偽りの巫女姫と神殿騎士の密約
もしこれが他の乙女ゲームであったら、攻略対象が見つけて止めに入ってくれる。物音に気付いて外の様子を見にモブが乱入なんていうパターンがあるだろう。乙女ゲームの主人公がひどい目に遭うのを見るのが好きなユーザーはそんなにいない。だがしかし。
残念なことにこのゲームは『円環のリナリア』。バッドエンドやデッドエンドに定評のあるブラックサレナのゲームであり、そんなお約束は期待できそうもない。
さて……私はダラダラと冷や汗をかきつつ、アルと目を合わせていた。心臓の音がうるさい。これがドキドキとときめいた音だったらよかったのに、これは生存本能がもたらす音だ。
リナリアとしての説得……は、無理だ。もうアルは私がリナリアじゃないと勘付いている。下手な誤魔化しをしたら、神殿に外敵が入ったと判断されて本当にナイフに力を入れられかねない。
でも、本当のことを言っても、どこまで信じてもらえるかがわからない。もし信じてもらえなかったら……本当に私は死ぬ。
今どうしているのかがわからないリナリアが、果たして周回プレイして私を助けてくれるのかといったら、それもわからない。
「……ちょっと、待って」
考えた末に、声を出す。それはリナリアの姿を取っていても、多分アルからは異質に見えていたと思う。私もリナリア・アルバの言葉を真似てはいない。……里中理奈として、話をしているんだから。
「リナリアのふりをしていた。その一点だけはあなたを騙したことになる。それだけは謝る……ごめんなさい」
「……リナ……リナリア様を、どうしたっていうんだ。そんなリナリア様の姿を真似て」
アルはぶわり、と敵意から殺意に発している気迫を変える。途端に私の喉はヒュンとなる。突き刺さる気配が恐ろしいっていうのはもちろんのこと、アルの手元が震えているからだ。怒りに任せて搔っ切ろうとしているのを、ギリギリ理性で抑え込んでいるようなぶれ方。かろうじてアルがナイフで私を搔っ切ってないのは、私に聞き出したいことがあるせいだろう。
もし回答に失敗すれば、間違いなくデッドエンド直行。はじまる前に終わるって斬新だけれど、多分ユーザーはそんなの望んじゃいない。なんとか馬鹿なことを考えて恐怖で萎縮しそうになる自分を励ましつつ、私は口を開く。
「待って、私は別にリナリアを騙ってない。『この姿を譲る』って言ったのはリナリアのほうだわ」
「……どういう意味だ?」
アルは目に険しい色を浮かべたまま、私を睨む……まさか言えない。リナリアは周回プレイを何度やっても、攻略対象のうちの誰かが必ず死ぬ未来を覆すことができないなんてこと。たまたまゲームやっていた私を「観測者」と称して、私にリナリアの立場を全部譲渡してどこかに行ってしまったなんていうこと。
そもそもアルは、リナリアと幼馴染なはずだけれど、彼女が未来を大概は知っていたことなんて知っているのかな。
どうにか頭を整理しつつも、言葉を出す。曖昧なことを言ったら、搔っ切られる。
「……リナリアは未来を変えたいって言ってた。このままだったら大勢が死ぬって」
「……それは、世界浄化の旅のことか?」
アルはぴくっと眉を動かして、私を見た……全部経験しているから知っているなんてさすがに言えないけど、未来予知って誤魔化すことは、できるんだな。
私はそう納得しつつ、言葉を続ける。
「彼女は、未来を変えるために、どこかに行った。私に能力も見た目も立場も全部預けて。私は……この世界の人間じゃないから、この世界の力の使い方も、この世界の細かいことも知らない。でも……リナリアに教えてもらったことまでだったら、知ってるしどうにかできる。でも私もリナリア本人の考えまではわからないし、彼女が今どうしているのかも知らない」
「……この世界の、人間じゃない……?」
「私の世界は、象徴の力なんてないし、穢れの侵攻もない。リナリアがどうして私を選んで私に全部を預けていなくなったのかも、わからない……ごめんなさい、わからないことばっかりで」
アルはナイフをかまえつつも、戸惑ったように目を見開いている。そりゃそうだ。この世界の人間じゃないなんて言われたって信じないだろう。リナリアと同じ姿、同じ声で、訳のわからないことをくっちゃべっているんだから、得体の知れないものを見る目になったって仕方がない。
さすがに周回プレイのことまでは言えないけど、それ以外は嘘はひとつも言ってないんだよ。これで信じてもらえなかったら、私だってどうすりゃいいのかわからないよ。
アルが黙り込んでしまっているのを見ながら、私は駄目押しで言葉を畳みかける。
「……信じてもらえないかもしれないけど。近いうちにこの町に穢れが侵攻してきて、大勢人が死ぬの。私はそれをなんとかしたくって、ここまで来たの。本当に信じてもらえないんだったら、私のことはふん縛って拘束してかまわないから、この町の人たちを助けて。あなただったらできると思うの。お願い」
