目覚めぬ力と疑惑のナイフ
「疲れたぁぁぁぁ……」
私はアルメリアに借りた部屋のベッドにダイブして、ぐったりとしていた。腕がパンパン、腰も痛い。馬車の旅は乗り物酔いとの戦いだったけれど、ここでの生活は別のことと戦っているような気がする。
今日一日のことを思い返してみる。
スターチスに言われてやったのは、一日一般人として生活することだったけれど。
掃除はまだいい。それは神殿でもずっとしてきたことなんだから。問題は料理に洗濯、風呂の準備だ。
薪を割って薪ストーブで料理をつくったり、そのストーブに使った火を利用してお風呂を沸かしたり、水車で水を汲んだり……その生活は神殿にいるときはあまり気付かなかった、象徴の力をこれでもかと使わない生活だった。
掃除はともかく、他のことにはその力を必要最低限は使っていた。オール自動な生活はさすがに王族や貴族以外は送っていないはずだけれど。
アルは薪割りを難なくクリアしていたけれど、クレマチスは斧を使うのは下手くそでひっくり返っていた。私はその薪をくべる手伝いをさせてもらったけれど、いちいち灰が出るし、ときどき煽がないと折角の火が消えてしまうそれに、心底「なんで?」という顔をしていた。
「あの……これで象徴の力を出す修業っていうのは、いったい……」
溜まりかねてスターチスに聞いてみる。ゲームでだったらスターチスは後衛の役割の割には、体力やけにあるなとは思っていたけど、こういう生活で基礎体力が人よりあったなんてことは、全然知らなかった。
火の番をしているアルメリアの隣で、スターチスもまた腕を捲り上げて台所に立っていた。
「元々、象徴の力を使い過ぎて穢れが発生していると言われていますね。言葉が力を持つ世界で、悪い言葉が穢れを発生させていると。でも僕は違うと思うんですよ。未だに立証はできてはいませんが」
アルメリアがあらかじめ切っておいた野菜を、スターチスは水を張った鍋に落としていく。それを火の付いた竈の上に置いて、じっくりと煮る。それを眺めながら、私はスターチスの言葉に首を捻る。それはクレマチスの言っていたことと違うような……?
クレマチスは興味ありげにスターチスを見ながら薪を積む。アルは興味なさそうだ。
「言葉を大切にしなかったら、その言葉がいい力を持つとは思えないのですよ。穢れは言葉を邪険に扱った結果なように思うんです」
「あら……でも象徴の力に、いいも悪いも……」
「ええ。ですが当たり前になってしまった象徴の力に対して、感謝はできていますか?」
そう言われてしまうと、返す言葉が見つからない。そっか、そんな考え方もあるんだなと、スターチスの独特の考え方に納得してしまったのだ。
そもそも象徴の力は魔法の一種だと思っていたから、それが世界の根幹に関わっているなんて、ゲームしているときは思わなかったことだもんなあ。
でも、それと象徴の力を引き出すっていうのの因果関係は?
私の疑問は、スターチスがおっとりと教えてくれた。
「今、あなたは象徴の力と向き合ってはいませんから。まずは全く使えないところからはじめて、じっくりあなたの象徴の力と向き合ってくださいね」
便利アイテム。戦闘に有利。
一度ゲーム脳から離れろって、そういうことなんだろうなあと思いながら、私はアルメリアの手伝いを行った次第だ。
ふたりの用意してくれたミルクスープは、滋味深い味でおいしかった。用意してくれた果物も相変わらずなにかわからないものだったけれど、それも瑞々しくっておいしかった。
私はベッドでごろごろと転がりながら、前に図書館で書いた時系列表を広げる。
たしかウィンターベリーが穢れの侵攻に合う。それが原因でアルメリアは死に、スターチスは心に深い傷を負う。それで世界浄化の旅に同行するのは、彼女の敵討ちのため……。
この辺りは設定資料集でも明確な時系列は書かれていなくて、本編開始一年前に妻を亡くすという一行しか触れられていないことだ。ゲーム中でアルメリアの話は出てくるけど、そこでも正確な日時は語られていない。一年前の前後だとしたら、ちょうど今のはずなんだけれど。
どうやって伝えればいいんだろう。その穢れの侵攻だって、具体的なことは書かれていないんだから、どこを見張れっていうのがない。ウィンターベリーで穢れの侵攻があるんだから、一旦私のことを見てもらうために神殿に連れて帰る? ……ううん、ウィンターベリーであった穢れの侵攻が神殿に伝わったから、世界浄化の旅の重要性が国に伝わるんだ。それがないとリナリアはそもそも神殿の外には無期限で出られないはずなんだ。
でも、このままだったらアルメリアが……。
だからといって、ウィンターベリーの人たちを見捨てる真似ができるの?
通りすがった学生さんたち、学者さんたちの顔が頭を掠める。それにあの商人ギルドの一家も、しばらくはここに滞在して新しい薬草を買うはずなんだ。一度出会った人たちに、そんな無碍なことできるの?
