夢幻回廊・3
アスターの詠唱が曲刀に絡まる。
あれは俺のように象徴の力の属性を溜め込むことはできないが、何度も何度も象徴の力を強化した結果、曲刀自体の属性を変化させることができるようになったらしい。
曲刀に絡まった力は、炎、水、大地、風……。
「四方の守りは我と共に、天地の裁きは汝の元に、集え黄泉の旅路を終えしもの……四大元素光!!」
四つの光を纏った剣が、リナに向かって振り下ろされる。
リナはそれを受け止めようとする中、彼女の動きを止めようとクレマチスの詠唱が完成する。
「天の光は大地に注がれ、地に落ちる影は伸び、世界はふたつに分け隔たれた……聖十字架!!」
光が彼女を拘束しようと動く。
リナはそれを踊るように避ける。気のせいか口元には笑みが浮かんでいる。
相変わらずカルミアが彼女に対して氷で足止めしようとしてはいるが、リナは足の裏にスケートでも付けたかのように、氷をつるりと滑って避けてしまう。
まるでここは舞踏会場で、彼女はこの場で舞を披露しているようにすら思える。
彼女はますます周りに苛立ちを募らせ、自身を殺させようとしている……俺はどうすればいい?
リナが消してしまった理奈は、今この場に帰ろうともがいているだろうが、俺はどちらの味方をすればいい?
理奈が戦っているものは、俺たちとさんざん話をしたのだ。神に決まっている。だがリナは? リナが穢れを受け入れた事実を、神は知っているのか? 彼女は、本気で神の花嫁になろうとしているのか?
もし彼女を殺したとしても、神が高笑いしてリナを連れ帰るだけで、なにも解決しちゃいない。だが……。
俺が混乱している中、こちらを怪訝な顔でスターチスが見た。
「アルストロメリアくん。混乱していますか?」
尋ねられても、いったいどう説明すればいいのかがわからない。
皆がわかっているのかは知らないが、あのリナは本物なのだ。彼女を花嫁にすることが、正しいとは思えない。だがこのことを伝えるべきなのか?
「……俺は、彼女を殺せない」
「それは、彼女がリナリアさんと同じ姿をしているせいですか?」
言えるのか。彼女が本物だということを。今まで旅をしていたほうこそが偽物であり、本物に招き入れられたほうだと。
俺がギリリと歯を食いしばったとき、スターチスが静かに告げる。
「リナリアさんが目の前で消されて、混乱しているのはわかります。今目の前に立ち塞がった彼女が何者かもわかりませんし。ただ。今のあなたを、帰ってきたリナリアさんがどう思うのかだけは、考えてくださいね。ただ……君はいつも、リナリアさんに関わるときだけは人間らしいです」
そう言われて、思わず振り返った。スターチスは苦笑しながら、障壁の補強を続けていた。
スターチスにも、ウィンターベリーにアルメリアを残してきているのだから、なにかしら思うところがあったらしい。
……俺が動くか動かないかは、理奈が帰ってきたときだ。今はきっとまだ、そのときではない。
****
私は制服姿のまま、座り込んで考えていた。
相変わらず光の濁流がひどいけれど、さっきほど流されないのは、一応は【里中理奈】という体があるせいだと思う。
形が定まってないときは言葉のひとつひとつに流されていく感覚を覚え、自分を見失ってしまいそうで怖かったけれど、それがないのは少しだけほっとする。
さて、光の濁流が怖くない内に設問を考えてしまわないと。
残りふたつの設問はちょっと難しい。ひとつはそもそもどうして私はリナリアの象徴の力の入った空間に閉じ込められているのかって話だし、残りひとつに至っては、私は何度も何度もリナリア本人に直接質問し続けていたにも関わらず、ずっとスルーされていたことを、最後の設問として提示されてしまったんだから。
そういえば。リナリアは私に二回ほど、私の世界の情景を見せてきたなと考える。彼女も私と同じで、自分が直接見たもの以外のコピーは、いくら彼女の象徴の力が強力だからといっても、完璧にはできないらしい。
私の世界の情景をコピーするのは、全部私の記憶に由来していたから、ところどころ差異があった。リナリアは亜美の性格をコピーはできなかったんだから。
んー……この辺りは最後の質問に関係しそうだから、先に私がなんで死なずにリナリアの空間に閉じ込められているのかを先に考えたほうがよさそう。
私はグーチョキパーと手を動かしてみる。今の体もリナリアがつくってくれたものだけど、今はリナリアじゃないせいだろうか。象徴の力が使えない。そりゃ現実世界じゃ象徴の力なんて使えないのは普通だし、それで困ったことなんて一度もないけど。
あれ? そういえば。リナリアは何度も何度も、「私じゃ世界を救えない」って言っていた。
これって、神が何度も何度も巫女姫を花嫁として連れ帰っているから、誰かが人身御供にならなかったら世界は救えないけど、リナリア本人が花嫁になっても、世界が神の玩具から逃げ出すことはできないってことじゃ?
だとしたら、神を殺して、何度も何度も世界をならすのを辞めさせないといけなかった。でも、神は象徴の力を引きずり出すことができるし、リナリアだって私から象徴の力を引きずり出すことで、リナリアの体を消失させてしまった。
あれ? だとしたら誰も神に勝てないよね?
