時の祭壇の試練・2
私が辿り着いた先には、白い空間と柱、そしてぱっくりと口を開けたような闇が広がっていた。
多分ここから先に進めば、最終地点の闇の祭壇に辿り着くんだろうけれど。私は辺りを見回した。
私以外、まだ誰も来ていないみたいだ。
大丈夫なのかな。私はハラハラしながら私が進んできた場所を見返す。
アルの場合は、穢れのせいで家族が亡くなったときの記憶だったはずだ。普段は神殿騎士として鍛錬で己を律しているから記憶の奥底に眠っているけれど、リナリアのことを過保護なまでに守り、私のこともずっと心配してくれたのは、目の前で家族を失った反動だったはずだ。
クレマチスの場合は、まだ小さいのに神殿に送られたことだ。継承権争いから遠ざけるためっていう、国王の愛情からだったけれど、小さい頃から賢かった彼は「捨てられた」と思い、人から情を傾けられたら、それを奪われるのをひどく嫌う。
正直、アスターとスターチス、カルミアの場合は読めない。カルミアと私は今までほとんどまともに交流ができてないから、彼のトラウマがどうなっているのかわからない。スターチスの場合は最愛の妻のアルメリアが亡くなったときのことだけれど、既に彼女の死は回避されてしまっている。アスターの場合は既に私に話してくれたから、向き合い方は変わっている以上、それで身動き取れないってことはまずないはずなんだけれど。
どうしよう……。迎えに行ったほうがいいの。それとも、ここで残っているほうがいいの。
ゲームで何周も何周も繰り返し見てきたところだけれど、ここで誰かひとりを選んでいいものかを測りかねていた。
私は自分の手をグーチョキパーと動かしてみる。
頭の中に光を思い浮かべて、指先に集まるイメージを出すと、いつも出すように光の玉がポワポワと浮いてきたことに気が付いた。
「……そっか、私は試練が終わったから、もう象徴の力が戻ってきたんだ」
ゲーム内でだったら、象徴の力を使って助ける場面なんてなく、誰かひとりを選択して、そのひとり以外を迎えに行くことなんてできなかった。
ここで好感度ランキングが確定してしまうから、ゲーム内の最後の好感度調整に使われていたけれど。
もう好感度を気にしている余裕がない以上、全員をどうにかしたい。でもどうやって?
考えた末、ふと頭に閃いたのはクレマチスが使っている索敵だ。目的の人や敵の弱点を探すのに使う詠唱だけれど、これで道標をつくって皆に届けることはできないだろうか。
人の詠唱を私が複製しても、相変わらず劣化コピーにしかならないけれど、なにもしないよりはましだ。
私は何度も見たクレマチスの詠唱を頭に思い浮かべながら、手を差し出す。リナリアの花がぽんぽんと咲き、道標のように花を咲かせてきた。
お願い、迷子になっていたら。立ち上がれなくなっていたら。ここで待っていると教えてあげて。
待っているだけは心細くって、そのまま走り出しそうになるけれど、それじゃいけない。私は、ここで待っていないといけないんだから。
****
リナリアの花が咲いている。
それは道標のように、戦場にそぐわない優し気な色を帯びて。
「……そうか、理奈はもう、試練を終えたのか」
穢れの侵攻により、俺の住んでいた区画はあっという間に火の海に飲まれた。最後に両親を見たのは、川から見上げた必死で両手を広げて穢れの侵攻を食い止めようとする背中だった。
穢れに取り込まれて、人間の形すら失ったそれが、区画に火を放ったのは、本当にあっという間の出来事だった。
俺は両親に逃がされるために川に落とされ、一緒に突き落とされた落木にしっかり捕まって、ペルスィまで流されていったのだ。
家が燃える匂いは自然とそのときの出来事を鮮明に思い起こさせ、うたた寝すれば区画内に響き渡る絶命と悲鳴の声を耳に起こさせる。
既に十年は前の出来事だというのに。
ペルスィの神殿でソルブスや神殿の皆に育てられた。扱いづらい俺を育ててくれたことには、感謝してもし足りないが、俺にはなにもなかった。
