そして闇の彼方へ
鳥を飛ばしたあと、私たちは光の祭壇に部屋を広げて、そこで眠ることとなった。明日になったらいよいよ時の祭壇へと向かうことになるけれど、神殿にすら伝わっていない……ううん、情報規制で神殿の上層部以外には伏せられているのかもしれない……場所へと向かうのは少し緊張する。
寝ないといけないってわかっているのに、私はちっとも寝付くことができず、ベッドの上で何度も何度もごろんごろんと寝返りを打っていた。
いつもだったらぶっ倒れてしまうほどに力を消耗しているのに、今回はアルのおかげか、不思議とまだ余力があり、試練を終えたあとはいつも体が鈍く重くなるのに、今日はいつもよりも体が軽かった。
散歩しようにも、祭壇の外を出たらまた古代兵器に襲われるかもしれないから、祭壇付近をぐるっと回るのが関の山かな。私はそう思いながら、部屋の外に出てみることにした。
時の祭壇では祭壇を守る試練の獣と戦うことはない。ただ、時の祭壇を越えて闇の祭壇まで向かうこと自体が試練だ。光の祭壇には古代兵器も出ないから、今日は寝ずの番なしで皆休むようにと言っていたけれど。
私が出てみると、案の定アルは出ていた。
ここからは星も見えない。それでも天井をぼんやりと眺めながら、考え込んでいるようだった。
「アル」
「……理奈か」
こちらに少しだけ顔を向けると、またも天井を仰ぐアルの隣に、私も座った。
アルがぼんやりとしているのは、今日聞かされた話の情報を咀嚼するのに時間がかかっているからだろう。今までの常識とかしきたりとかを全部壊されてしまったんだから、当然だろうと思う。
「……理奈は、いったいどこまで知っていた? リナがいなくなったこと。理奈が代わりに現れたこと。神の思惑……皆は既にまとまっているみたいだが、俺はまだ、上手く呑み込めていない」
「うん……私も全部知っていた訳じゃないよ。誰かが死ぬってこと。それだけは絶対に止めたいと思ったからここに来た……まさか、リナリアが自分の命までチップに賭けていたなんて思わなかったけどさ」
未だに行方不明の彼女は、多分このことを全部承知の上でいなくなったんだろう。次から次へと明かされること、そのどれもこれもが「こんなこと私聞いてない」と抗議したくてしょうがないことばかりだったけれど、今だったら彼女がどうして説明しなかったのかが少しわかる。
「……多分だけれど、リナリアは全部教えたくっても教えられなかったんじゃないかなと思うよ。あの端末の人……使者の人だって、いくら神の力を使えるからといっても、神には手も足も出ずに消されちゃったし。神に勘付かれたくなかったんじゃないかな」
「使者が言っていた、巫女姫だけが渡される象徴の力、か……」
「うん」
【円環】自体は、ただやり直しができるだけの力で、彼女もやり直しを続けていることしかできなかった。
どこかの周回では、皆を助けるために全員に真相を伝えた周もあったのかもしれない。逆にひとりで全部終わらせようとした周もあったのかもしれない。
……彼女は、どうしてこの周で私を巻き込んだのかはわからないけれど、もう皆は真相を知っている以上、やれるだけのことはやるつもりだけれど。
アルはこちらをちらりと見た。その青い目でじっと見つめられて、私は驚いて目を瞬かせる。
「……俺はお前のことも、リナのことも、神のおもちゃにするつもりはない」
「……うん」
アルの中では、たしかに私とリナリアは違う人間のはずなのに、ときどき混同しているんじゃと疑うときがある。
私が少しだけ肩を強張らせる中、アルの腕が伸びてきた。一瞬だけ、私の呼吸が止まったような気がした。
アルが私の背中に腕を回してきたのだ。
「……頼むから、頼むから。守らせてくれ」
「……あのね、アル。私はリナリアじゃ、ないよ?」
私はどうにか彼の腕から逃れようと、途切れ途切れのそう主張する。