メモを読みながら、私がうんうんと考えているとき。ドアがトントンと鳴った。それで私は慌ててメモを鞄に突っ込むと起き上がる。
「は、はい!」
「リナリア様。もう休まれていますか?」
アルの声だ。ここではあんまり神殿内や移動中とちがって自由にさせてもらっているなあと思っていたのに。私は目をパチパチさせながら、ドアを開く。
今は普段の白い甲冑にマントは取って、黒いアンダーシャツと白いパンツルックだ。彼は前に滞在していたときの部屋をアルメリアが宛がってくれていたはずだ。
「あの……どうかされましたか?」
「いえ。今日はお疲れ様です」
「いえ、それでしたら私よりもアルの方がよっぽど大変だったじゃないですか。今は私はスターチスとアルメリアに見てもらっていますから、アルは休暇と思って休んでくだされば……」
「俺の使命は、リナリア様の護衛ですので。すこし話がしたいのですが、庭に出てもよろしいですか?」
そのアルの言葉に、私はますますわからなくなる。アルは普段、リナリアに対する好意はひたすらストイックに隠しているタイプだ。彼のルートに入ったあとでなかったら、誰のルートでも見え隠れはしていても全面に出すことなんてない。
思い返してみたけど、せいぜい神殿騎士の鍛錬を覗き見した程度で、そこでアルが好意に思うような言動はしていない……よね?
しばらく考えつつ、断る理由もないのに断るのも変だと思い、私はただ頷いた。
勉強や研究が好きなクレマチスは、早速スターチスの論文を読ませてもらおうと、ふたりで盛り上がっている。食事の準備の際に聞いたスターチスの仮説が面白かったらしく、それの具体案が出てこないかと議論しているみたいだ。そのふたりを見ながら「今日はお客さんがいっぱいで賑やかね」とアルメリアは笑って洗濯物を片付けていた。本当に平和な姿に、余計に不安になる。もうすぐここに穢れの侵攻があるとは、とてもじゃないけど思えない。
私はアルと一緒に庭に出る。庭は静かだ。ウィンターベリーの町も、静か。おそらくは家や学問所に篭もって研究をしているんだろう。
「あの……アル。それでここで私になんの用でしょうか?」
「……スターチスがリナリア様の象徴の力が戻るよう見ていますが、その後はどうでしょうか?」
「……まだ、感覚っていうものがわかりません」
アルにそう答えつつ、手をグーチョキパーとしてみる。まだ象徴の力みたいなものが沸き上がる感覚が私にはない。
一応スターチスに言われるがままに、アルメリアの手伝いをしてみたものの、一日二日でどうにでもなるものではないだろう。今日一日すごく疲れたけれど、まだ自分の力と向き合うって段階までいけていないっていうのが正直なところだ。
でもそれは、アルはずっと神殿で私を見ていたのだからわかっていると思っていたのだけれど。
「あのう、アル……?」
「アルストロメリアの花言葉をご存じですか?」
「それって、アルの象徴の花、ですか?」
私が思わず聞いたとき。私もパステルピンクの髪が、ほんのすこしだけ散らばった気がした。
思わず固まってしまったのは、いつかの強盗と同じく、首筋にぴったりとナイフが当てられているからだ。あのナイフと違ってぎざぎざした刃ではないけれど、こんなもので切られたらひとたまりもない。
アルが普段から隠し持っているナイフを、私に当てているのだ。自然と歯がカタカタと鳴る。
「あ、の……」
「記憶喪失、そういう設定ではなかったのか?」
「……っ!」
敬語が、外れている。私は震えながら、どうにかアルと目を合わせる。アルのコバルトブルーの目が爛々とした光を湛えて私を睨んでいる。これは……リナリアに向けるような目じゃない。
敵を見る目、じゃないか。
「リナによく似た言動はしていたが、ところどころ違った上に、矛盾だらけだった。象徴の力が使えないのに、自分の象徴の力のことをわかっている。図書館のルールを知らないくせに、図書館の場所はクレマチスが案内する前から理解していた。……いったいお前は何者だ?」
……迂闊だった。アルはリナリアの幼馴染な上に、彼女の護衛だ。彼女の言動を一番よく知っているのはアルだ。彼は記憶喪失の私の護衛だけをしていただけじゃない。……私をずっと監視して、見極めていたんだ。ずっと彼の視線を感じながらも、ちゃんと考えて行動しなかった私のミスだ。いくらゲームで何周して口調は寄せられたとしても、私はリナリアじゃない。
リナリアらしい行動ばかり、取り続けられるわけがない。
「リナに化けて……リナをどこにやった?」
ナイフはギリギリ私の首をかっ切らない絶妙な位置に添えられている。多分アルは、リナリアのことを私が吐かない限りは殺すようなことはしないとは思うけど……。私が嘘をついたら、容赦はしてくれない。
どうする? どうする?
心臓の音を聞きながら、私はダラダラと冷や汗をかいた。
残念ながら選択コマンドは、出現してはくれない。