当時は俺の象徴の力はどうやって使えばいいのかわからなかったから、象徴の力ではなんの役にも立たない。代わりに体力を育てて、女と年寄りばかりの神殿で力仕事を買って出たところで、神殿に派遣された騎士に、俺の力を感心され、そのまま神殿騎士団へと連れていかれた。
戦場で力を振るっていれば、悪夢からは遠ざかっていった。なによりも穢れを人から遠ざけることができた。あんな悪夢に苛まれる子供は、少ないほうがいいに決まっている。神殿騎士団に連れていかれた俺は、過酷な鍛錬に身を任せ、己を徹底的に苛め抜いた。力の使い方がわからず、俺にそもそも象徴の力がないのではと疑いはじめたときに、ちょうどスターチスを紹介されて、しばらく世話になったが、あの人の告げる力の使い方は、俺にはどうにも性に合わず、断った覚えがある。
そんな中。俺はリナに出会った。
次期の世界浄化の旅に出る巫女姫だと教えられたのはいつだったのかは、よく覚えてはいないが。
あれは俺と違い、穢れの被害など知らない王族のはずなのに、何故か俺の昔話を何度もせがみ、そのときの出来事に思いを寄せてくれた……穢れの侵攻を嘆いてくれた。
家族も故郷もとっくの昔に亡くした俺にとっては、ソルブス以来の家族のような存在だった。
やがてクレマチスも神殿に送られてきて、右も左もわからず、よく泣いていたそれを、リナと一緒に慰める日々が続いた。
なにを守ればいいのかわからない。いつまで力を振るえばいいのかわからない。
穢れの侵攻を食い止めなければいけないとわかっていながらも、なにとどう戦えばいいのかわからずにいた俺に、初めて守りたいと思い、振るう力の指針をくれたのが、リナとクレマチスだったんだ……。
だから、どうしてリナが俺を捨てていなくなったのかが、本気でわからなかった。どうして、リナそっくりな理奈を寄こしてきたのかがわからなかった。
理奈は本当に綺麗ごとばかりを言う女だった。
穢れに取り込まれた人間は元には戻らない。異端者にこの世界には優しくない。当たり前のように刷り込まれてきたものを、いとも簡単に「どうにかできないの?」と聞いてくるたびに、はっとなっていた。
リナは家族だったが、理奈は違う。
最初はどう扱えばいいのかわからなかったし、敵だとしたらなんのために入れ替わったのかわからず、ただ殺せばいいのか絞めて目的を吐き出させればいいのかすら図りかねていた。ただ、彼女は最初から最後まで綺麗ごとしか言わなかった。
耳障りのいい、心地いい言葉。
それはいつしか、綺麗ごととして一蹴してしまえるものではなく、夢とか理想とか、形がなくても美しいものへと変わっていった。
この世界が神の玩具だと聞かされたとき、あれを殺そうと簡単に言ってのけた面々のようにはなれなかった。それはおそらく、区画ひとつ村ひとつ町ひとつを簡単に穢れのせいで滅ぼすようなことを、ただの暇潰し程度に行える存在が、そう簡単に倒れてくれるとは思えなかったせいだろう。
剣を振るって倒せる敵であれば、力を使って断ち切れる敵であれば、これだけ迷うこともなかっただろうに。
理奈は何度も何度も、彼女の語る理想と現実の違いに悩まされていたが、俺はそれでも構わないと思う。
たしかに、綺麗ごとだけでは腹は満たされない。安寧は測れない。でもそれなしで世界を守ったとして、それはただ魔科学のスイッチを押したような、機械的な作動でしかなく、心は満たされない。
理想論を理想論で終わらせることなく語る理奈のことを、俺は愛しいと思う。
俺はリナリアの花に手を伸ばし、それをぷちりと摘んだ。
振り返れば、まだ力がなかったころの光景が広がっている。
鼻を通っていく人の焼ける臭い。既に自我を失った穢れに取り込まれた人々から逃げ惑う、力のない人間。
幼い俺は、あのときにたしかに両親に川に落とされたんだ。
忘れるな。今の幸せに甘んじて忘れるな。そう告げるようにフラッシュバックする光景に背を向けながら、俺は次のリナリアの花を追いかけて行った。
……忘れる訳がない。もう二度と、失いたくはないのだから。