アルは真っ先に私がリナリアじゃないと気付いた。もしそれでも私をリナリアの代わりにしようとしているんだったら、きっと寂しいことだろうなと思ったんだ。
するとアルは、むっとしたように腕の力を強めた。背中がミシミシと言うのに、私は「ぴゃあ!」と悲鳴を上げる。
「痛い痛い痛い痛い……っ! やめてったら……!」
「す、すまん……っ! だが」
アルは力を少しだけ緩めると、私の耳に自分の唇を寄せてきて、私にだけ聞こえるようにして囁いてきた。
「俺は、一度もお前と、リナを同一人物に思ったことなんてない。姿形こそ似てるけど、ふたりとも全然別人だろ」
「でも……あなたは、リナリアのことを……」
「……リナは幼馴染だ。ずっと家族同然で育ったのに、なにも言わずに行方をくらませたんだ。心配してなにが悪い」
「え……?」
「……どう言えば、理奈は俺の言葉を信じるんだ?」
アルの言葉に、私は自分の心臓の音がひどくうるさいことに耳を背けたくなった。
……アルは、何度か私にモーションをかけているのを、必死で気付かないふりをしていた。全部私がリナリアの姿をしているから、リナリアにやりたいことをやっているだけだと、そう思い込もうとしていた。
だって、言ってもどうしようもないから。
私は、どんなに頑張ってもリナリアにはなれないから。
でも、私も勘違いしていたことに気が付いた。
何度も何度も周回しているのは、リナリアだけだ。リナリアの気持ちは、周回ごとに誰かを助けるために、情の傾け方を変えていた。
私はずっとゲームをやっていて、シナリオを全部読んでいたけれど。設定資料集だって読み込んでいたけれど。思いや感情が、全部同じ周回なんてあるわけないじゃない。
嬉しい。本当にそう思っている。それでも。
私は喉をぽろっと本音が伝って出そうになったのを、必死で飲み込んだ。
「……旅が終わったら、もう一度言って。旅が終わってからじゃないと、私もわからないから」
私は、ゲームしているときにリナリアと入れ替わっただけ。もし世界浄化の旅が終わったらどうなるのか、私だってわからない。
……卑怯かもしれないけれど、今答えを出せる訳がなかった。
****
次の日。
私たちは食事を済ませると、床下の階段を覗き込んだ。それを見ながら、クレマチスが詠唱を行う。
「索敵」
その詠唱を行って時の祭壇のほうへと連なる階段の奥を索敵したけれど、普段だったらなにかと点滅する光がちっとも見えない。
それを見ながら、クレマチスはそっと言う。
「多分ですけれど、時の祭壇を越えて、闇の祭壇へと到達するまでは、象徴の力が封印されるみたいです」
「そうなんですね……」
なるほど、ゲーム中でも、どうしてここでは戦闘が起こらないのか、獣による試練が行われないのか説明がなかったけれど。
象徴の力そのものが使えないんじゃ、たしかに自前で戦闘能力のあるアルやアスター、カルミアくらいでなかったら厳しいと思う。私に至っては、武器すら象徴の力がなかったら持ってないんだから。
私はちらっとアルを見る。アルは昨晩のことが嘘のように、真剣なまなざしで段下の気配を探っていた。
……このほうがいい。このほうが私も気楽だ。
全部終わったら、私も帰るのか、ここに留まれるのかはわからない。
でも。
最後の最後には、私もきちんと気持ちを返したい。それが、さよならの替わりだとしても。
……私は自分の気持ちに、今度こそきちんと蓋をした。
やがて、アルは口を開いた。
「……先は俺が行く。リナリア様は俺の後ろからお願いします」
「わかりました」
自然に手を取られ、私は巫女装束の裾を摘まみながら、階段を降りて行った。
たしかに象徴の力を使って光を灯しても、階段の下へと進んでいけば、その光は霞んで消えてしまう。
私たちは、闇を奥へ奥へと進んでいったのだ。




