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円環のリナリア  作者: 石田空
黒衣の花嫁編

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116/118

世界再誕

 フルール王国の首都メイアンでは、誰もかれもがラベンダー色の空に浮かび上がる円陣を見上げて大騒ぎになっていた。

 真っ白な光り輝く円陣からは、次々と柔らかな色の花びらが降り注いでくる。その花びらに触れてもすぐに消えてしまうし、いったいこの現象はなんなのかわからない。

 強いて言うならば、この花びらはリナリアの花のもの。現在巫女姫として世界浄化の旅を行っている彼女の名前と同じ花。いったい世界浄化の旅はどうなっているのか、成功したのか、失敗したのか。

 国王は飛んできた鳥に括り付けられた魔道具の内容を読みながら、空の円陣を眺める。


「国王、各地からこの円陣はいったいなんだと問い合わせが来ております! 今回の巫女姫の世界浄化の旅は、いったいどうなったのだと……!」


 フルール王国の各地では、空に浮かび上がる謎の円陣で大騒ぎになっている。

 知的好奇心旺盛なウィンターベリーでは早速大学が総力を上げて円陣の解析を開始しはじめたし、神殿の教えに従順なカサブランカやペルスィでは驚いて神殿支部に飛び込んで讃美歌を歌う声が空に響いているとのこと。

 商売熱心なアマリリスでは円陣をよく眺められる場所へと観光馬車が出発しはじめたので、慌てて神殿騎士団が止めに入っているとのこと。

 各地の神殿支部からの困惑の声が神殿に上がり、メイアンには問い合わせが殺到している。

 メイアンに住まう貴族も平民も貧民も、驚いて空を仰いでいるし、酔っ払いの喧嘩も、プライドからの小競り合いも、一旦止まってしまった。

 国王は魔道具に入っていた報告と共に、もう一度空を仰ぐ。


「……ジェムズ帝国に和平交渉をする密使を送るように」

「国王? そんなことをすれば、神殿が黙ってはいないのでは?」


 神殿には国政に携われるだけの権限が存在する。代々巫女姫として王位継承権のない王の血筋の姫が送られているのも、貴族たちが継承権の遠い子息を神官にするのも、その神殿の権力を使って家を強くするためのものだった。

 彼らにはこの世界の神の力を使う権限を持っているものだから、彼らを刺激せぬようにと、この世界の安寧のために。そう思っていたのだが。

 神殿に入り、このたび世界浄化の旅の仲間となっていた子息の報告を読み、考えを改めたのだ。

 この世界の神がいなくなる以上、近い将来訪れるだろう燃料問題は、魔科学が発達しているジェムズ帝国の力を借りねば、いずれ宗教以外の火種が撒き散らされてしまう。

 国王はしばらく会っていない子息のことを思い、少しだけ口元を緩めた。


「世界は近い将来変わる。国民は落ち着くようにと、お触れを出す」

「しかし、これらは神殿に」

「……いずれ神殿は力を失う。しかしいつまでも我が国が神殿におんぶにだっこという訳にもいくまい?」

「国王……?」


 しかし、神殿が今まで行っていたことを公表すれば、必ず暴動が起こる。信仰者たちが迫害されることがないよう、少しずつ神殿の力を弱めなければならないのだから、悩ましいことだ。

 国王はそう考えながら、神殿や神殿騎士団に送り込んでいる王の血縁者たちに密使を送る段取りを整えはじめた。神殿の信仰者たちが暴動を起こさぬよう、少しずつ神殿の力を削ぎ落さなければいけない。

 力を持つ執行者ではなく、形骸化した概念にまで切り崩さなければいけない。

 世界がいきなり変わってしまったら、人は動揺し、ときには混乱のあまり破壊活動が起こる。暴動が起こらないような下敷きをつくる。それが執政者の責任なのだから。


****


 世界中に広がった円陣には、きっとリナリアの花が降り注いでいる。

 皆が花に見とれている間に、世界は象徴の力に侵食されている。きっと誰も気付かない。今まであった世界の上に薄い被膜がつくられ、新しい世界を被せられているなんて事実。

 リナリアからもらった白い大剣は、世界の楔。神の守る世界の上に新しい世界の理を敷いて、それが外れることがないように縫い付けるのだ。

 神はだんだんその被膜から弾かれて、世界の下敷きになっていく。


「なんだ、これは……! 我がいなければ、世界には穢れが生まれない! 象徴の力の循環ができなくなるぞ! そうなればいずれ世界は……!」

「いずれ象徴の力に頼らない世界になります。今はまだ必要かもしれませんが、人間の力は、それだけではありませんから……!」


 神はなおも抵抗して、私からリナリアが被せた皮を引きちぎろうと襲い掛かってくるものの、それを防いだのはアスターの曲剣だった。


「最後の最後なんだから、ちょっとは格好付けさせてよ、ね……!」


 私が必死で象徴の力を使っている間、アルは私の肩を叩いて力を一緒に引きずり出され、私が詠唱で全部力を使い果たさないよう、クレマチスが少しずつコントロールしてくれている。

 やがて、瞼の裏には世界中の景色が映りはじめた。

 あとは、このまま大剣に力を注ぎこんで、詠唱を固定してしまえば、もうこの世界は神の支配が及ばなくなる。

 力に引きずり回されないよう、必死で大剣を握っている中。


「させぬ……!!」


 神は逆上して、しゅるしゅると穢れを出す。

 もやとして誰かを穢れに取り込もうとするのではない。剣のように黒く尖らせて、それでリナリアの大剣を折ろうと勢いを付けて投げてきたのだ。

 ちょっと、やめてってば。これはリナリアからもらったものなのに、こんな膨大な量の象徴の力を溜め込んで楔にできるようなものなんて、ないのに……!

