が装置になってるの? それとも結界石みたいに象徴の力を入れれば予測できるの? でもそれだったら、わざわざウィンターベリーに穢れをばら撒く必要なんてないんじゃあ。
私がハテナマークいっぱいになっている中、クレマチスはその石を手に取りつつ、機械の操作方法を確認している。
「いえ。これはどちらかというと、この機械自体を制御しているものみたいです」
「だとしたら、この機械自体が予測装置ってことなんでしょうか?」
「そうなりますね。さすがにぼくたちでもこれを丸ごと持って帰れませんし……」
「神殿からの鞄は?」
あちこち確認していたアルがそうぼそりと言うと、クレマチスは首を振った。
「さすがにこの配線が入り組んだ機械を丸ごとは持って帰れません。ぼくもこの配線をいちから繋げるのは難しいです。せめて記憶媒体を抜ければ、それを持って学問所に迎えるんですが……」
たしかに。この機械は部屋全体だけではなく、施設のあちこちに配線を這わせていた。神殿からもらった鞄も部屋ひとつ分くらいは難なく運ぶことはできるだろうけれど、建物ひとつを運ぶのは無理だろうなあ。
クレマチスはどうにか記憶媒体を引き出そうと機械を操っているのを待っていると、耳になにかが噴きかけられる感覚がやってきて、私はそちらのほうに振り返る。
──ウウ……誰ダ、ココヲ荒ラスノハ……
その場に、もやみたいなものが広がっている。私は思わず目を大きく瞬かせると、それにアルが大剣をかまえる。黒いもやは、研究室一面に広がってきた。
「な、なんですか……!」
「……どうしてこの施設に研究員がいない、責任者が逃げたのか、わかりました」
「どういうことですか……?」
クレマチスはもやの様子に気が付いて、慌てて機械から離れて聖書を広げる。アルは眉を潜ませる。
「……穢れに既に取り込まれています」
「あ、あの……人の姿では、ないみたいですが……」
黒いもやがだんだんと形を成してきたけれど、それがかつては人だったとは、とてもじゃないけれど思えない。ガス人間とでも言えばいいんだろうか。真っ黒な体に目だけはギョロリとこちらを睨んでいる。それでいてもやなものだから、見えるようになっただけで実体はあってないようなものだ。
──ココハ、私ノ実験場ダ、去レ、立チ去レ……!!
そのもやは一気に研究室全体に広がった。途端に臭いにおいが広がる。血生臭さとガス臭さ。しかも外見からして、これは物理が利かない。
アルは剣を振るうものの、ガス人間の形が一瞬乱れるだけですぐに元に戻ってしまう。おまけにガスが広がってきている。
「リナリア様、鼻と口になにかを巻いてください……!」
クレマチスはローブで目より下を塞ぎながら言う。
「このガス自体が穢れです! これを吸ったら取り込まれる恐れがあります!」
「取り込まれるって……」
もう、ガスなんてどうやって対処すればいいの……!
攻撃が当たらない、ガスはどんどん広がっていく。もしこのガスが万が一施設の外に漏れたらどうなるの。……実験動物たちの場合は可哀想だけれど、殺すだけでなんとかなったけれど。ガスが万が一漏れた場合、最悪設定資料集に書かれていた以上の被害が出かねない。
今この場にスターチスがいないのが悔しかった。彼の象徴の力だったら、対処できるっていうのに……!
