トゥルーエンド 分岐点
白、ピンク、オレンジ、紫。
気付けば視界に広がっているリナリアの花畑に、私はびっくりして、あちこちを見回した。
ちょっと待って。私はたしか、リナリアと闇の祭壇に溜め込まれた世界中の穢れを使って、新しい世界をつくって、そこに楔を打ち込んだはずなのに。
しかもリナリア本人は死んだ……はずだよね? あれもまた、リナリアが私を彼女のつくった空間に閉じ込められて見せられた幻想だったなんて、言わないよね?
私は途方に暮れているとき、ふと自分の姿に気付いた。
ルームウェアであり、髪だってセミロングの真っ黒な日本人髪だ。リナリアじゃなくって、里中理奈に戻ってる。
いったいどういうことなんだ。私は困惑してセーブ画面そっくりな空間に視線をさまよわせている中。
パチパチパチパチと手を叩く音を耳にした。
その軽い音を響かせているのは、たしかに私が殺したはずの、リナリア本人だった……いや、彼女は穢れに取り込まれた結果、真っ黒な存在に変わっていたはずなのに、私のよく知っているパステルピンクの長い髪を揺らし、真っ白な巫女装束を纏っている彼女だった。
「……ここを訪れたということは、あなたは無事に、全員を救い、世界を守ったのですね。おめでとうございます」
「えっと……あなたは? リナリア? いや、あなたは私が殺してしまって……あの、ごめんなさい……」
「私はリナリア・アルバが闇の祭壇で穢れを受け入れる直前につくった、あなたに試練を与え、全てを終えたあとにあなたに選択肢を渡すためにつくられた存在です。あなたの知っている言葉では、そうですね……ボーナスステージの案内人と言えばいいのでしょうか?」
私たち乙女ゲームプレイヤーの存在を知ってるからって、彼女からそんな言葉が飛び出るとは思ってもいなかったので、私はがっくりと脱力する。
でもよくよく考えると、私が一度彼女に空間に閉じ込められたとき、なんでリナリアがふたりいるんだと思っていたけど。要は彼女が自分自身のコピーを要所要所に何人か配置していたってことなのかと納得する。
でも。私がここにいるってことは、ちゃんと世界を新しくつくることには成功したんだな。
あとは、帰れば終わりなんだろうけど。
「あの、それで私がここに呼び出された理由は?」
「ええ。あなたは私の助けの声を聞いてくださり、無事に使命を果たしました。使命を果たしたものには、報酬が必要です。ですが、どちらもあなたにとっては酷なもの。あなたはどちらを選ぶのかを聞きたく思いました」
報酬。
……世界浄化の旅の間は、もう必死過ぎて、どうしたら皆の足を引っ張らないだろう。どうしたらちゃんと巫女姫をできるんだろうということばかり考えていて、ゲームの周回特典とか考えたこともなかった。
いや……私は最後の最後。トゥルーエンドのスチルが見たかった。本当にそれだけだったんだから。
私は気まずく思って、頬を引っ掻いている中、リナリアはゆったりとした手つきで空間を撫でた。
そこには、ふたつのドアが浮かんでいた。
「ひとつは、役目を果たしたあなたが、このままシンポリズムから元の世界に帰ることです。あなたの世界では、命は重く、身を守れなかったら簡単に死ぬことはありません。象徴の力が使えずとも生きていける世界です。あなたは新しい世界の観測に戻れます」
「あ……」
……リナリアのつくった幻想だったけれど、彼女に会わせてもらった亜美のことを思い出す。
向こうの私はいったいどうなっているんだろう。向こうの私にとっては、全部ゲームし過ぎのただの夢になってしまっているんだろうか。
「もうひとつは、あなたが今まで培ってきた絆と共に、リナリア・アルバとしてシンポリズムで生きることです。ただし、もうシンポリズムの私は死にました。もうあなたを助けることはできませんし、あの世界はこれからが大変です。いずれ象徴の力は使えなくなりますし、神殿の権力もまだ残っています。命は軽く、身を守れなかったら簡単に潰えてしまう世界です……あなたは、どちらのドアを開きますか?」
それに私は押し黙る。
打算で考えれば、答えなんて決まっている。命のやり取りをしなくってもいい、安全で快適な生活をして、なんの責任もなく、毎日乙女ゲームをしながら平和に暮らしている元の世界に帰るのが一番いい。そこでやっと獲得できたトゥルーエンドのスチルを見て、にこにこしていればいいと。
でも……今までここで過ごしてきたことを、ただの思い出にしてしまっていいのと、そればかりが付きまとう。
これからシンポリズムは大変なんだ。それを「クリアしたから」って理由だけで放置していいの。
穢れに脅えなくてもいい生活の次に待っているのは、象徴の力に頼れない生活だ。魔科学は未だに神殿が掌握しているのだから、それらを少しずつでも一般人が使えるようにならなかったら、まともに生活することだって困難だろう。
それに……。
光の祭壇で受けた告白の答えを、私はまだ出していない。