あれ? でも私、今死んでないよね……。
「ああ、これ単純な話か。私、元々の世界では象徴の力なんて持ってないからか。私の世界では超能力持ってなくっても死なないもの。シンポリズムは言葉が全てを支配する世界だから、自分を象徴する言葉が引っこ抜かれちゃったら死んでしまうけど、私の世界だったら物質を司るルールが違うもんね」
そりゃ私の世界だって、血がいっぱい出たら死ぬし、体が維持できなかったら死ぬけど、シンポリスムのルールは適応されない。リナリアが私のことをずっと「観測者」って言っていたのはそういうことか。
私がそれを口にしてみると、リナリアの声はくすくすと笑い声を上げた。
「あなたは本当に……面白いですね」
「笑うようなことは全然してないんですけど……これ、正解ですか? 不正解ですか?」
「ええ。正解です。あなたはこの世界の人間ではありませんから、象徴の力を抜いても死にません。ただこの世界のルールに乗っ取らなければシンポリズムでは存在できないので、本来なら肉体を失ったあなたはすぐに世界に帰るところだったのを、私の空間に閉じ込めることで、あなたを維持しています」
なるほど……だとしたら、本当に今までの出来事が、全部夢オチになりかねなかったんだ。でもそんなことしたら、本当に全部が無駄になってしまう。
でも。リナリアがどうして穢れを全部受け入れてしまったのか。私をわざわざ彼女の世界に閉じ込めたのか。これが最後の設問だよなあ……。
これは、ゲーム脳だったらわかってしまう。でもこれを答えてしまっていいんだろうか。だって、これって……。
「……最後の設問に答える前に、聞いてもいいですか?」
彼女は答えなかった。
なら私が勝手に言おう。私は今まで、シンポリズムで過ごしてきた出来事を思い返しながら言う。
「私は、この世界が好きです。ゲームを何度周回プレイしても、設定資料集読み込んでもわからなかったことが、ここでは実地で体験できるし、いろんな人に出会いました。ゲームだとスチルどころか立ち絵ひとつ用意されてない人たちだってここでは普通に生活していて、穢れに脅えていて、嘆いていて、それを必死でなんとかしようと抗っている姿を見たら、誰だって力を貸したくなると思います……でも」
最初は、誰も死なないトゥルーエンドが見たいってそれだけだった。でもそれは、『円環のリナリ』の攻略対象たちだけで、名前のない人たちのことなんてちっとも考えていなかった。
リナリアは私以上に何度も何度も周回してきて、そのたびに取りこぼしてきた人たちについて悲しんで、泣いていたと思う。ううん。彼女のほうが、よっぽどこの世界のことが好きで、誰ひとり死なない方法を模索してきたはずなんだ。
でも。既に終わってしまったことだけは変えられないし、人の命はスナック感覚で消えてしまうのがシンポリズムだった。
せめて、これ以上世界を神の玩具にされないようにするために行動をするに至った彼女の気持ちだって、すごくわかる。
でも。
「私は、リナリアが好きなんです。あなたに憧れていました。ゲームを何度も何度もプレイできたのだって、あなたが主人公だったからです」
いくら乙女ゲームは恋愛ゲームだとは言っても、自分が好きになれないキャラの恋愛事情ほどしょうもないことはない。主人公を好きになるってことは、攻略対象を好きになることよりもずっと、ううん。このゲームのトゥルーエンドを目指したいって核になる部分だと思う。
だから、もしこの設問が当たっていたら、今まで頑張ってきたものはなんだったんだって、納得ができなくなってしまう。
「本当に……本当に、他に方法はないんですか? アルは? クレマチスは? 他の皆はこの周回ではあなたのことを知らなくっても……皆あなたのことを好きなのに。私だって、あなたのことが好きなのに。本当に、いいんですか?」
ブラックサレナのシナリオは重いし、トゥルーエンドが必ずしも幸せとは限らないけれど。
それでも。今回ばかりは納得ができない。
ようやく、リナリアの声が返ってきた。
「……私は、もう【円環】を使えるだけの力が残っていません。象徴の力は強くなりました。その代わり、何度も何度も【円環】を使い続けるごとに、私の魂は少しずつ削れていきました……もう、この世界を救う手立ては、今回だけなんです。今回を逃してしまったら、また次の世代の巫女姫が、無限に【円環】を使うことになるでしょう」
「そんな……」
「観測者、あなたが私のことを恨むだろうということはわかっていました。でも……ありがとう。私は、あなたの言葉を聞いて安心しました。私の直観は、間違っていなかったと。あなたを選んで、本当によかった」
恨んでなんかいない。怒っているだけで。どうして。あなたはもしかして全部の使命を私に押し付けたんじゃって疑われてもなお、ずっと神を殺すための準備をしていたっていうのに。
「私は、あなたを恨みません。ただ、怒らせてください。あなたを好きな人たちの分まで」
「それでかまいません。さあ、最後の設問の答えをどうぞ」
「あなたは──……」
私が答えを言った途端に、私の体にしゅるしゅると光の濁流が絡んできた。
それは、言葉だった。リナリアが溜めに溜め込んだ、たくさんの象徴の力だった。
その中には、リナリアが何周もかけてきた苦しみや喜びの記憶まで、たくさん篭もっている……嬉しい、楽しい、苦しい、痛い、憎い、おぞましい、気持ち悪い、愛しい、恋しい、楽しい……それらの感情までが、一気に私の中に溶け込んでいった。
気付けば、里中理奈の見た目は完全にコーティングされ、パステルピンクの髪、白い巫女装束、そして、大きな白い大剣まで持って、リナリアの花畑の中に立っていた。
最後に、誰かが私の背中を押した。
「……行ってらっしゃい。どうか、世界を救ってください」
「……リナリア。大好き」
私はそのまま、リナリアの空間から、外へと飛び出していったのだ。