本当だったら、頭を下げないといけない場面だけれど、アルはナイフを私に突き出しているままだから、首に刺さる。だから私はこの姿勢のまま彼に訴える。
アルは困ったように、眉を持ち上げていた。ゆらゆらと揺れるコバルトブルーの目で、ぼそりと言う。
「……このことは、他の者には言ったのか?」
「言ってない。あなたが私を疑ってここに連れてくるまで、私とリナリアが入れ替わっていることは誰も知らないと思っていたから」
アルは今度こそ黙り込んだあと、私の首元に当て続けていたナイフを胸元にしまい込んだ。途端に私は腰が抜けてしまい、そのまま地面に座り込んでしまった。
まだ本編はじまってもいないのに、殺されるとは思わなかった……いや、私が油断しすぎたのが悪いのか……。緊張が解けた途端、あれだけ騒がしかった心臓の音がドッドッドッドッと響くのがシュールだ。
しゃがみ込んでしまった私を眺めながら、アルは難しそうに眉を潜めている。
「このことは、クレマチスや神殿には言わなくていい話なのか?」
「……リナリアがいなくなったなんてこと、知ったら皆混乱するんじゃないかな。私だって巫女じゃないけど、巫女のふりをしないといけないんだから……でも、まだ修業中の巫女見習いの子たちを巫女に立ててリナリアの替わりに世界浄化の旅に出ろなんて酷な真似、できないよ……」
「黙っていたらいいんだな?」
「えっ?」
アルの意外な言葉に、私は目を見開いた。てっきり、「神殿に事情を説明して本物のリナリアが見つかるまで保護されていろ」と言われるとばかり思っていた。未だに象徴の力を使えないから、なおさらだ。
私の間抜けな顔に、アルは渋い顔をする。
「リナはそんな顔しない」
「ご、めんなさいっっ!!」
「いや、いい……世界浄化の旅までだ。俺がお前のことを黙っているのは」
それは暗に、リナリアの代理は認めるけど、リナリア本人としては扱わないってことでいいのかな?
ようやく立ち上がれそうになったので、私はむくりと起き上がる。その姿を見ながら、アルはぽつんと言う。
「なんと呼べばいい?」
「え?」
「お前はリナじゃない、外ではリナリア様と呼ぶにしても、それはお前の名前ではないだろ」
そう言われて、私は困る。そうは言われても、音は変わらないよ?
「理奈」
「嘘をつくな。リナと同じ音じゃないか」
「本当だってば。里中理奈が本名だよっ」
「……サトナカリナ?」
「里中は苗字! 理奈は名前! 私の世界だったら名前と名字の位置が逆なんだよ」
私はうがー! としながらも名前を言うと、アルは渋い顔のまま、名前を何度も何度も口の中で繰り返す。
「……だとしたら、どうあがいてもリナなのか……」
「私がリナリアじゃなくって悪かったなあ! リナリア戻ったらいくらでも愛称で呼べばいいでしょ! 私のことは無理して名前呼ばなくってもいいよ。おいでもお前でもお好きにっ!」
「そういう意味じゃない。リナリアの名前はリナのものだ、お前の名前で呼ぶのが一番じゃないのか?」
なんで変なところで生真面目なんだ。
思わず頭を抱えそうになったけれど、たったひと言伝えるので精一杯だった。
「……お好きにどうぞ。どうせ私の名前を呼ぶのなんて、ふたりのときだけでしょう?」
****
部屋に帰った途端、私は必死で殺していた顔を緩めると、ベッドにごろんごろんとのたうち回っていた。ベッドがギチギチうるさいけれど、それに構うことなく、私はごろんごろんと転がり、最終的に枕に顔を埋めていた。
アルに。アルに名前を呼んでもらえた。嬉しい、つらい。嬉しい。嬉しい。
乙女ゲームで本名プレイをするような羞恥プレイの趣味は私にはない。あんないい顔で、いい声で、本名を呼ばれてしまったら、死んでしまうような気がするからだ。
もちろん乙女ゲームでイケメンに悶え死することはあっても、それで死ぬことはない。実際に殺されかけたし、吊り橋効果って、きっとこういうときに助けられたら起こり得るんだろうなあと学習したけど。別にいらん情報だった。知らなくってもよかった。
でも。相変わらず象徴の力は使えないままだけれど、ちゃんと伝えられたのはよかったかな。ウィンターベリーで起こることを。さすがにアルメリアが近いうちに死ぬってところまでは伝えられなかったけれど。
私は掌をグーパーグーパーとしてみる。相変わらず力が溢れ出る感覚はやってこない。
どれだけ猶予が残されているのかはわからないけれど、私の事情を知っている味方ができたのは心強いと思う。
リナリアと私を区別してくれた……それが一番嬉しいかなあ……。そう思って顔が緩みそうになるのに、私は首を振った。
誰かとフラグが立ったら、誰かの闇落ちフラグが立つ。全員分の地雷をどうにかするまで、迂闊なことは控えよう。
私が来たのはそのためなんだから。
さんざんベッドの上で暴れまわったら、ぷつんと切れたように、そのまま眠ってしまった。寝間着に着替えるのを忘れていたなんてことは、目が覚めてから気が付いたことだ。