クレマチスはローブで呼吸を整えつつどうにか閃光を唱えているものの、ガスだと光がかすんでしまい、威力が弱くなってしまっている。せめて、せめてガスをどうにか圧縮できればいいのに。せめて、アルの攻撃が当たったらいいのに。
象徴の力は万能ではない。リナリアの幻想の具現化だって、私が見たことがなく、形を目の裏で再現できるようなものじゃなかったら一瞬だって出すことはできない。ガスを閉じ込められるような結界なんて、神殿の穢れ避けのものとは質がちがうし……。
「閃光!」
かろうじてクレマチスの放った光が、ガスを薙いだ。本当にわずかに削れたような気がするけど、まだまだ形を保ったままだ。
「リナリア様、息は大丈夫ですか?」
どうにかハンカチを口元に括りつけて防いでいるアルが私の傍に寄ってくる。私はこくりと頷く。
「一応は……」
「……クレマチスの閃光の具現化はできるか?」
ぼそりと私の耳元で囁かれる。一応クレマチスの聖書の詠唱はずっと見てきたけれど……それをそのまんま具現化するっていうのは無理だ。私は軽く首を振る。
「さすがにそれは無理だと思う」
「あのガスを薙がなくてもいい。俺の剣に当てられればいい」
「……ああ」
それで私は目を見開いた。
このままだったら、アルはガスなんかと対峙できないけれど、私とアルでだったらどうにかできるはず。私は頷いた。
「多分クレマチスほどの威力にはならないと思う。せいぜい聖書の言葉を付加する程度……」
「付加できれば、それで充分だ」
「なら」
私は目を閉じて、何度か見たクレマチスの聖書の詠唱の様子を思い浮かべる。強盗と戦ったときの審判、犬や狼の穢れを薙ぎ払った閃光。聖書の詠唱により力を得ているんだから、その言葉を全部理解しているクレマチスみたいな力をそのまま具現化するのは無理だ。
でも。あの光だったらガスにわずかでもダメージを与えることができる。アルの普段の大剣だったらガスを斬ることはできなくっても、光の剣だったら。
アルが大剣の刃を私に差し出す。私はそれに触れた。つるりとした大剣はなんの特徴もない、神殿騎士団から与えられたものでも、アルの力があったらなににも勝る刃へと変わる。
私が具現化した光は、剣を破壊するものではなく、剣にそのまま流れる。たちまち刃は光り輝き、その剣を持ってアルは頷いた。
「……頑張ってください」
「わかっている」
アルの象徴の力は、自分ひとりだと発動させることは無理だ。彼の象徴の力は【力の継続】。一度受けた攻撃を武器に宿らせて自分のものとして戦うものだから。そもそも誰かの象徴の力や魔法と噛み合わせないと使うことができないんだ。
アルの剣とクレマチスの呪文で、ガスはどんどんと削れていった。試しに私も閃光まがいなものを引っ張り出してガスを削れないかなと思ったけれど、リナリアのスペックだったらせいぜい剣に聖書の祝福を付加する程度の効果しかなく、ガスを削るほどの力にはなってくれないみたいだった。
それでも、なんとか研究室の一室が見えてくるようになったとき。ガスが呻き声を上げた。
──何故ダ、何故立チ去ラナイ! 去レ! 去レ去レ去レ……!!
途端に研究室が急激に熱されるのに気付く。……まさかと思うけど、これってガス爆発? 穢れが爆発するなんて知らないけれど、理屈で言ったらそういうことだろう。
クレマチスは顔を青褪める。
「まずいです、このままいったらここは!」
「でも、私たちだとどうすることも……!!」
本当に、本当にスターチスがいてくれたらよかったのに。私が唇を噛んでガスを睨んでいるときだった。
「……障壁」
緩やかに声が響いた。途端に回りになにか薄い膜が広がる。次の瞬間、研究室は熱風で機械や棚が吹き飛ぶのに、私たちは身構える。でも、わずかに張られた膜のおかげで、こちらにその衝撃は襲ってこない。
これって。振り返ると、そこではおっとりとローブをなびかせて研究室に入ってきたスターチスの姿があった。後ろにはアルメリアまでいる。
「……スターチス」
「アルストロメリア君が戻ってこないし、追いかけて行ったリナリアさんもクレマチス君も戻ってこないと思ったら……いったいなにがどうなっているんですか?」
「もう! 皆怪我しているじゃないの!」
アルメリアはぷんぷんと怒りながら、彼女が普段摘んでいる薬草をすりつぶして圧縮させた薬を無理矢理私たちに飲み込ませてきた。私は思わず喉に貼りついた薬の苦さで目を白黒とさせるし、あまりにマイペースなアルメリアの言動に、アルもクレマチスも混乱している。
ゲホゲホさせつつもどうにか薬を飲み下したら、さっきよりもちょっとだけ疲れが取れたような気がするから、現金なものだなと思う。
「げほっ……ありがとうございます……ここで行われていた研究で、研究員の人たちが穢れに取り込まれて、実験動物も穢れになってしまっていました。上層部は逃げ出したみたいで……」
「なるほど、それであのガスの方が、ここにいたんですね」
むせながら説明するクレマチスの様子に、スターチスは頷いた。そして普段の穏やかな物腰からは想像つかないような鋭利な目でじっとガスを見たあと、呪文を唱えはじめた。
それはクレマチスみたいに聖書の言葉を朗読しているのではない。彼の象徴の力の発動のためだ。
スターチスの象徴の力は【世界の知識】。一度見たものの構造を分析して、それを自分の力に吸収するものだ。先程の障壁も、ガスの特性を把握したうえで出したものだ。
やがて、スターチスはじっとガスを見ながら、目を光らせる。
「円障壁」
途端に部屋のあちこちが光ったかと思ったら、部屋のガスがだんだんと圧縮されていくのがわかる。スターチスの張った結界の中に閉じ込められて、どんどんと圧縮されていっているんだ。
ガスをどんどんと圧迫していくと、途端にガスは悲鳴を上げる。
──嫌ダ、研究ヲ奪ワレルダナンテ! コノ研究ハ世界ヲ変エルト言ウノニ!