天涯孤独のアルから、家族であるリナリアを奪ってしまった。クレマチスは還俗して王城に帰ってしまうのに、彼はまたひとりになってしまう。
……あの人を、ひとりになんてしてしまいたくない。
「……私は、元の世界にさよならも言えない?」
「この空間は、私が死んでからひと晩しか維持できません。また一度でもドアを開けば、もうひとつのドアは消えます。そういう風にできていますから」
「あはは……」
分岐点で一度セーブして、セーブポイントからどっちものエンディングを見るなんて都合のいいことは、リナリアはさせてくれそうもない。
そりゃそうか。人生にセーブポイントなんてない。やり直しなんて利かないし、やり直しし続けた結果がリナリアの死なんだから、彼女がそれを選ばせる訳がないんだ。
私はドアノブに手を伸ばす前に、最後に自分の姿を見た。
日本人特有の黄色い肌も、黒い髪も、特に特徴のないルームウェアの自分とも、ここでお別れ。
たった一年と半年。そこで大事なものができてしまった。亜美にだけは、ちゃんとゲームをクリアできたこと、トゥルーエンドの内容を伝えたかったな。そう思ったけれど、私は片方のドアノブを回した。
最後にリナリアに振り返る。
彼女は自分の名前の花と一緒に、静かに手を振っていた。少しだけ鼻の奥がツンとする。彼女にはもう会えない。彼女はもう死んでしまったから。
今度から、私がリナリア・アルバとして生きなければいけないんだから。
「……リナリア、大好き」
「……私もきっと、あなたのことが好きでした。どうか、幸せになってくださいね」
ドアを開く。途端に私の着ていた服は白い巫女装束に切り替わり、髪も伸び、パステルピンクに切り替わる。きっと面白みのない黒目は水色に変わり、肌も白くなっていることだろう。
こうして、私は自分の世界にさよならしたのだ。
****
ぽわぽわと光の玉が浮かんでいるのを見上げながら、私は目を覚ます。さっきのリナリアとの会話は夢だったんだろうか。そう思い返したけれど、彼女はいつだって優しくない。
どっちも欲しいなんて、選ばせてくれない。全員助けるために自分の命を投げ出すような人なんだから、他の人にだってそれを求めるだろう。
神との戦いでくたびれてしまい、もう穢れも出てこない祭壇の周りで、大理石にもたれて泥のように眠ってしまっている。
本当だったら寝ずの番なんてしなくってもいいのに、日頃からの癖なのか、アルは大剣を抱き締めて起きていた。
「……アル」
私が起き上がったのに、アルは少しだけ驚いたような顔をしてこちらに視線を向けた。
「今日は大変な一日だった。世界をひとつ新しくつくり出すなんて突飛なこと、普通だったらまず無理だと思うのに、お前はそれをやるのだから……体はどこも問題はないか?」
「うん……大丈夫。少し寝たら、体力はずいぶん回復したから」
私はアルを見上げる。
最初の仲はお世辞にもよかったとは言えない。アルからしてみれば、家族と同じ顔の女がさも家族として振る舞っているのだから、面白くなかったと思う。
……私だって、彼が好きなのはリナリアだとずっと思っていた。リナリアの記憶を見ても、きっと彼女が【円環】を手に入れなかったら、カルミアの死を背負ったまま、ふたりで肩を寄せ合って生きていたはずだ。
「世界が今日一日で変わってしまったけれど、それでも、あなたと一緒にいてもいいですか?」
私の言葉に、アルは驚いたようにコバルトブルーの瞳を見開いた。
「……これからが、きっと大変なことになる。お前は平和な世界で生きていたのに。まさか残る気なのか?」
「もう帰れないよ。私が断ったから。でも私が帰るだろうって思ったのに、あなたは私に告白したの?」
「……思い出にしてくれても、かまわなかったのに。お前が生きていてくれるんだったら、俺はそれで」
私はアルの甲冑に額を寄せて、グリグリとする。
この人、本当にしょうがない人だなあ。寂しいのに、それを全部仕方ないって割り切ってきた人なんだから。設定資料集だけじゃなくって、そんな人なんだろうなあというのは、もう一緒に旅してきてさんざんわかっていたから仕方ないんだけど。
「多分私はもう巫女姫ではないし、神殿騎士団もどうなるのかわからないけど。でもあちこちに世界が変わってしまうことに不安に思う人だっていると思う。まだプロパガンダとしての巫女姫は、必要でしょう?」
「理奈……お前は本当に」
アルは私の肩に手を置くと、そのまま屈んだ。
コバルトブルーの瞳には、私が映っている。きっと私の瞳にも、彼が映っている。やがて彼はその瞳を閉じ、顔を傾けた。
光の玉がぽわぽわと浮く中、彼に唇を奪われた。
それはロマンティックな恋人同士のものというよりも、魔除けの口付けだった。
……このちっとも優しくない厳しい世界で生き抜くためのキス。この世界で生きていく私に祝福をくれた、守護騎士のキスだ。
私はそれを受け入れて、瞳を閉じて、誓いを胸に刻んだ。
私はこの世界で生きていく。この人と共に生きると決めたから。




