巫女姫と皇太子の密談
リナリアの花が揺れている。闇の中発光して咲く花は、この女の物騒な言葉からはずいぶんと程遠いように思えた。
俺はこの女の唐突な頼みに、ちらりと上を見る。神が聞いているのか否かは、残念ながら俺の象徴の力では特定できない。この空間もこの女の象徴の力だとは思うが、その中にすら神は入り込むことができるんだろうか。
それにしても。これから闇の祭壇まで神を殺しに行くというのに、その前にこの女を殺さないといけないという意味がわからない。
「……どういう了見だ? 説明できないというなら聞かないが」
「本当に、申し訳ありません。伝えることができないで。お願い、できますか?」
「する、しないは、ついてから考える。だがひとつだけ。何故巫女を選んだ? 貴様だけでどうにかできそうだと思うが」
明らかに規格外なほどに象徴の力を使う女。それをなんのリスクもなしに使う女。
巫女の力もだんだん強くなってはいるが、彼女が力を行使すれば、リスクとして彼女は倒れる。それだけ使う象徴の力が削っていく精神力が強いということだろう。今はアルストロメリアが彼女の精神力の負担をすることで、倒れるところまではいかなくなったが、目の前の女は彼女と同等の力を使っても倒れるどころかよろめくことすらしない。
目の前の女が神を殺せば、それで済む話では?
俺の問いかけに、目の前の女は悲し気に水色の目を伏せる。
「私では、彼には勝てません。どうやっても」
「それだけの力を持っていても?」
「はい……私にはできませんが、観測者にはそれができます」
ますます訳がわからない。
巫女を寄こしたのも、巫女に今の姿かたちに力を与えたのも、目の前の女だというのに、何故そう言い切れるのか。
だが目の前の女はそれに答えることはなく、最後にこれだけを言った。
「……これが、私である私の最後の言葉になると思います。どうか、次に現れる私を、私だと思わないでください」
「……一応確認するが、何故それを言う。俺以外の連中に、それこそ貴様に観測者とか呼ばれる巫女に伝えなくていいのか」
「それはあなたが、私と一番似ているからです。あなたは、決して間違えない。国と婚姻をし、国のために生きて死ねるあなたなら、確実に私を殺してくれるからです」
「なるほど」
この女の他の連中に対する評価はだいたいわかった。
他の連中は大なり小なり目的と情を天秤にかけたときに、情に天秤を傾けることがある。俺にはそれがないということか。
ずいぶんな言われようだが、この女はどういう理屈か、世界浄化の旅に出向いている連中のことを俺以上に把握しているらしい。
最後にこの女は、その場に咲いているリナリアの花を一輪摘むと、それを俺に差し出した。
「同じ花を辿ってください。それで時の祭壇を超えられるはずです」
「……これは俺の試練ではなかったのか? 俺は試練すら受けてはいないが」
「先程も申しました。あなたは天秤を情だけで傾けることはまずありませんから、あなたにここでの試練は意味がありません」
ずいぶんと買われたものだ。
俺は花を手の持って、リナリアが咲き誇るこの空間を後にした。
光の祭壇の話を全て本当だと取るのならば、禁断の象徴の力を持っているのは、おそらくはこの女だろう。
何度も繰り返した世界の中では、そんな未来もあったのかもしれない。だが既にそんな世界からこの世界は外れている。もしもの世界の話を語るのは、あまりにも意味がない。
「カルミア……お願いします」
その声をかすかに耳にしたような気がする。
この女は最初から最後までわからなかったが、ただひとつだけわかったのは、彼女が俺と似た者同士だということだけだった。
****
リナリアの花が途切れた場所には、ぽっかりと闇が口を開き、その場に皆が既に立っていた。
「カルミア……! 大丈夫ですか!?」
すぐに寄ってきたのは、パステルピンクの髪を揺らし、白い巫女装束の裾を持って走ってきた巫女であった。
俺はちらりと彼女を見る。
上から下まで眺めてみても、あの女と姿かたちだけでは間違いなく区別がつかない。口調もたしかに似ている。だが仕草が、考え方が、どこかあの女よりも幼いように思える。
手に持っていたリナリアの花をひとまず懐に入れ、頷く。
「問題ない。巫女は?」
巫女は少しだけ驚いたように水色の目を瞬かせたあと、小さく頷いた。
「私は特に問題がありません。カルミアも来ましたし、これで全員のはずです」
彼女が皆のほうに振り返ってそう言う。
なるほど、全員既に揃っている訳か。時の祭壇は最初から最後まで、体感時間が滅茶苦茶だった。俺は試練を行うこともなく、ただあの女としゃべっていただけだったが、それは他の連中が試練を行っている時間よりも長かったということなんだろうかと思うが、終わってしまったものを考えても詮無いことだ。
クレマチスは既に索敵を使って、穴の中身を確認しているし、スターチスやアスターはなにやらペンダントに吹き込んでいる。
ようやく詠唱を保存終えたスターチスはペンダントを胸元に入れると、こちら全員をぐるりと見回す。
「おそらく、次が最後になると思います。神がどのような条件でリナリアさんをさらいに来るのかわかりませんが、先に闇の祭壇に溜め込まれた穢れをどうするか、考えないといけませんね」
「そうねー、あの光の祭壇のところにいたのの言葉をそのまま信じるとしたら、神は巫女姫を娶るか、人柱をひとり立ててそいつの中に全部の穢れを注ぎ込んで拡散を防いだ上で殺すって方法を取ってたみたいだし。普通に考えたら、神を召喚するとなったら、嫁入り宣言だけど。それを阻止するとなったら俺らの象徴の力を全部剥がされる可能性もあんじゃねえの?」
「もしそうなったら、さすがに神に対して対処ができません。だとしたら、先に闇の祭壇の穢れの対処に当たって、そのあとに神を呼び出すほうが確実……ですね。クレマチスくん、向こうの様子はどうですか?」
穴の向こうを確認していたクレマチスは、ようやく詠唱を終えて、こちらに向き直った。
「闇の祭壇のほうには神の気配はありませんが……ただおびただしいほどに穢れの気配があります」
世界中の穢れがあそこに蓄積している以上は、それは当然といえば当然と言える。そこでクレマチスは「ただ」とひと言付け加える。
「あそこに人の気配があるみたいなんです。世界浄化の旅の達成条件を満たさなければ、あそこには辿り着けないはずなのに、いったいどうなっているんでしょうか?」
クレマチスの困惑の声に、俺はちらりと巫女を見る。巫女は驚いたように目を丸くすると、隣に連れ添っていたアルストロメリアもまた困惑したように彼女を見ていた。
……やはり、巫女はあの女と繋がっているものの、巫女はあの女の目的も、祭壇の先で待ち構えていることも知らないという訳か。いったいどこまで知っているのかはわからないが、おそらくはアルストロメリアも幾分かは知っている。
闇の祭壇で、自分を殺せ。
あそこで待っているものを考えて、俺はそこでようやく彼女の言った意味を理解した。
なるほど。巫女も他の連中も躊躇するというのは、そういうことか。
「……厄介なものだな」
俺のボソリとつぶやいた言葉は、謎の乱入者のことだろうと、その場は流された。
あの女は、本当にこちらの気持ちも考えずに好き勝手な頼みばかりしてくれる。
あの女に引導を渡せるのかどうかは、あの場に行かなければ判断がつかない。