 でもこれを抜いて避けることもできず、だからといって盾になることもできずにいた、そのときだった。

 カルミアの黒い甲冑から、光ってなにかが出てきたのだ。それは、薄いピンク色のリナリアの花だった。


「……まさか」


 カルミアは呟いて花に手を伸ばすものの、その花は彼の手をすり抜けて、神の元に辿り着くと、発光して彼を包み込んでしまった。

 ちょっと待って、これってどういうことなの……!?


「……理奈、手に集中しろ。もうすぐ、世界は分断する。神のつくった世界と、理奈たちがつくった新しい世界に。そのために、楔を埋め込むんだろう?」

「……うん。でも」


 だんだん神は膜に弾かれて、とうとう入れなくなってしまった。この薄い膜も、楔を埋め込めば、完全に世界に同化する。

 世界中の誰もが気付かないほどに、あっさりと、世界は分かたれるんだから。

 最後の力を振り絞る。

 前に受けた言葉の濁流に飲み込まれて、意識が拡散していきそうなイメージが伴うけれど、今は体がある。隣にアルもいて、クレマチスもいて、アスターも、スターチスも、カルミアもいる。

 ……大丈夫、絶対に、成功する。

 大剣を完全に床石に埋め込んで、力を注ぎ込んだ。


 これで、世界は変わる。


****


 これは許されない恋でした。

 これは認めてはいけない恋でした。


 何度も何度も誰かを殺して、誰かを踏みにじって、世界は救われました。私はそれを認めてはいけないと、必死で世界を繰り返しました。

 どうして誰かを殺さなければ、世界は救われないのでしょうか。どうして誰かが死ななければ、世界を救えないのでしょうか。

 私は祭壇でひとりになり、ずっと泣いている中、彼はそっと私の元にやってきたのです。


「……大事な子。愛しい子。早く諦めてしまえばいいものを。そうすれば、世界は救われるというのに」


 神は、ずっとそう言い続けたのです。

 私がひとりでずっと繰り返していて、だんだん記憶は混濁していきました。その中で、彼の言葉はだんだんとしみのように広がっていったのです。

 だんだん、その声を聞きたいと思うようになったとき、私はぞっとしました。

 この世界が歪んでいるのは、彼のせいだというのに。それを認めてしまってどうするというのでしょうか。

 彼への気持ちは知らない。彼への気持ちは認めてはいけない。彼の言葉に耳を貸してはいけない。私はただ疲れ過ぎて、誰かに身を委ねたいとそう思っているだけだと、何度も自分に言い聞かせてきました。

 でも。私はもうじき【円環】が使えなくなると気付いたときに、悟ってしまったのです。

 次の巫女姫が選ばれるとしても、それはいったい何十年、何百年後なのだろうと。

 彼はその間をずっとひとりで過ごさないといけないのです。私はひとりで世界を繰り返し続けている中、そのことを共有できる相手は神以外におらず、皆の中にいても孤独を抱えていたのです。彼は? たったひとりで世界の守護をするために産み落とされた彼は、あとどれだけ孤独な時間を過ごさなければいけないのでしょう。

 そう思ったとき、この世界を終わらせたいと、そう思ったのです。


 観測者に引き渡した力を持って、世界は無事分断されました。

 神は新しい世界に行くことはできず、旧世界に取り残されたのです。

 私は死にましたが、自分の意思のかけらだけを、リナリアの花に注いで、世界が分断される瞬間に彼の元に向かうように設定しました。

 彼を、ひとりにはしたくなかったのです。


「……いったい、貴様はどこまで思考を張り巡らせていたのだ? 我から世界を取り上げて、満足したか?」


 今まで世界は我がものだったのに、それを取り上げられてしまった神は、見たことがないほどに打ちひしがれてしまっていました。

 私は彼を強く強く抱き締めます。

 ……この人は、誰かを抱き締めることはあれども、誰かに抱き締められたことはあったのでしょうか。いつだって彼は、死体の花嫁しか抱き締めたことはなかったというのに。


「最初は、誰にも死んで欲しくない。誰も犠牲になって欲しくない。たったそれだけでした……でも、あなたをひとりにしたくないと思ったときに、私の最後の力の使いどころを決めたのです」


 死んでからでなかったら、この気持ちすら伝えることはできなかったでしょう。


 数多の死んだ恋心。数多の死んだ巫女姫と旅の仲間たちの恋路。もう、これで終わらせなければいけません。

 そしてずっと殺していた恋心。生きているうちは、決して認められなかった私の気持ち。

 間違っていても、おかしくても、それを止める世界はもうないのですから。


「……愛しています。あなたをずっと。やっと言えた」

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