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おおかみさんとわたし

「昨日は言い過ぎた。ごめん・・・。」

「こちらこそ、ごめん。」

「大丈夫。あと、ありがとう。」

「こちらこそ、ありがとう。」


私は、こっそりかくれて、おおかみさんがよろこぶことをするようになった。

もう、あんな感情をぶつけ合うようなことはしたくないけれど、ほんの少しだけお互いのことがわかったような気がしたからだ。

せめてもの罪滅ぼし。

「自分が悪くて、相手もどうで」とかうまく口に出せないけれど、せめて何かできることをしないと・・・。

でも、どこかに「やっぱり人間は裏切るのだ」っていう恐れは心の奥底にこびりついている。


おおかみさんは、会った時と同じで、むすっとした表情のまま狩りや畑に出かけて、帰ってきて、料理をしながら、やたら難しそうな本を読んでいる。

そして、私のぶんの料理も机に置かれている。


「晴耕雨読」の生活というが、畑を耕し、狩りをしながら、このおおかみはずっとずっと学問を続けてきたのだろうか。


心なしか、この生活というのは孤独かもしれないが、案外充実しているものだったのじゃないかと思うようになってきた。


このおおかみさんは、時折、どこでも手を合わせる。

そのとき、おおかみさんの心はどこか現実じゃないきれいなところにいるようだった。そんなことをおおかみさんは一日何回もしていた。

その行為自体、はじめはわけわからなかった。

おおかみさん自身、人を遠ざけ、人を責めるような最悪な性格でむかつくこともあった。

だけど、その行為を通じて、おおかみさんは私のことを思ってくれていることがなんとなく、そう、なんとなくだけどわかった。

このことは、あまりにもなんとなくすぎて、きっと普通に生きてたら全く分からない。

だけど、このことはこの世で一番美しい何かのように思われた。

とりわけ、あのくそむかつくおおかみさんがやるからこそ、狼さんがいやな奴であればあるだけ美しいものに思えたのだ。

私はやろうとは思わなかったけれども。


私も、おおかみさんと一緒に、本を読むようになった。

難しい漢字や何を言っているか全くわからない本がたくさん。

おおかみさんは、私に「これから読め」と簡単な漫画じみた入門書をくれた。

それまで、自分が考えたこともなかったような面白いことがたくさん書かれていて、最初は読むのに苦労したけれど、次第に何冊も何十冊も私はそこで多くを学んでいった。


私は、おおかみさんの畑を耕すことも始めた。

たまには、狼さんの取ってきた獲物を捌いて料理することも覚えた。


おおかみさんと、あれ以来たくさんの話をすることはなくて、依然として生活は無言のやり取りが多かったけれど、

本の内容について質問したりすると、しっかり答えてくれたり、「お前はどう思う」とんばど聞いてくれるようになった。

おおかみさんからは学校の先生のようには何も教わらなかった。

おおかみさんはただ自分のことをやっているだけで、私はそれをじっと見て真似ばかりした。

そして、おおかみさんのところにあるたくさんの本と、畑と、大空と太陽と月と大自然が私の先生と友達になってくれた。


ある時、ふと私はおおかみさんがいつもやっていたみたいに、手を合わせてみた。

それまで、本当はずっとずっと知っていたけれど、忘れきっていた美しい何かが心に流れ込んでくるみたいな錯覚になった。

錯覚かもしれないけれど、錯覚なんかじゃなかった。


「この世界は美しい。」

なんだか知らないけれど、そう思えた。

夕陽を見ていると美しくて、ふっと温かい気持ちが細胞いっぱいに広がって涙がでた。

なぜなんだろう。


この世界は、あたたかいんだ、本当は。


外から帰ってくると、珍しくおおかみさんは言った。

「いいかい、あのなあ、人はなあ考えた通りのものになるんだ。

私は、たしかに自分自身でおおかみになることを選んだ。

そして、君は自分自身の選択でこの山に来て、君の選択でおおかみに出会い、君の選択でおおかみに自分の話を打ち明け、こうして美しい世界を味わうことを選んでいる。」

「うん。」


私は、自然にそのことを理屈じゃないどこかで分かるようになった。

私と、おおかみさんと、この大自然、太陽、星々は一つにつながっている・・・。

「いいかい、愛は死なない。決して死なない。愛も真実も決して死なない。」

それが、おおかみさんの最期の言葉だった。



私は幸せだった。

そして、この幸せはずっとずっと心の中にとどまっていて、もう消えることがないような気がしていた。


「ホントに?

ホントに?」


刹那(せつな)、ほんの少し、自分の心の中に疑いが生じた。


「この幸せは目に見えないもの。

もう一度、目に見えるいやないやなことが襲ってきたら・・・」

考え始めると、歯止めが利かなくなる。


ふと、私は昔のことを思い出した。農作業をしながら、怖くて怖くて仕方がなくなってきた。

昔受けた傷のこととか、この先どうなるんだろうとか、みんなは自分のことをどう思ってるんだろうとか、考え出すと止まらなくなってきた。


続いて、この山に来た時以来起こらなかった発作が起きた。

私はその場で倒れこんで、動けなくなった。苦しい苦しい・・・。

そしてそのまま気を失った。



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