とうとう水筒状にまで圧迫されてしまったガスを見ながら、スターチスは軽く首を振った。その顔はひどく悲しげに見える。
「我々学者は、知識を独占するためだけに研究をするようになってしまったらおしまいです。知識は皆で共有するためにあるというのに」
最後にスターチスがパンッと圧迫してしまったら、声はとうとう聞こえなくなってしまった。私たちは途端にどっと座り込んでしまった。
「どこから説明すればいいんでしょうか? この施設で行われていたこと、からでしょうか?」
「そうですね。でもひとまずは危ないですので、結界石を発動させてから、神殿に通報しましょうか」
「あ、はい」
スターチスはクレマチスから説明を受けて、だいたいの事情を察してくれた。それを見ながら、アルメリアは「もう、アルストロメリアくんってば!」とまたもぷんぷんと怒る。
「ちゃんとご飯は食べていきなさい! 昔からあなたはひとつのことを考えたら他のことをないがしろにします。それはよくないと言ったでしょう!?」
「で、ですが。ここから穢れが漏れたら、町が大変なことに……」
「それでも! 腹が減っては戦はできぬと言うでしょう!? リナリアさんに朝ご飯持たせてあげたんだから、ちゃんと食べなさい」
「わ、かりました……」
アルが気圧されているのを見るのはなんだか意外だな。そう思って私も呆気に取られていたら、「それで、リナリアさんは象徴の力、どうだったのかしら?」と聞かれた。
私は「うーん……」と唸る。
「そんなにすごいことができる訳ではないですが、一応使えるようには、なったみたいです。本当にお世話になりました」
そう言いながらペコリと頭を下げたら、クレマチスと一緒に機械を見ていたスターチスは微笑んだ。
「それはなによりです」
スターチスとクレマチスがふたりがかりで機械を見たものの、ガス爆発のせいで情報は吹き飛んでしまったらしい。スターチスは悲しげに言う。
「おそらくですが、穢れと研究者の利害が一致してしまったのでしょうね。侵攻を予測されたくない穢れと、研究をよそに持ち出されたくない研究者で。既に破壊されていて、情報を抜き出すことが不可能です」
「そうなんですね……」
うーん、残念というべきか。アルメリアが死ぬ未来は回避できたから、大きな筋書きはゲーム本編と変わらないとほっとするべきか。でも、これじゃあスターチスは危ないからますますウィンターベリーから離れないだろうし、アルメリアを置いてはいかないよね。
そう思いながらうつむいていたら、アルメリアはにこにこと笑う。
「まあ、いいじゃありませんか。穢れが外に漏れたら大変なことになっていましたから。皆が怪我したのは治せるけど、命は取り戻せないし。それじゃ、さっさと離れましょう」
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ひとまずは神殿に今回の件を通報。あいにくウィンターベリーの支部は癒着している可能性があるから、神殿本部に手紙を送ることになった。
アルメリアが「今日は本当に皆お疲れ様」と、わざわざきのこたっぷりのキッシュを焼いてくれたのをありがたく頬張りながら、今日一日はゆっくり過ごすことができた。
でも。私はひとりで宛がわれた部屋に戻りつつ、自分で書いた時系列表を読む。最後のひとりはどうしても本編まで会うことが不可能だけれど、あとひとりには神託が降りるまでに会いたいけれど、どうやって会えばいいんだろう。
アルは事情を知っているとは言っても、どうやって「彼に会う必要があるんです」って伝えればいいんだろう。私はメモで思い出せる限り書き殴った一年前の時系列表を見ながら、そっと溜息をついた。




